徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

最後の夢(第十三話 僕の家に…)

2005-10-11 23:33:45 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 日頃丹精をこめた菊の鉢を眺めながら一左は満足げに頷いた。
そろそろだな…。
 今年一左は自分の育てた菊と庭師に作らせた菊、紫峰や藤宮の菊自慢の作品を集めて鑑賞会を開くことにしていた。
 招待客が多いので主催は宗主の名を借りたが、宗主はまったく菊作りには興味がないため、一左が楽しみながら宴席を設ける為の手配をしていた。

 「修よ。 どうせなら史朗のお披露目もしてやってはどうかな?
長老衆に顔繋ぎするいい機会だと思うが…。 」

 急に思いついたように一左は修に言った。
修が史朗を家族として紫峰の記録簿に登録したことを一左は思い出したのだ。
 世間一般の戸籍とは別に紫峰家には独自の登録簿があって、隆平や史朗のように養子縁組とか結婚という形式をとらずに他人を家族として登録する制度がある。
 ただの同居人とは異なり、きちんと財産分与もされるし、紫峰における地位も保証される。

 修はこの記録簿に史朗を登録し正式な家族として一族に迎え入れたのだった。
勿論、最長老である一左の承認を得てのことだ。
 紫峰の中に同年代の相談相手がいない修には史朗の存在は後々心の支えともなるだろうと考えた一左は快く同意した。

 未だ史朗に対して不快感を拭い去れない長老衆や一族の者たちに史朗の人となりを紹介しておこうというのだ。
 記録簿に登録された後、一左は何度も史朗に会ったが会う度にその誠実さや心根の優しさに驚かされた。
 仕事もできる男だと聞いているし、笙子の愛人などという色眼鏡で見てはいけないとつくづく思った。
 顔立ちも体つきも優しいが芯の強そうな凛とした青年で、その笑顔に人柄がよく表れていた。

 「それはいい。 お祖父さま…そうさせて頂くことに致しましょう。 」

 修は祖父の申し出を有り難く受けた。
史朗を紹介するとなると特別な配慮も必要で、修は宴席までの僅かな日数の間に出来るだけ手抜かりのないように準備を進めるため、あらゆる方向に手を回した。


 
 信じられない速さで退院を決めた城崎だったが、実家に戻っても退屈なだけで落ち着かず、かといって、病院よりもさらに近いところでマスコミの眼が光っているだけにうっかり外にも出られず、悶々とした日々を送っていた。

 自分の持つ能力を使って人助けをしようとしただけなのに何でこんなことになってしまったのか…。
 暴力団に追われたり、殺人犯に刺されたり、人を助けるどころか助けられてばかりで、何人かの行方不明者を捜し当てたことさえ虚しく感じられた。
 早く犯人が捕まってくれないとまったく身動きがとれず、まるで牢獄にでもいるような気分だった。

 予知能力に長けながら、なぜか息子についての予知だけは誤っている城崎の父親は、どうにかして息子を世間の眼から遠ざけたい、出来れば世間の記憶から消してしまいたいと考えていたが、なかなか思うようにことが運ばず、こちらも八方塞がりの状態だった。

 城崎はいわば巻き添えを喰った形であるため、城崎の周辺に事件解決の鍵があるわけではなく、警察は最初に殺された男の周辺をあたっていた。
 護衛はつけてもらっているものの、何か警察から特別な知らせがあるというものでもなく、ただただ先の見えない結果を待つだけの気の遠くなりそうな毎日を送るばかりだった。



 従兄の木田彰久の新居ではいま奥の座敷に出来上がってきたばかりの祭祀の装束が衣桁にかけられてあった。
 彰久に呼ばれて彰久の家を訪れた史朗の目にそれが飛び込んできた時、真新しい衣装の眩さに思わず目を細めた。

 「素晴らしい装束でしょう? 
これはこのたびのお披露目用に修さんが手配して下さったものですよ。 
 前々から何かの折にと頼んではあったのだそうですが、急遽入用になったので急がせたと言っておられました。 」

史朗は驚いて彰久を見た。彰久が笑って頷いた。
 
 「実は修さんだけではなくて、笙子さんやお祖父さま、透くんや雅人くん、隆平くんや西野さんまでがこの衣装の支度金を出してくださったのです。
 他にも黒田さんが…勿論僕も些少ですが…。
紫峰本家所縁の者はみなあなたを歓迎するという意味だそうです。 」

迎え入れてくれる人達の心遣いが有り難くてしばらく言葉も出なかった。  
    
 「本当に何とお礼を申し上げていいのか。 彰久さんにも…。 」

 落ち着いてからやっとそれだけを口に出した。
彰久はちょっと照れたように頬染めた。

 「僕はたいしたことは出来なかったのですが…。 」

史朗はもう一度装束を見てから彰久のほうを振り返った。

 「ねえ。彰久さん。 紫峰の方々には申し訳ないのですが…少々困っています。
祭祀は余興じゃできませんから宴席でお見せするには無理があると思うのですけれども…。 」

思いあぐねたかのように史朗は彰久の意見を求めた。

 「そうですねえ…祭祀は本来宴席で行うものではないので…。
でも…ほら…長寿と繁栄を祈る祭祀なら場に相応しいと考えますが…。 

 それに…所作の動きを美しくする修練のためにいくつか舞を覚えたでしょう? 
鬼面川の舞にはそれぞれ意味がありますから実りを表す舞であればよいのでは?」

 ああ…と思い出したように史朗は頷いた。
忘れてしまっていたが、確かに鬼面川の舞の中には秋の実り、春の萌えを表わすような舞があった。

 史朗は華翁閑平の記憶を辿りながら身体を動かしてみた。
彰久は将平として思い出せる限りの謡いの節を口ずさみながら、ひとつひとつの動きを確かめるように見つめた。
 千年前に親子であったというこのふたりはいま千年前の記憶を辿り、鬼面川の流麗な舞を甦らせようとしていた。



 紫峰家の広い庭園のそこかしこに数え切れぬほど集まった菊の鉢植えが庭師によって美しく見栄えがするように配置され、庭園じゅうに菊の馨しい香りが漂った。
 紫峰や藤宮一族の菊自慢から寄せられた逸品揃いで、さながら菊の品評会のようでもあった。

 美しく着飾った招待客たちは思い思いに秋の風情を味わいながらそれぞれの会話を楽しんでいた。
 日頃腕を競い合っている菊自慢たちが各々の作品を紹介し合ったり評価し合ったりする声も聞かれた。

 史朗を伴った宗主一家と黒田、彰久夫妻が姿を現すとみなの眼が史朗に集まった。
史朗は宗主が紫峰祖霊への口上を述べた後に、鬼面川の代表として紫峰の祖霊に長寿と繁栄の祭祀を奉納することになっていた。

 千年前には親しく交流があったとはいえ、年月を隔てた今、みな鬼面川の祭祀を眼にするのは初めてで、ほとんど一地方の民間信仰の対象と成り果てた鬼面川がどれほどのものかと腹の中では小馬鹿にしていた。

 庭園に設けられた舞台の上で、宗主の祖霊に対する口上が終わると、古式ゆかしい装束を纏った史朗が舞台に上がった。

 その場のほとんどの人が自分の陰口を聞えよがしに言っているのが聞こえたが、いま祭祀を執り行おうとしている史朗はまったく意に介さなかった。

 眼を閉じて大きくひとつ深呼吸をすると、鬼面川の御大親に対して祭祀を執り行う許しを得る文言を唱え始めた。
 恩ある宗主一家とこの場の者の長寿と繁栄を祈る祭祀であることを御大親に告げた。
 祭祀が始まるとそれまで史朗への悪口雑言で騒がしかった会場がしんと静まり返った。

