小樽に10日程滞在した樺太アイヌは、6月23日官船弘明丸に乗船、約束の地石狩、厚田へと向かいました。
いや、向かうとみせかけ、銭函沖で対雁行きを告げたのでした。
移民たちの必死の抗議には耳もかさず、弘明丸は強引に「石狩川ヲ遡リテ江別太現今ノ三角地ニ着船シタリ」(「土人移住ノ顛末記」)。
この時、江別の地を踏んだ移民は108戸、854人です。854人のうち、男は431人、女423人です。
三角地で下船した樺太アイヌは、石狩川沿に順次西に移りました。
そして、小樽船改所から急遽派遣された上野正ら開拓使現地役人の指揮下に入りました。
もちろん、その間すんなりといくわけがありません。
移民たちは開拓使の口車と恫喝により対雁に連行されました。
それは、一方的なお国の事情でした。
「翌日器具ヲ与ヘテ 居棲スベキ小屋掛ノ建造ヲ命ズルモ 彼ハ当初ノ口約ニ違ヒテ送輸セラレタルモノナレバ 江別太ニハ永住ノ意志ナシト称シ」(「前出『土人移住ノ顛末記」)云々と、家屋の建築を拒みました。
それも無理はありません。
先遣隊まで出して下見見分を行い、結果、移住地は石狩、厚田と約束しました。
それも一歩も二歩も下がっての妥協でした。
それら全てが空しくなりました。
開拓使の信義なく、誠意なく、情理の欠けた対応に、移民全体が憤怒に染まりました。
仮小屋での生活が10数日続きました。
樺太アイヌが再び妥協したのは、堀基中判官が対雁に足を運んだときです。
堀は、約束しました。
対雁に定住するならば、石狩、厚田方面に漁場を確保しました。
移民たち各自の家屋建設が始ま盧のは、これ以降でした。
註 :江別市総務部「新江別市市」133-134頁.
写真:移住した対雁住居前で
同上書133頁写真3-7掲載写真を複写・掲載いたしております。
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