このたび、江別カルタ 「は」の句をご紹介いたします!
萩ヶ岡
江別神社は
古砂丘に
萩ヶ岡は、天然の萩に覆われた小高い山でした。
それは、約3万年前にできた古砂丘の名残をとどめており、平地に囲まれたこの地で頭一つ抜け出す目だった存在でもありました。
それゆえ、屯田兵の配置と共に中隊本部が置かれ、明治20年(1887年)には第三大隊本部が置かれました。
明治26年(1893年)には、江別神社が創建されました。
江別神社は屯田兵大隊本部の命を受け、明治23年(1890年)4月25日、飛烏山に創建されたのです。
その後、明治26年8月8日、江別駅前の萩ヶ岡に移転し、江別神社と改称しました。
祭神は、天照大神、大国主命、加藤清正です。
大正6年(1917年)には、村社、大正15年(1926年)には郷社となっています。
毎月9月9日に例祭が執り行われています。
(参考)
当ブログ2016年 4月 6日 「江別カルタ② <ろ>」
当ブログ2016年 4月 4日 「江別カルタ① <い>
当ブログ2016年 3月29日 「江別第三小学校3月閉校~江別カルタが語る円形校舎~」
当ブログ2016年 3月25日 「本日!江別市産業遺産の再生~EBRI誕生!」
当ブログ2009年 1月 4日 「江別神社郷社昇格」
当ブログ2009年 1月 3日 「集落生成過程に重要な寺院創始」
当ブログ2008年12月21日 「飛烏山神社から江別神社に改称」
註:江別カルタ解説書より引用
写真:江別カルタ<江別創造舎制作>「は」の句