 修を惚れ込ませた史朗の所作の流麗な動きと淀みなく唱えられる文言の荘重さに誰もが心を奪われた。
 舞うが如く、その腕が、指が語り、唇に文言を唱えながら御大親にすべてを委ね奉る至福の表情は、荘厳で清浄な雰囲気の中で微かに色を帯び、見ているものを惹きつけずにはおかなかった。

 やがて清澄と静寂の中で祭祀を終えた史朗に、会場中から万感の思いを込めて惜しみない拍手が贈られた。
 紫峰の一族も藤宮の一族もこの未知の祭祀をこの上ないものとして受け取った。
史朗は何が起こったのか理解できないようで、しばらくぼんやりと立ち尽くしていたが、感動した長老衆に握手を求められて我に返った。

 修の方を見ると修はやったね…というように微笑んで頷いた。

 舞台を降りて修の傍に戻ってきた史朗に会場から何かもう少し鬼面川のものを見せてもらいたいとリクエストが来た。

 戸惑う史朗に彰久が舞を披露しなさいと進めた。
史朗は乞われるままに舞台へ上がり、静かにその場の人々に語りかけた。

 「これから披露いたします舞は、鬼面川では子孫繁栄に繋がる縁起の良いものとされております。
 もしみなさま方の中に現在身籠っておいでの方やこれからそのご予定の方がおいでなりましたら、どうぞ前の方へお進み下さい。 男性の方もどうぞ…。
 効果のほどは保障いたしませんが…。 」

 史朗がそう言うと彰久夫妻を含め、何人かの男女が前へ進み出た。
笙子と修の姿もあった。
 
 史朗は微笑むと修も初めて見る鬼面川の『実り』を謡とともに舞い始めた。
そのふくよかな舞の動きは祭祀とはまったく異なり、豊穣を願う想いに溢れ、見る人の心に温かなものを感じさせた。
 すべてを包み込み、隅々にまで染み渡り、身の内から溢れ出るような大きな愛に包まれて人々は次第に穏やかな気持ちになっていった。

 舞い終えると史朗は静かに一礼した。
これも一同から割れんばかりの拍手を貰った。

 祭祀と舞の効果か、その後この場では史朗に対する陰口が聞かれなくなり、宗主主催の饗応の席は和やかな雰囲気に包まれた。

 着替えを済ませた史朗も紫峰の家族として招待客をもてなしたが、驚くべきことにあちらこちらで舞を教授して欲しいという声を聞いた。
 
 最長老の一左はあちこちで史朗のことを聞かれたが、宗主があの祭祀に惚れて家族に迎えたという話をするとそれを疑うものは誰もいなかった。

 菊の宴は大成功のうちにお開きとなり、招待客はみな満足げに宗主自らが吟味した引き出物を手に帰宅の途についた。
 


 客が引き上げた後の庭園の四阿で史朗はひとりぼんやり菊を眺めていた。
紫峰や藤宮の一族に受け入れられたのが夢のようでこれも御大親のなせる業かと有難く思った。
 背後から近づいてくる誰かの気配に振り返ると、修が史朗のためにコーヒーを入れてきてくれた。

 「お疲れさん。 初めての宴席は気を使って疲れただろう? 」

修は優しく笑いかけた。

 「紫峰家に恥をかかせずに済みました。 失敗したらどうしようかと…。 」

史朗は今になって胸がざわついてくるのを覚えた。

 「最高の祭祀だったよ。 みんな驚いて声も出なかったぜ。 
実は紫峰家の面々は舞いが大好きでね。 結構目が肥えているんだ。
 長老衆を黙らせるには真正面からぶち当たるより、いっそのこと、きみの祭祀を見せたらぐうの音も出ないんじゃないかと思ったのさ。 」

修はそう言ってにやっと笑った。

 「どおりで…舞を習いたいという方が何人かおられました。 でも、僕は本職ではないのでどうお答えしていいか…。 」

 「きみに時間があれば教授してやるといい。どうせ相手はお遊びだから軽くね。
どこかの余興に役立つくらいに舞えれば十分さ。 」

史朗は分かりました…と素直に頷いた。

外灯に明かりが灯りはじめ、あたりが次第に夕闇に包まれてきた。

 「史朗…冷えてきたね。 そろそろ家に戻ろう。 」

 修がそう促した。
はい…と返事をしながら史朗は胸のうちに温かいものを覚えた。

 両親を失ってから家族と呼べる人に家に戻ろうと言われたのは何年ぶりだろう。
家に戻ろう…。

家族の待つ家に…僕の家に…。





次回へ 


















最後の夢(第十二話 父親)

2005-10-10 21:36:57 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 医師が驚くほどのスピードで回復している城崎はすでに病院のベッドの上でじっとしている気がせず、広い病院内をうろうろと歩き回っていた。
 若い警官は城崎の後をついて廻っていたが、気まぐれな城崎の動きについはぐれてしまうことがあった。
 城崎は巧く撒いたとほくそ笑んだりしていたが、何分もしないうちに簡単に追いつかれた。
 何度試しても必ず追いつかれ、時には先回りしているのではないかと思われるようなこともあった。
 
 「お巡りさん。 ほんと勘がいいね。 これじゃ俺絶対逃げられんわ。 」

城崎が感心したように言うと警官は可笑しそうに笑った。

 「そうか? 僕らは訓練してるから素人よりは勘が働くかもねえ。 」

 若い警官は時々倉吉と連絡を取り合っているらしく、城崎が病室にいる時にはほんの数分だけ姿を消すこともあった。

警官が出かけている隙に雅人と透が様子を見に来た。

 「元気そうでよかった。 心配してたんだぜ。 」

透が安心したように言った。

 「まじ退屈でたまんねえ。 監視付きだし。 わざわざ来てくれたのか? 」

城崎が訊くと雅人が意味ありげににやっと笑った。

 「この病院にさ。 ちょっとわけありが入院してんだよ。 
その見舞いの帰りに寄ってみたんだ。 」

 「こいつさ…来年パパになるかもしれないんだ。 」

 透が呆れたように肩をすくめて言った。
城崎はえっ?と思った。

 「あのさ。 それって透くんのいとこのこと? 」

 「とんでもない。 いつの間にか年上のお姉さまとできてやんの。 
そんでもって僕のいとことも別れる気なんかないんだぜ。 」

 雅人はまたにやっと笑った。
城崎は唖然とした。
こいつってそんなにもてんの…? 確かに背は高いけどさあ。
金もあるし…頭もいいけど…。 面もまあ俺よりは多少落ちるけど…そこそこ。

 「なにひとりでぶつぶつ言ってんだよ。 取り敢えず安心したから帰るな。
もう警官が戻ってくるだろうし。 」

雅人がそう言うとはっとしたように城崎はうんと頷いた。

 「ああ…有難うな。 宗主によろしく伝えてくれ。 覚えてねえけど。 」

透たちと入れ違いに警官が戻ってきた。

 「あれ…誰か来てたの? 」

勘のいい警官が訊ねた。

 「うん。大学の友だちが知り合いの見舞いに来たついでに寄ってくれたんだ。」

ふうん…と警官は何か思い当たる事でもあるかのように頷いた。

 透たちが城崎の見舞いに行ったことは、すぐに笙子から修の耳に届いた。
倉吉の配下の警官は透と雅人が城崎と同じ大学に通っていることを情報として知っていたし、以前に紫峰家と藤宮家の子どもたちに城崎が勧誘を試みていたことも知っていた。
何かことが起こってからでは遅いと思った警官は倉吉を通じて早々に笙子に連絡してきたのだった。

 「まあ大学の学友という立場からすれば見舞いに行くなとは言わないが、よくよく行動には気を付けるんだぞ。 」

 修は透と雅人にそう注意した。勿論ふたりはそのつもりでいた。
病院では必ず障壁を張って誰にも気付かれないようにしていたし、大学でもどこでも決して誰にも城崎についての話はしなかった。
 巻き添えを食わすといけないのでふたりが城崎を助けたり、見舞いに行ったりしていることは藤宮の悟たちにさえ話さなかった。




 城崎の実家とは西野が思いがけず城崎の父親と会話を交わしてからも接触らしい接触はしなかった。
 修が城崎の父親の息子に対する甘い指導の仕方に不快感を覚えたこともあるが、その必要性を特に感じなかったというのが本当のところだった。
城崎の実家側からも別段近づいて来ようとする気配はなかった。

 ところが事件が起きてから突然、城崎の父親の方から紫峰の宗主に目通りを願いたいと申し込んできた。
 他家の当主がわざわざ下手に出て申し入れてきたものを断る理由もなく、修は快くそれを受けた。

 約束の日城崎の父親はまるで身分の高い人に目通るかの如く正装して現れた。
修も略式ながら宗主として和服で出迎えた。
 初めて城崎と会った時とは異なって優しそうなお兄さんではなく、いかにも宗主らしい鷹揚な態度で臨んだ。

 城崎の父親はこの紫峰の屋敷に一歩足を踏み入れた瞬間から凄まじい力の存在を感じ取っていたが、家というのはその物自体にも力が宿るものだし、大勢の人が住まうこのような大家の中ではそのエネルギーが集合体として感じられることもあるため、それほど意に介してはいなかった。

 修と対峙し挨拶を始めた時にさえ、自分がどれほどの相手と向かい合っているのかなどということは考えてはいなかった。
 修の傍に控えている西野にも軽く会釈をした後、謹んで口上を述べ始めた。

 「ご尊顔を拝し誠に光栄に存じ上げ奉ります。
このたびは急な申し入れにも拘らず、お時間を頂戴仕りまして誠に有難く…」

 「城崎さん。 ご丁寧な挨拶痛み入りますが、宜しければもう少しお気楽に。 
私もその方が話し易い。 」  

 取り敢えずは失礼のないようにと思った城崎だが、修にそう促されて必要以上に畏まるのをそれまでにとどめおいた。

 「宗主…このたびはうちの息子の命を二度までも救って頂き、お礼の申し上げようもございません。
 また…ご家族さま方には何度もご迷惑をお掛け致し、心より申し訳なくお詫び申し上げます。

 もっと早くお礼とお詫びに伺うつもりでしたが、かえってご迷惑かとも思い控えておりました。
 
 これはほんのお口汚しではございますが、城崎の気持ちとお察し頂き、どうかご笑納くださいますように…。 」

 城崎の後ろに控えている男が風呂敷で丁寧に包まれた菓子折りのようなものから風呂敷を解いて、傍に控えている西野の方へと一礼して渡した。

 西野はそれを謹んで受け取り、修の方へと渡そうとした。

 「慶太郎…お気持ちだけ頂戴する。 お返し致せ。
城崎さん。 かようなお心遣いは無用にして頂きたく存じます。 」

 城崎は驚いたように修の顔を見た。修の目に薄らと侮蔑の色が浮かんでいた。
何か手落ちでもあったのだろうか。宗主の機嫌を損ねたのだろうか?

 「宗主…これはただの菓子でお気遣い頂くような代物ではございません。 」

 「ご自身でお確かめあれ。 どなたかの封印がなされてあるようだが…。 」

城崎が折を開けると和紙に包まれた札束が現れた。 

 「これは…これはとんでもないご無礼を致しました。
兼元どうした訳だ? 私が頼んでおいたものとは違うではないか? 」

修に頭を下げて詫びると、城崎は後ろに控えていた男に説明を求めた。

 「頼子さまがご用意あそばされまして私は一向に…申しわけございません。」

兼元と呼ばれた男はうろたえながら平身低頭詫びた。
 
 「いや…まったくお恥かしいことで。 何を勘違いしたのやら…。
実は今息子のことで家内が臥せっておりまして。代わりに他の者に頼んだのが間違いでした。  」

 城崎は動揺を隠せなかった。この宗主は箱の中身を見抜いただけでなく、自分さえ気付かなかった封印にまで気付いた。
 頼子め…小細工をしおって。
城崎は若い妾の顔を思い浮かべた。
 おそらく宗主が封印に気付かずこの金を受け取ってしまえば、あとあと紫峰家に対して大きな顔が出来ると踏んだのだろう。

 「どなたが細工されたことであろうと…責任はあなた自身にあるのですよ。 」

修は穏やかに城崎を見つめ静かに言った。

 「どうか…その方をお叱りになりませんように。
おそらく随分とお若い方なのでしょう。 
そのような方に奥さまのようなご配慮をお求めになるのは無理かと思います。 」

 何もかも見通しているかのようにゆったりと微笑みかける宗主の姿に、背筋が寒くなるような気がした。

 「さて…わざわざお訪ね下さったのは礼や詫びを言うためではないのでしょう?
紫峰家に何をお求めです?
 まさか…ご自分の息子さんのなさったことをすべてなかったことにしてしまいたい…と思っておいでなのではないでしょうね?  」

修に言い当てられて城崎は心臓が飛び出るかと思うほど驚愕した。

 考えてみればこの屋敷に来たその時から城崎の能力は働かず、頼子の如き能力者の封印にさえ気付かない有様。
そればかりか、こちらの行動はすべて見通され、目的までも知られてしまう始末。

 城崎の家にも人の心を読める者はいる。相手の力を封じられる者もいる。
しかし、城崎の家の当主である自分を完全なまでに封じられる能力者はいない。
いまだかつて誰かに胸のうちを読まれた経験などもない。

 紫峰ほどではないにせよ、古から滅びることなく続いてきた城崎の家の力は、城崎の知りうる限りでは歴史的に見ても最強に属すると自負していた。

 ところがどうだ。この紫峰の若い宗主の前ではまるで赤子のようではないか。
城崎は血の気が引く思いだった。冷や汗が背中を濡らした。

 「お恥かしい話ではありますが…おっしゃるとおりです。
このままではあれはどんどん深みにはまり抜け出すことができなくなるでしょう。
 そうなったら愚か者の行き着く先は目に見えております。
今のうちに世間の記憶からあの馬鹿息子を消してしまいたいのです。 」

城崎はハンカチを取り出すと汗を拭き拭きそう答えた。

 「我々城崎の一族は予知や探知には能力を発揮しますが、人の記憶を操作することは不得手なのです。
 まったく出来ないというわけではありませんが、世間が相手となるとあまりにも対象が大きく、力の及ばぬ所も出てくるのではないかと懸念いたしまして…。
 
 紫峰家にはさまざまな力を持つ方がいらっしゃるようで、もしかするとそういう力に長けていらっしゃる方もおみえではないかと思い、恥を忍んでご助力のお願いに参りました。 」

 城崎は正直に来訪の目的を述べた。
いまや誤魔化したところで何の意味もなかった。

修はふうっと溜息をついた。

 「なぜ…もう少し早く手を打たれなかったのですか? 
そうすれば他家の者に頭など下げずとも済んだものを…。 」

修の言葉に城崎は尤もだ…というように頷いた。

 「すべては私の責任です。
忙しいからと家庭のすべてを家内に任せ、瀾を野放しにしておいたせいなのです。
 あれが家を出ると言い出す前に手を打っておればこんなことにはならなかった。
世間知らずの子どもに何が出来るかと高を括っていたのが間違いでした。 」

城崎は大きく溜息をついた。

もはや手遅れとは分かっていても何とかしてやりたいのが親心。

 いや…瀾のことはともかくも、このことが原因で一族を危険な目に晒すのだけは避けなければならない。

城崎はそう決心して修を訪ねたのだった。

 修としてはこの甘い親爺に言いたいことが山ほどあったが、過ぎてしまったことを今更言っても始まらず、どう返答すべきかを考えていた。

 他家の依頼を受けて外に力を及ぼすなど、あまり例のないことでさすがの修にも即答はできかねた。

 「紫峰は命に関わるような場合や緊急の場合を除いては外部に力を及ぼすようなことは致しません。
 ご子息をお助けしたのはあくまで命の危険を考えてのことです。
ご期待に沿えず申し訳ないがこの場はお引取り願います。 」

