江別創造舎

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恵山文化の北上

2017年04月27日 | 歴史・文化

 続縄文時代の代表的な土器文化には、道南部の恵山文化、道央部の江別文化(後北文化)、道東部の宇津内(うつない)・下田ノ沢文化があります。

 恵山文化は、本州の弥生文化の強い影響を受けて成立した文化で、恵山町恵山貝塚・瀬棚町瀬棚南川遺跡・伊達市有珠モシリ遺跡・白老町アヨロ遺跡などが代表的な遺跡です。

 恵山式土器は、東北地方の田舎館式など弥生式土器とよく似ており、器種構成も壷・浅鉢・台付鉢など多様で共通点が多い。
 石器は、柱状または扁平の片刀石斧などに弥生文化の影響が認められますが、太型両刀石斧や穂摘み具の石庖丁は受容しませんでした。
 恵山文化の特徴的な遺物としては、疑餌とされる魚形石器・太い柄のある石ナイフ・骨角器の銛頭・ヤス先・釣針など漁𢭐煮関係する道具が多く発見されています。

 恵山文化は、3期に大別されます。
その中期(アヨロ2式期・紀元前後頃)には、江別を中心とする石狩地方まで広がりをもつようになり、江別市内の元江別1遺跡・旧豊平川河畔遺跡・吉井の沢1遺跡や石狩市紅葉山33号遺跡などに多くの墓を残しています。

 元江別1遺跡では、41基の土壙墓が発見され、碧玉(へきぎょく)製・滑石製の管玉やコハク玉などの副葬品が出土しました。碧玉製管玉は、本州の弥生文化との強い関連を示す資料であり、一方、一箇所の墓から1,000個以上も発見されたコハク玉は、サハリンなど北方との繋がりが指摘されています。

 元江別1遺跡の墓では、熊の意匠を施した舟型土器が発見されていますが、恵山貝塚からも取っ手などに熊のモチーフをあしらった跡からは芸術品ともいえる熊形の装飾が付いた鹿角製スプーンが出土しています。熊のモチーフは、恵山文化以前の続縄文初頭の遺跡から既にみられ、縄線文土器文化の江別高砂遺跡の墓や芦別市滝里安井遺跡の墓からは熊形の石製品が出土しています。また、大麻3遺跡の土壙から出土した一対の土偶も熊を模した可能性があります。
 こうした熊の意匠は、熊に関わる何らかの信仰が背景になっていると考えられ、アイヌの熊送り儀礼との関連からも注目されています。

 恵山文化は、続縄文文化の中でも水田跡こそ発見されていないものの、一部雑穀栽培が行われるなど、本州の弥生文化の影響の強い分かでありましたが、漁撈活動への一層の適応、熊信仰等精神文化の上で独自性も有していました。
 恵文化は、紀元2,3世紀頃道央部に成立した江別文化の影響で急速に衰退しました。しかし、同文化に発達した技術や精神は、江別文化の中に吸収され、継承されていったと考えられます。




註:江別市総務部「新江別市史」30-32頁.
写真:江別市有形指定文化財大麻3遺跡出土の土偶2体
(2009年9月から11月の期間開催されたロンドン大英博物館展覧会出品)


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