コタツ評論

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今夜はリトル・ガール・ブルー

2015-07-09 21:54:00 | 音楽
歌詞の和訳を探してみたら、かんじんのタイトル”little girl blue ”がそのまま。どう訳すのでしょう? 「ブルーな少女」「不幸な少女」では、ベタ過ぎてたしかにピンときません。もしかして、「少女ブルー」?

本歌は1935年ブロードウェイミュージカルの挿入歌でした。作曲したリチャード・ロジャースは「サウンド・オブ・ミュージック」を手がけた大御所です。ロレンツ・ハートの歌詞を直訳してみましたが、間違っているやもしれません。

When I was very young 
The world was younger than I 
As merry as a carousel  
  

私が幼かった頃
世界は私よりなお若く
毎日が回転木馬のように楽しかった

The circus tent was strung
With every star in the sky
Above the ring I loved so well

大好きなサーカスのテント
リングから天幕を見上げると
縫いつけられた星飾りが
夜空のすべての星を集めたように燦めいていた

Now the young world has grown old
Gone are the tinsel and gold


いまでは若かった世界も年老いて
金ぴかも金も消え去った

Sit there and count your fingers
What can you do, little girl you're through
Sit there, count your little fingers
Unhappy little girl blue


あなたはそこに座って数えている
自分に何ができるのか
短い指を折って数えている
不幸な少女よ

Sit there and count the raindrops
Falling on you, it's time you knew
All you can ever count on are the raindrops
That fall on little girl blue


あなたはそこに座って数えている
その身体に降りかかる雨の雫(しずく)を
もう気づいてもいい頃よ
できることはそれくらいなのだと

Ain't no use old girl, ain't no use old girl
You might as well surrender
'Cause your hopes are getting slender
Why won't somebody send a tender blue, blue boy
To cheer up little girl blue


あなたは無駄に年をとった少女に過ぎない
わるあがきは止めてあきらめなさい
希望は痩せ細るばかりだから
ああ、誰かここに
あなたの哀しみを知る
優しい少年を連れてきてくれないものかしら

「私」と「あなた」が出てきてちょっと混乱します。おばさんが不幸な少女に語りかけているようであり、大人になった「私」が少女だった頃の「私」を思い出しているようでもあり、大人であり少女でもある「私」の自問自答のようにも思えます。いずれにしろ、そこに座っているのは少女と中年女です。

けっこう残酷な歌詞に読めました。ミュージカルなら、この後、少女の哀しみを理解する優しい少年か男性が現れてハッピーエンドに向かうはずなので、これくらい悲嘆に暮れたほうがよりドラマチックなのかもしれません。

代表的な歌唱はデビューアルバムにこの曲を収めたニーナ・シモンでしょう。ただし、「回転木馬」や「サーカス」の下りを歌詞から省いています。「座って指折り数えている」から歌いはじめて、いまそこにいる「少女」にスポットライトを点しています。

たくさんの歌手がニーナをカバーしていて、ジャニス・ジョップリンの歌唱も有名ですが、かなり歌詞を変えています。ニーナにはまだ自問自答の趣きがありましたが、ジャニスは全世界の不幸な少女に声援を送るようにシャウトしています。

ほかにも、新旧、たくさんの歌手が歌っていますが、今夜はカレン・カーペンターでこの歌をお届けします。ニーナ・シモンのカバーではなく、歌詞を省かず(入れ替えていますが)、ミュージカルナンバーとしてけれんなく歌っています。しかし、誰よりも、「少女」も「中年女」もカレンその人であるかのように、照明と溶暗の人生を浮かび上がらせて胸をつかれます。


未読ですが、Little Girl Blue: The Life of Karen Carpenter by Randy L. Schmidt (Author), Dionne Warwick (Foreword) というカレンの伝記本が2011年に出ているんですね。有名なヒット曲が数ある中で、あえてこの歌のタイトルを書名にしたわけですね。訳すとすれば、「蒼ざめた少女」ですね。

Carpenters "Little Girl Blue"


歌詞を入れ替えて「回転木馬」や「サーカス」を後半に持ってくるのはよくある構成なのですが、「明日は明るく」という切ない思いが伝わってきます。

少し、しめっぽくなりましたか? ではこれを聴いて、おやすみなさい。

Phineas Newborn,Jr. with Ray Brown & Elvin Jones - Little Girl Blue


(敬称略)
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今夜はボサノバで

2015-07-06 08:07:00 | 音楽
「なんだかなあという気持ちは明治時代から続いている」(最首悟)
https://twitter.com/ssaishu/status/616005450648039424
https://twitter.com/ssaishu/status/616366219810045952

市民社会、民主主義とは神・天の下の平等が基盤となる。なんだかなあという気持ちは明治時代から続いている。説明としては日本列島人になじみ深い場所や場を持ちだす方がわかりやすい。山や海の夜明けや日没を眺めやれば、自分が住みいま立っているこの場所もまあるい地球の表面とわかるはず。すると、球の表面はいたるところが中心となり、自分の立ち位置で中心あなたもこの子も中心なのだ。

民主主義には自分が欠かせない。ただ自己中にならない縛りが必要である。それが自分の立ち位置が球の表面でその中心ということ。世界の中心だと言ってもいい。ただし、球の表面ではどこもかしこも中心なので、能力体力金力に関係なく、人間は皆、それぞれが世界の中心に立つ。お互い中心で場を共有していることを平等という。
(コタツ要約)

自己中の自家中毒を描いたというマンガがすこし前に話題になりました。渋谷へ直角に斬り込むという筆名なのでしょうか。読んでみたいですね。




ボサノバくらいフラットな印象を与える根無し草的な音楽も少ないのですが、それをさらにJ-POPにまぶしてホテルのエレベータ音楽にしたようなのを、最近の言葉でいえば、「意識高い系」の女の子が歌うという、非情なほどベタで皮肉な設定のようです。平等はツライね。

さて、いつかどこかで聴いたことがあるメロディのはずです。
まずはボーカルで。

Eydie Gorme The Gift (Recado Bossa Nova)


歌詞はこちらに

つぎはバイオリンで。

Recado Bossa Nova played by Roby Lakatos & Marius Preda


つぎはアコーディオンで。

Recado bossa nova; Alex Djordjevic Quartet


つぎはサックスで。

Barney Wilen - Recado


(敬称略)
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