 修の返事に城崎はがっくりと肩を落とした。
しかし、それも致し方のないことと重ねて非礼を詫び紫峰家を後にした。

 屋敷を出て行く城崎の父親の背中が修にはひどく寂しげに映った。
何とかしてやりたいという親心とそれができないジレンマの中でもどかしい思いを味わっているに違いない。

 その気持ちは分からないではないのだが…。

 修は親代わりになって透を育ててきたが、実際透の父親としての自分はどうなんだろう…いい父親と言えるのだろうか…と我が身に問いかけてみた。

 それはどの父親も自分では答えることのできない問いではあったけれど…。




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最後の夢(第十一話 寄生虫)

2005-10-08 16:54:30 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 それは一瞬の出来事だった。
ひとだかりの中をかき分けて救急隊員が到着するまでの間に、障壁を張ったふたりが城崎の命が途切れることのないように応急手当をして去って行った。

 『運がいいね。 心臓から外れてる。 まるで臓器の間を縫ってるみたいだ。』

 「あほ…はずしたんだ…そのくらいしかできんかったけどな。 」

 『止血したから…しばらくは大丈夫。 ごめんな…死なない程度の手当てで…。
神経や血管もゆっくり自己修復をさせているけど…ばれるとまずいから。』

 雅人と透はあっという間にその場から姿を消した。
誰もふたりには気付かなかった。

 救急車に乗せられた時、城崎はすでに気を失っていた。
気が付いた時にはすでに日付が変わっていた。
病室には両親が来ていたが、命に別状がないと分かると相変わらず小言ばかり言っていた。

 病院の外ではものすごい騒ぎになっていた。
事件を目撃した城崎が襲われて背中を刃物で刺されたという情報が飛び交い、報道陣が押し寄せていた。
 しばらく鳴りを潜めていた城崎がここへ来て再び目撃者から被害者に姿を変えて現れたのだ。取材チャンスを逃すまいと病院の周辺をすっかり固めていた。

 城崎の父親にはある程度の予知能力があったが、城崎は探知能力はあっても予知する能力にはあまり恵まれていなかった。
 危険を察知していながら目の前の囮に気を取られて背後の犯人に気が付かなかったとはお粗末だと父親からは貶された。

 雅人と透のお蔭であの世行きを免れたとはいえ、今度は当分ベッドで過ごすことになってしまい、自宅謹慎の方がまだましだったと心から嘆いた。



 城崎が襲われたことで城崎の証言にも少しは参考になるところがあるかもしれないと思い始めた警察は、再び城崎から情報を仕入れようとした。

 前の扱いに腹を立てていた城崎は倉吉以外の警察官は寄せ付けなかった。
囮になったハーフコートの男の人相や使われた車の車種、ナンバーは多分偽造されているとは思うが一応…倉吉にはすべてを語って聞かせた。

 前と同じように倉吉は真剣に城崎の話を聞いてくれた。
再び襲われる可能性があるからと今度は護衛を置いていってくれた。
 柔道参段だというこの若い警察官はどうやら城崎をほら吹き青年とは見ていないようだった。
警官の中にも城崎を色眼鏡で見ない人がいるのだと思うとなんとなく嬉しかった。
倉吉もこの若い警官も城崎と同じ能力者であることを知る由もなく…。 



 紫峰家の使者として鈴のその後の様子を見に行った史朗の知らせで、鈴が入院したと知った修と雅人は急ぎ病院へ駆けつけた。

 鈴はひとり部屋のベッドの上でぼんやり天井を見つめていた。
修と雅人が現れた時、急いで起き上がろうとするのを慌ててふたりが止めた。

 切迫流産で子どもが助かるかどうかまだ分からないと言われていた。
子どもがおりてしまわないように24時間毎日点滴をしながらじっと寝ているしかない。
このまま安定するまで気の遠くなるような時間を過ごすのだという。

 健康体でありながら御腹の子どもを護るために動けないなどということは、修や雅人には想像を絶する状況だった。

 「つわりもあるので今はあんまり食べられないんですけど、でもまあまあ元気ですから。」

そう言って鈴はにっこり笑った。

 「いつまでこうしてなきゃいけないの? 」

雅人は心配そうに訊いた。

 「たいていは五ヶ月くらいまでなんですけど…ずっとこのままの人もいるらしいです。 しんどいですねえ。 うふふ。 」

 鈴はつらい顔は見せなかった。
産むと決心してくれたのは嬉しいが、あまりにも大変そうで雅人は気が気ではなかった。

 「私ねえ…雅人さん。 降ろすつもりでした…。 
でも流産しかかってると聞いたら…なんだかこの子が可哀想になって…。
宗主のお子の生まれ変わりかも知れない…。 そんな気がして。
そうだったら絶対死なしたらいけないと…。」

修は驚いたように鈴を見た。

 「そう思ったら吹っ切れました。 出来るだけがんばって見ますけど…。
どうしてもだめだったら堪忍してくださいな。 」

 鈴は微笑みながら雅人と修をかわるがわる見つめた。
ふたりともただ大事にしてくれ…と月並みな事しか言えなかった。



 鈴のことで大失敗をした長老衆は怒りの矛先を、同族でもないのに使者を務めた史朗に向け始めた。
 史朗の存在が修たち夫婦の邪魔になっているとか、さんざん世話になっておきながら修の信頼を裏切ったとか批難の手紙や嫌味な電話が史朗を苦しめるようになった。

 心優しく親切なふたりに集る蛆虫…寄生虫…恩知らず…そんな暴言が飛び交い、史朗の胸を痛めつけた。

 他人に言われなくてもそのことに一番心を痛めているのは史朗自身で、いつもいつも修には申し訳ないと思いながら誠心誠意尽くしてきたつもりだった。
 笙子の会社を成長させることが、自分をアルバイト時代から支えてくれて、一人前に育ててくれたふたりの恩に報いる道だと考えて粉骨砕身働いてきた。

 だけれどもさんざんに人から言われてみると、やっぱり自分はふたりの傍にいるべきではないと思えてきた。
 史朗の存在がふたりを普通じゃない生活に引き込んでいるようで、何もかもが史朗のせいで歪んでしまっているように感じられた。 
 
 修や笙子が史朗を家族として迎え入れようとしていることなど知る由もなく、悩んだ史朗はついに会社をやめてふたりの前から消える決心をした。



 笙子が泣きながら修に電話してきたのはそれから間もなくのことだった。
史朗から別れ話を持ち出されたと笙子らしくもなくうろたえ、冗談も言えないほどに落ち込んでいた。

 修にとっても寝耳に水だったが、史朗がそこまで追い詰められた理由にはすぐに思い当たった。
 絶対にやつらの思い通りにはさせん。笙子の大切な夢を壊されてたまるか。
笙子を苦しめるやつらは僕が叩き潰してやる。
 
 修はすぐに史朗を訪ねた。
史朗のマンションの呼び鈴を押すのももどかしく、史朗がドアを開けると否も応もなく部屋に上がりこんだ。
 大柄な修が史朗を壁に押し付けるようにして迫ると、その勢いで史朗は壁に背をぶつけ一瞬息もできないくらいに圧迫された。

