Dr内野のおすすめ文献紹介

集中治療関連の文献紹介が主な趣旨のブログ。
しかし、セミリタイアした人間の文献紹介なんて価値があるのか?

DPC研究に思うこと、いや、思っていたこと

2024年09月27日 | ひとりごと
今朝、外部講師による医局内の勉強会があった。僕は通勤途中で、電車の中で聞いていた。まったく予測していなかったのだが、人生で一番と言っていいくらい褒められた。恥ずかしいやら嬉しいやらで、この気持ちを満員電車の中でどう処理したらいいか、すごく困った。

まあ褒められる時はそういうものだろうが、ちょっとだけ批判された。
それはこのブログの数年前の記事についてだった。日本のDPCデータを用いた研究で、僕が批判的に書いた内容に対する抗議だった。
このブログが始まって17年目になり、記事の数も2000を超えているが、日本人の研究についてはできる限りネガティブな記載をしないようにしていて、この記事は数少ない例外の一つ。書かないようにしている理由は、日本人だとこのブログを読む可能性があるので、研究者に不快に思ってほしくないから。どうして例外が起こったかはもう5年前のことなので覚えていないのだが、多分、以前から思っていたDPC研究に対する不満が、自分の関心の強い話題だったので漏れてしまったのではないかと想像する。

非常に申し訳ない。

書き方が悪かった、というか足りなかったので、その時の思いを(想像しながら)書いてみる。
一時期、2010年代かな、日本の集中治療の世界でずっと議論になっている治療方法について、片っ端からDPCを使った研究がメジャー雑誌に発表されていた。ご存知の通り、DPCは集中治療における介入についての研究を目的としたデータベースではなく、患者背景(特に重症度、検査結果)に限界がある。それはどんな最先端の統計学的技術を使ってもカバーできるものではなく、その限界の中で示された治療法Xのオッズ比がいくつで有意差がある(ない)から結論はこうだ、と言われても、いやー限界あるでしょ、重要な背景因子を一つ追加したら容易に結果は変わるでしょ、という感想しか持つことができない。そういう明確な限界のある研究が、データを利用できる一部の人により、多分Nの大きさが最大の理由でメジャー雑誌にたくさん掲載される状況が不満だったのだと思う。

もちろんDPC研究が全部ダメとは全然思っていない。例えばこれなどは、急性疾患に対して行われた人工呼吸のうちICUで開始された割合が40%しかないという、もうDPCを使わなきゃ絶対にわからないだろという情報を提供してくれて、かつ病棟での人工呼吸管理が予後の悪さに関連しているというメッセージまでついていて、素晴らしいとしか言いようがない。
介入研究も、明確な限界はあるものの、エビデンスというのは一つ一つの研究が積み重なって構築されるものなので、無駄な研究というものはない。ただ、「ちょっとズルくね?」とは思うけど。最近は集中治療におけるDPC研究もひと段落した印象があり、そう思うことも少なくなったので、今日改めて以前の記事を読んで、「なんでこんなこと書いたんだろ?」と反省しきり。

タイトル:「反省しているセミリタイアした元集中治療医」 by ChatGPT-4o
実物と比べてちょっとカッコよさが足りないが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする