江別創造舎

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商船学校の設立

2008年08月27日 | 歴史・文化
 日本の商船教育は、東京の墨田川永代橋と日高の三石においてなされたのが最初でした。

 明治9年8月、かつて大年寄であった小林重吉が自分の所有する三石の漁場に海員学校を設け、長男小林友八の友人吉崎豊作に教師を依頼し、10人足らずの生徒を教育しました。翌年7月これを函館に移し、準備の後、11月から函館の自宅において再開しました。12年2月15日、生徒43人を収容して私立函館商船学校の開業式を挙行しました。これには、函館の有志が資金を出し、公立内澗学校内に夜学教授を行いました。

 その後、葛西などで場所を変え、16年5月、函館県に移管され、全国唯一の公立商船学校となりました。
 このように、早くから商船教育が行われたのは、幕末以来の開港と道内航路の拠点としての重要性が影響していると考えられます。
(参考)当ブログ8月23日(土)「開拓使仮学校開設」
    当ブログ8月16日(土)「教員養成と師範学校の設立」
    当ブログ8月10日(日)「村落・変則小学教則の制定」
    当ブログ8月 9日(土)「学生公布と北海道の特例」
    当ブログ8月 8日(金)「明治初年の教育状況」

註:北海道「新北海道史第三巻通説二」933頁参照。
写真:江別市郷土資料館より許可を得て、資料複製を掲載いたしております。

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