 「笙子を泣かしたら殺すと言った筈だ。 」

 以前史朗を凍りつかせた修の仮面のような固い表情が再び史朗に襲い掛かった。
えぐるような冷たい視線が史朗を射抜くように思われた。

 「笙子は病気だ…。 子どもの頃に受けた心の傷がもとであの身体が自分のものとは思えなくなっている。 

 だから浮気を繰り返して心と体の一致する瞬間を捜しているんだ。
でも誰からもその瞬間を得られない。 僕でさえ与えてやれない…。

 ところがきみだけはなぜかそれが出来る。
ほんの一瞬の手応えが笙子にはものすごく重要なんだ。 

 悔しくて憎らしくていっそきみを殺してしまいたいほどだけれど、笙子の心が救われるなら僕の気持ちがどうあろうとどうでもいい。

 笙子が笑って馬鹿なジョークのひとつも飛ばしていてくれるなら、僕の胸が引き裂かれたって構わないんだ。」

 史朗にとってそれは初めて聞く修の本音だった。
やはり…修さんは僕を憎んでいる。それを知った瞬間涙が頬を伝った。

 ずっとそれを怖れていた。
修の口から憎いというその言葉が語られるその時を。

 「殺してください…あなたの手で…僕はそれだけのことをしてきました…。 」

 史朗は涙声で呟いた。
心を苛まれている史朗の声を聞くと、修は自分の中にどうしようもない甘い感情が沸いてくるのを抑えることができなかった。

 その感情は修が透たちを育てていた頃によく味わったものに似ていた。
腹を立てている自分の前で子どもたちが心痛めているのを見ると、どうしても怒り続けることが出来なくなる。
親が子どもに抱くであろう感情に何処となく似ていた。…勿論似て異なるものではあったけれど…。

 「僕のことは気にするなと言っただろう…。 」
   
修の顔に表情が戻った。少しだけ口調が穏やかになった。
  
 「有能な仕事上のパートナーとしてのきみだけが必要なわけじゃない。
きみという人間が丸ごと必要なんだ。 」

史朗は俯いて恐る恐る訊ねた。。

 「僕は…寄生虫じゃない。 
おふたりに集る蛆虫じゃないと信じていいのですか…? 」

 「誰がそんなことを…。 

きみは誰よりも働き者で…誰よりも役に立ってくれている。 
寄生虫なんかであるわけがない。 

可哀想に…それで出て行こうとしたのか? 」

修は史朗の肩を押さえ込んでいる両手を離した。
 
 「いいえ…これ以上あなたに憎まれたくないと…そう思ったから…。 
あなたの本音に気付いていないわけでは…ありませんでした。 」 

溜息がひとつ史朗の唇から漏れた。
 
 「それでも僕の我儘な想いに答えてくださった。 
修さんの中の樹の心が僕の中の華翁の心に答えたのだと…そう思っていました。
きっと修さん自身は憎い僕などに触れたくもなかったに違いないと…。 
だけど十分僕は嬉しかった…。 」

切ない笑みが史朗の口許に浮かんだ

 「違う…。 それは思い過ごしだ。 
きみに嫉妬し憎む心は確かにあるし、それは僕の中からは絶対に消えないだろう。
 だけどきみのことが好きでずっと傍に置いておきたい気持ちも消えないんだ。
ごめん…確かに僕は笙子を愛するようにはきみを愛せないけど…。 」

 何を言われたのかすぐにはピンと来ずに史朗は目をぱちくりさせた。
やがて史朗の顔が真っ赤に染まった。

 「傍に…いてくれないかな? 僕と笙子の傍で…僕らを支えてくれないか?
笙子のためになんてごまかしは言わない。
どうしてもきみを嫌いになれない僕のために…。 」

 修が史朗の目を覗き込んだ。史朗ははっきり頷いた。
他人が史朗をどう貶そうと批難しようと、ふたりが心から史朗を必要としてくれるならそれが何だというのか。
 
 「有難う…。きみに酷いことを言ったやつらは僕が必ず黙らせてやるから。」

修はほっとしたように笑みを浮かべた。

 「いいんです…。 誰になに言われても構いません。 
修さんのお気持ちさえ分かればそれで…。 」

 修の心の中に史朗への憎しみが生涯消えずにあったとしても、好きだから傍にいてくれ…と言ってくれたことには変わりない。
 笙子のようにとは…女性を愛するようにということなのか、それとも笙子ほどにはということなのかは分からないが、それももうどちらでもいい。

 孤独な史朗にとって誰かに必要とされ愛されることは何物にも代え難い幸せだ。少々ほろ苦い幸せではあるけれど…。
史朗は修と笙子の傍で修と笙子のために生きていこうと決めた。

 ふたりにはこれまで同様誠心誠意尽くしていく…がもはや紫峰の一族にも藤宮の一族にも遠慮はしない。
 もう誰にも寄生虫と言われることのないようにその存在価値を他人にもはっきり示していこうと考えていた。


 
 

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最後の夢(第十話 口封じ)

2005-10-06 20:03:11 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 土曜日だというのに朝から忙しく、会社から、長老会から、その他諸々の組織から報告だの、招待だの、さまざまな連絡が届いた。
 最後に西野からの報告を聞き、あれこれと指示を出した後、修は少しのんびりしたくなって洋館の方へと足を運んだ。
 
 雨あがりの朝にいっせいに花開いた金木犀の香りがあたりに漂っていて、洋館に着く頃には何となく華やいだ気持ちになっていた。

 洋館の居間には珍しく笙子の落ち着いた姿があった。
笙子は何か雑誌のようなものを読んでいたが、新しい企画でも考えているのかもしれない。

 仕事の邪魔をしないように寝室の方へ引っ込んだ。
ベッドに寝転がって読みかけの本を開くと、仕事中と思っていた笙子が修の手から本を奪った。

 「なあに声もかけないで引っ込んじゃって…。 」

 「ごめん…。 仕事中だと思ったんだ。 」

修の困ったような顔を見て笙子は笑いながら本を返した。

 「どうして史朗ちゃんを使者に使ったの?
長老衆が嫌なら西野さんでもはるさんでも良かったのに…。 」

笙子は修の顔を覗きこんだ。

 「史朗という人の紫峰での立場をきちんと示しておく必要があったからだよ。
雅人と違って彼は鬼面川の人だし、両親も兄弟もなくてひとりきりだ。

 今は僕やきみがいるからいいけれど、万一僕らがどうにかなってしまったら紫峰も藤宮も史朗を蔑ろにするだろう。
彼がきみの会社を大きくした功労者であることも忘れて。

 史朗は僕を愛し、きみを愛し、本当に心から尽くしてくれている大切な人だ。
多分きみは僕と彼の子を生むだろうし、僕はそうなってくれるよう願っている。

 彼が紛れもなく、きみや子どもたちに匹敵するほどの僕の家族だということを周りに教えてやったのさ。 」

 そう言って修は笑顔を見せた。
ああそれで…というように笙子は頷いた。

 「そうね。近いうちに私も藤宮に対して史朗ちゃんの立場をはっきりさせるわ。
私にとって大切なパートナーなんだってことを…。
ふたりに赤ちゃんをプレゼントできるかどうかまでは分からないけど…。 」

 幾分寂しそうな笑みを浮かべて笙子は言った。 
修は笙子に向かって両の手を広げた。
笙子が躊躇いもなくその腕の中に飛び込んでくると修はしっかりと受け止めた。

 「遊ぶの疲れちゃった…。だからそろそろ修と史朗ちゃんだけに限定する。」

笙子がぽつりと呟いた。

 「そう…。 そりゃあ親子鑑定が楽でいいや。 」

 修はそう言ってからからと笑った。
ま…いつまで続くかは疑問だが…と心の中では思った。

 「修は史朗ちゃんの将来と立場まで考えてたのね? 
だけど史朗ちゃんは何があろうと何とでも自分でやっていける人でしょ? 」
 
笙子は不思議そうに訊いた。

 「当たり前だ。 一端の男なんだから。 病気だとか何か事情があるとかなら別だけど、やっていけないような奴は相手にはしない。」

修はきっぱりと断言した。

 「相手って修…あっちの話? 」

 「違います。 仕事の上でも友達でも何でも付き合う場合にってことで…。 
どうしてそっちへ行くかなあ…?」

 修は天を仰いだ。
笙子は冗談よ…と笑った。

 「いくら実力があっても後ろ盾もなしにきみの会社引き継ぐのは大変だぜ。
いまはきみがバックにいるし、使われている方だから文句も出ないが…。
使う側にまわるとなるといろいろあるだろう? 」

 「修は最初から史朗ちゃんを高く評価してたもんね。奨学金までだしてあげて。
齢はそれほど離れてないのに親みたいな顔して可愛がってた。 」

 「それだけの実力を持つ男だからだよ。 性格も最高だしね。
そうじゃなきゃきみの特別な愛人だなんて絶対に許さない。 」

修の笙子を抱く手に力がこもった。

 「修は…彼のこと愛してる? 」

修は一瞬の戸惑いを見せた後、腕の中の笙子に目を向けた。

 「今でもよくは分からん。 
笙子を愛するように愛せるかと訊かれれば…そいつは無理だな。

 好きの感覚がどっか違うような気がするんだ。
突発的と言うか単発的というか持続しないんだよ…。

 彼を見ていると、こいつって健気とかほんと可愛いって思う瞬間があってさ。
そういう時はものすごく愛しく感じる。 こいつのこと大好きかも…って。

 だけどきみが彼の腕の中にいる時は心の底から憎らしく思えることもある。
それはいつもじゃなくて、ごくたまにだけど…。
 そういう時だけはめちゃめちゃに苛めてやりたくなるんだ。
やらないけどね…。 」

 「私が修の嫉妬心を煽り立てるようなことばかりしてるものね。
この間、史朗ちゃんにも叱られた。 修の前ではモーションかけるなって…。 」

 修は肩をすくめた。
史朗ちゃん…きみはほんとにいい子だと苦笑した。

 「僕ってほんと嫌なやつだね。 疑いを知らない天使の前で優しい男を装いながら、心の中ではその羽を毟り取って苦しめようとしている。」

 「またそうやって悪ぶる…。 何度も言うようだけどあなたの優しさは本物よ。違うと言うのなら試してみるといいわ。
史朗ちゃんを苛めて御覧なさいよ。 絶対できないから。 」

 笙子は自信ありげに断言した。
それにあなたみたいなどこか頓珍漢な人は誰かを苛めに行って逆に助けて帰ってくるのが落ちなのよ…と心の中で呟いた。
 


 大学でも家でも雅人はいつもどおりの生活を送っていたし、バイトも相変わらず続けていた。
 デート禁止令が出て以来真貴とは会っていないし、こんな時に真貴と会うのが不謹慎な気もしてちゃんとした説明もしないままに遠ざけていた。

 真貴は真貴で雅人の抱えている問題を伝え聞いてはいたが、本人が話したくなるまで待とうと考えていた。

 長老衆の一人である祖父が祖母に、本家にとんでもない女を送り込んでしまったと話しているのを、真貴はたまたま耳にしてしまった。 
 岩松とすれば自分が送り込んだ女が、孫娘の恋人に手を出したことになり、真貴に何と弁解したらいいのか分からないと嘆いていた。

真貴は紫峰家を訪ねて透と隆平に伝言を頼んだ。

 「雅人には…その子…私が貰い受けるから安心しなさいと言っといて。 」

 「でも真貴…浮気相手の子だよ? 」

透はこの健気ないとこの気持ちを思うと胸が痛んだ。  

 「はん! 雅人みたいな男と一緒になろうって私がいちいち誰の子彼の子かまってられるかっての。
 賭けてもいいけどあいつ…これ一回じゃ終わらんからね。
性懲りもなくまたどっかで悪さして来るに決まってるわ。 」

 あっはっはと真貴は豪快に笑い飛ばし、それじゃお願いね…と言って帰っていった。
 逞しい…透も隆平も呆気にとられた。

 後でその話を聞いた雅人はあいつには敵わねえ…と呟いた。

 「未来の奥に後始末してもらうようじゃ俺もたいしたことない男だねえ。
あいつには一生頭あがんないかも…。 」

 そう言ってにやっと笑った。



 閉じ込められ、監視されてから二週間、無事何事もなく過ごした城崎は、自由の利かない生活に嫌気がさしていた。

 犯人はきっと俺を大ぼらふきと思ってんだぜ。いいじゃないそんならそれでさ。
不安がなかったわけではないが城崎はいい方に解釈することにした。

 昼からの講義が休講になったのを幸いに、迎えが来るまでの間だけのつもりで大学を抜け出した。

 近くのコーヒースタンドで軽く昼を済ませ、本屋で立ち読みし、CD屋を覗き、新しいアルバムを物色した後、久々に爽快な気分でまた大学に続く道を歩き出した。

 背後に誰かの視線を感じた。全神経が危険信号を鳴らし始めた。
城崎は小走りに大学へ向かった。

 城崎のすぐ横の道路を車が走りぬけ、先の方で停車した。
車から季節はずれのハーフコートを羽織った男が降り立った。
男は近づいて来るでもなく、じっとこちらに眼を向けていた。

 何かしら不気味なものを感じながら城崎は男の前を通り過ぎようとした。
その瞬間、城崎はあっと叫んだ。
背後から突然突き立てられた刃物が城崎の身体を貫いた。
敵は目の前の男ではなく背後から忍び寄っていた。

 城崎がそのままその場に倒れこむと男と背後の敵は車に乗って立ち去った。

 けたたましい叫び声がして人が集まってきた。
薄れゆく意識の中で透たちの声が確かに聞こえた…。





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最後の夢(第九話 殺人と信用のない目撃者)

2005-10-05 10:22:41 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 史朗が紫峰の使者として鈴を実家へ送り届けた翌日、雅人はその様子を訊くため史朗のマンションを訪ねた。
 
 話し合いの席で雅人は自分の思いを正直に鈴に話したが、鈴はただ黙って聞いているだけで何の返事もくれなかった。
 どうにも埒があかず、後は鈴の意思にに任せるということになった。
多分鈴はひとりになってよく考えたいのだろう。
或いはもう決心していて次に会う時には結果だけを聞くことになるかもしれない。

 史朗は両親の対応などを話してくれたが、そこから察するに実家に帰っても鈴は決して幸せではないんだと雅人は感じた。

 「馬鹿だよ…僕は…成り行きで妊娠させるなんてさ。 
素人じゃないなんて言えたぎりかっての…。 
本当に可哀想なことしちゃった。」

 世間にはよくあることだけど…きみが誠実なだけまだましだよ…と史朗は内心思った。

 「まあお互いに不注意だったことは確かだね。
そういう可能性があることは分かっていた筈だし…。

 だけどきみが鈴さんを助けるために自分の過去を曝け出したんで、その事をすごく気にしてて…何度も申し訳ないと言っていたよ。 」

 それを聞いて雅人はそんなこといいのに…と呟いた。
雅人はぽつりぽつり過去のことを語り始めた。

 「僕の父が亡くなってから修さんはずっと仕送りしてくれてたんだ。
生活費やら教育費やら親子ふたり十分生活していけるくらい。

 母もパート勤めしてたから何事もなければ困ることもなかった。
でも修さんが留学したあとで母が入院したんだ。
治療も長くかかるし、手術も必要だっていうのでどうしても急なお金が要るようになって。
 紫峰家に頭下げれば済むことだったんだけど…修さん以外のやつらに頭なんか下げたくなかったから。 」

 雅人の母は紫峰家ではるの片腕として働いていた人だった。
見初められて、一旦は冬樹の父鉄人との婚約が調いながら、紫峰家の都合で身重にも関わらず屋敷を追われた経緯がある。

 「アパートの隣の部屋にいつも親切にしてくれるスナックのママがいてさ。
相談したらクラブを紹介してくれたんだ。

 身体がでかいから年齢をごまかしとけばアルバイトできるって言われて…。
愛想よくにこにこ笑って座ってることしかできなくてさ。
最初はお世辞のひとつも言えなかった。

 お客さんからは何故かそのうぶさがうけて可愛がってもらった。
うぶは当然だよな…中学生だもん。 
そのうちに客と寝たら手早く稼げるってことを覚えた。

 母の治療が一段落ついて足洗おうと思ったときにはもう遅くて…抜けさせてもらえなかったんだ。
 知らないうちに結構な稼ぎ手になってたらしくて。 」

 雅人の問わず語りを聞きながら史朗は雅人のためにコーヒーを淹れた。
部屋中が芳ばしい香りに包まれた。

 「結局、帰国した修さんが助けに来てくれるまでずっとその店で働いてた。
金を手にする快感てのはさ…魔力みたいなもんだから。
そこで働くのは別につらいとは思わなかった。 」

お金の魔力ねえ…と相槌を打ちながら史朗がカップを手渡した。

 「つらかったのは何の罪もない修さんが僕や母に謝ったこと…。
手を突いて頭下げて…自分の配慮が足りなかったために僕に身体売らせるようなことさせたって…。
 修さんのせいじゃない。 僕が勝手にしたことなのに…。 」

雅人はふうっと溜息をついた。

 「また迷惑かけちゃった…。 だめだな…いつまでたっても役立たずだ。 」

 史朗の入れてくれたコーヒーを飲みながら雅人は自嘲した。
史朗は自分の入れたコーヒーの熱さに顔をしかめながら慰めるように言った。
 
 「ま…男と女のことはそいつが持ってる力とは別もんだからな…。
聖人君子と言われるような男が女でドカンと失敗することだってあるんだからさ。
ましてや僕らは唯の人…おっと失礼。 」

 「いいよ。 そのとおりだもん。 」

 雅人は屈託なく笑った。
従兄弟同士のせいか雅人はやはり何処となく修に似ている。
修に惚れている鈴がついその気になったのも分かるような気がした。



 単独行動をとるようになっても城崎は相変わらずマスコミから離れようとはしなかった。あの事件の後も二人ほど行方不明者を発見してますます絶好調だった。

 大学構内でも行く先々で人だかりができるほどだったが、紫峰や藤宮の面々は知らん振りを決め込み、城崎も近づこうとはしなかった。

 その夜、番組の打ち合わせを終えた城崎は、珍しく取り巻く連中もなく真っ直ぐ自宅へ向かっていた。

 いつもなら表通りの明るい道を通って帰るのだが、打ち合わせが長引いて遅くなったこともあり、街灯の少ない暗い公園を抜ける近道を通ることにした。

 公園の入り口付近で悲鳴のような声を聞き、城崎は立ち止まった。
暗くて普通なら何も見えないはずだが、城崎の目には走っていく男の姿と倒れている男の姿がはっきり見えた。

 城崎の後から同じ方向へ歩いてきた女も声を聞いた。
その女は前にいるのが城崎であることには気付かなかったが、ふたりとも慌てて声のした方へ駆け出した。

 現場に倒れている男は、刃物か何かで腹や首を刺されたらしく、夥しい血が流れ出していた。

 腰を抜かさんばかりの光景だったが、それでも城崎は動揺を抑えて携帯を取り出し、震える手で何とか警察に連絡を取った。

 一緒に駆けつけた女は救急車を呼んだ。
この女がたまたま現場に居合わせたことが、後々城崎にとんでもない危機を招くなどとは、この時点ではさすがの城崎にも予想がつかなかった。

 倒れている男にはすでに息がなく、居合わせた二人には身の置き所がなかった。
警察が現場に到着するまでの間がものすごく長く感じられた。

 警察がやっと到着して二人に事情を聞いた。
悲鳴を聞いて現場に駆けつけ被害者を発見したことまでは一致していたが、城崎はうっかり現場を立ち去った男がいたことを話してしまった。

 街灯もあまりないこんな暗闇の中で普通なら見えるはずのない犯人の姿を聞いた時、事情を訊いていた警察官はこの男がいまマスコミで話題になっている超能力者だということに気が付いた。

 超能力者城崎の証言はその時点で直ちに信憑性のないものとして扱われるようになった。
 マスコミで騒がれた分だけかえって警察には、城崎という青年は信用のおけない人物という印象を与えてしまっていた。

 勿論、望まれれば城崎は逃げた男の顔や特徴を正確に話すことができたが、信用されていないのではお話にもならず、ただひとり同僚から物好きと言われながらも真面目に聞いてくれた倉吉という警官にだけは今の自分に分かっていることを全部伝えておいた。

 翌日は大変な騒ぎだった。
あの超能力者城崎が本物の殺人事件に出くわしたということで、マスコミが朝からインタビュー合戦を開始したのだ。

 城崎本人は誰に何を訊かれても、悲鳴を聞いて駆けつけたら人が倒れていたということしか話さなかったが、報道陣は城崎にインタビューするだけでなく一緒に居合わせたあの女にもマイクを向けてしまった。
  
 女の口から女には見えなかったが城崎が犯人を見ていたという話が飛び出し、マスコミの取材は一段と熱を帯びた。

 しかし城崎は警察が受け入れていない情報については一切語ろうとしなかった。
あまりの世間の加熱振りに息子の身を案じた城崎の父親は、城崎を半ば強制的に実家に連れ戻した。
 
 城崎としては強引な父親のやり方に不満はあったが、前のこともあり、表立って逆らうことはできなかった。
 紫峰の宗主が予想したとおり、あの時実家も襲撃を受けて何人か怪我人まで出る騒ぎになった。幸いなことに怪我といっても軽い打ち身程度で済んだらしいが…。

 「犯人が警察同様お前のことを大ぼらふきだと思ってくれるなら問題は無い。
だが少しでもおまえの力を信じる者なら必ずおまえを狙ってくる。
相手がひとりならおまえでも何とかなるだろうが、ひとりとは限らんからな。 」

 書斎の椅子に腰を掛けて城崎の父親は城崎に言った。

 「安っぽい正義感に駆られて隠すべきその力を世間の眼に晒した結果がこれだ。
信用されなくてもいい相手には信用されて、信用されたい相手には拒否される。

 よほどのことがなければ警察はおまえを助けには来るまい。
殺されでもしたら大勢引き連れてやって来てくれるだろうがな。

 それもこれもすべておまえ自身が招いたことだ。 」

城崎は返す言葉も無くてただ項垂れた。
 特殊な力を世間に晒すことは常に命の危険と隣り合わせだ…という紫峰の宗主の言葉が浮かんできた。

 城崎の父親は城崎に許可するまでひとりでの外出を禁止した。大学へは車で送迎させ、マスコミはシャットアウトする。
おまけに城崎の周辺を一族の能力者で固めることにした。
手枷足枷の窮屈さに城崎は不満を漏らしそうになったが、かろうじて胸のうちに収めた。



 笙子のもとに倉吉からの連絡が入ったのは事件後すぐのことだった。
倉吉は城崎が警察にまったく信用されていないことやそのために警察からの保護を受けられないだろうことを話した。

 倉吉は笙子の配下の者で、紫峰家における西野のように代々藤宮に仕えている一族のひとりである。
 紫峰では大手私企業や金融機関に宗主の息のかかった者が多く潜伏しているが、藤宮では公の機関や学校などに配属されていた。

 忠義一筋の昔とは違って、今の若い層は自分たちの存在を護るために組織的に動かざるを得ないというのが本当のところだろうが、それでも尊敬に値する長や宗主のためには労を惜しむ者はいなかった。

 笙子は倉吉に引き続き監視を怠らないように忠告した。城崎が犯人を知っている以上、城崎を監視することは警察官としての彼の仕事でもある。
 あれこれと事件の捜査をこなしながら倉吉は、同僚に不審がられない程度に城崎にも目を向けることを忘れなかった。




 
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最後の夢(第八話 誰の子?)

2005-10-03 21:58:32 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 勝手な思い込みがとんでもない事態を引き起こすということは間々あることだ。
修としてはちゃんとした指導を受けていない城崎に、自らの言動に責任を持ち、軽はずみなことは慎むように忠告しただけのつもりだった。

 ところが城崎にしてみれば修は怪物と思しき存在に感じられたらしく、その怪物から紫峰に関わるなと脅迫されたように受け取ってしまった。

 それ以来、透たちにも接触することはなく、城崎が危険な目に遭った経緯からグループも解散して単独で行動するようになった。

 城崎が常に単独行動するようになったことで紫峰も藤宮も警戒を解いた。
ただし監視を付けておき、注意だけは怠らなかった。

 特に紫峰では使用人だった男の孫らしき古村静香という女学生が城崎のグループに関わっていたという事実を重く見ていた。

 普通の使用人に関しては、退職の時に紫峰家に勤めていたという記憶以外は消すことになっていたのだが、義三はどうやら記憶を消されないままだったらしく、孫娘に紫峰家での思い出話をしてしまったものと考えられた。

 修が立て直すまでの紫峰家の暗黒の30年ほどの間にこのような手抜かりがあったとすれば、その間どのくらいの人数の使用人が退職したかは生き字引のはるの記憶に頼るしかなく、西野にも今更どの程度の修復が可能かを予測することはできなかった。

 

 前期試験が終わったというのに真貴にも会えず、大学とバイトの他は真っ直ぐ帰宅というまさに模範的な生活を余儀無くされていた雅人は、デートじゃなきゃ問題なかろうというので友達と寄り道をしていつもより遅めのバスを待っていた。
 
バスが来る前に別の車が止まった。史朗の車だった。

 「居た居た…。 捜したよ。 雅人くん。 早く乗って。 」

中から史朗が声をかけた。
雅人は何事かと思ったが言われるままに助手席に座った。
史朗は車を出した。

 「鈴さん…どうもおめでたみたいなんだ…。 
まだ確認したわけじゃないけど、だから…いま笙子さんが屋敷に向かってる。」

 史朗は淡々と話した。
雅人は一瞬驚いたように眼を見開いた。

 「そう…それで…知らせに来てくれたんだ。  」

動揺することもなく雅人は言った。

 「何となく…きみのような気がして…。 きみは修さん似だし…。
鈴さんが選ぶならきみかなと…。 誘惑された? 」

 史朗は鈴と雅人の年の差がからそんなふうに考えた。
雅人は苦笑した。

 「まさか。 成り行きだ…。 誘惑なんて僕には通じないよ…。
そうか…僕がまだ19だから鈴さんが悪く言われちゃうのか…。 」

 鈴は雅人より八つほど年上になる。
鈴の置かれている状況からも成人前の雅人を誑し込んだ悪女の如く、みんなから責められるのは間違いない。

 雅人は責められても何も言えない鈴の立場を考えると可哀想で早く傍に行ってやりたかった。



 紫峰家の奥座敷ではいつもと違って笙子が上座に座っていた。
笙子のすぐ脇にはいつでも奥さまのお役に立てるようにとはるが控えており、笙子の真向かいには鈴がいた。
鈴は緊張して縮こまっていた。

 「これはとても大事なことなのよ。 正直に答えてもらわないと困るの。
はるさん。 説明してあげて…。 」

 はるが奥さまに一礼して鈴のほうに向いた。

 「お子のお父上がどなたであるかによって、紫峰家では昔からの決まりごとによりその扱いが異なってまいります。 

 透さまは宗主の後継とはいえ、ご両親とも本家の方ではございません。
隆平さまも外から入られた方ですから、このおふたりのお子であれば、お産みになるもよし、始末なさるもよし、鈴さんのご自由になさってよろしゅうございます。
 
 雅人さまは育ったところは外ではあっても、お父上が本家の方ですから当然、いまの宗主兼当主であられる修さまに次ぐ継承権をお持ちなのです。
 従って、お子は将来当主になられる可能性があるため、どうしてもお産みになっていただかなくてはなりません。 」

鈴は首を横に振った。

 「私…産むつもりはありません。 」

 笙子は溜息をついた。さすがの笙子もお手上げ状態だった。
頑固にも鈴は相手のことは一言も話そうとしない。心の中を読もうと思えば読める笙子だが、この件に関してはそんなことはしたくなかった。

 襖が開いて修が入ってきた。その後に雅人が続いた。
鈴は少しうろたえた。
史朗はその場を遠慮しようとしたが、第三者として立ち会うように言われた。
座が落ち着くと修が訊いた。

 「さて…雅人。 鈴さんがなかなか話してくれないのでおまえに聞くが、確かに覚えがあるのだな? 」

 「はい。 間違いなく僕の子です。 それしか考えられません。 」

修の問いに雅人ははっきりとそう答えた。

 「そうか…。 で…おまえとしてはどうするつもりだ? 」

 「鈴さんの気持ち次第です。 僕には何も言う権利はありません。 
結婚でも金銭でも望まれればそのとおりにいたします。」

 年下の雅人がすべての責任を引っ被るつもりでいるのに気付いて、鈴はますますうろたえた。そんなこと望んではいないのよ…と喉まで出かかった。

 「雅人くん。 鈴さんは八つも年上なの。 どう考えても未成年のあなたよりは道理が分かっているはずよ。 何もかも引っ被る必要は無いわ。 ねえ? 」

笙子は少し困惑気味ではるに同意を求めた。はるも慌てて頷いた。

 「そうでございますとも。 ひとつ屋根の下にお暮らしですから年上の女性についふらふらということも考えられることでございます。

雅人さまには真貴さまもおられることですし…。ここはよくご考慮なさって…。」

 笙子もはるも心のどこかで鈴が雅人を誘惑したのではないかと疑っている。
振り返ってくれない宗主への腹いせか、それとも単なる欲求不満か、原因は何であれ鈴のせいにしておいて雅人の立場を護ろうと必死だ。
何れにせよ、このままでは周りの大人たちはみな結託して鈴を責めるに違いない。

 これは成り行きで決してどちらがどうということではないのだと雅人は言いたかった。

 「おぼこい鈴さんに誘惑されるほど俺は幼い坊やじゃないんだよ。 」

 雅人は突然、今までの好青年振りから態度をがらりと変えた。
修以外の者は唖然として雅人を見た。

 「雅人! 」

 修は黙っていろというように雅人に一瞥をくれた。
だが雅人はそれを無視した。
 
 「13の齢からホストやってたんだ。 女に関しちゃ素人じゃない。
その辺の坊やと一緒にしてもらっちゃ困るぜ。

 50を越えた小母さん連中に身体売ってたこともある。
お嬢さん育ちの鈴さんごときに誑かされやしないっての。 」

 雅人のあまりの豹変振りに笙子たちは言葉を失った。
それでも雅人が思うほど雅人の優しさを知らないわけでもなかった。
鈴を救うために雅人が晒した過去の傷跡から、真新しい血がどくどくと流れ出るのをその場の誰もが感じ取った。

 「申しわけございません。私が黙っていたために雅人さんのつらい過去を…。
結婚なんて考えてないしお金も欲しくありません。
成り行きでできてしまった望まない子を産みたくないだけなんです。 」

鈴が雅人の気持ちに応える為に思い切って本当のことを口にした。

修は大きく溜息をついて雅人のために少しだけ事情を付け加えた。

 「雅人のことは僕にも責任がある。 母親が病気で急な金がいるのに僕が不在で頼る人がいなかったんだ。 
毎月送っている生活費だけではやっていけなくて…。
 
 雅人…鈴さんは産みたくないそうだ。  」

分かってる…というように雅人は頷いて言った。

 「子どもは欲しい。 欲しいけど無理は言えない。 
鈴さんが僕の子じゃ産みたくないって言うなら仕方ないよ。 」

紫峰の生き字引であるはるは慌てた。

 「旦那さま…。 雅人さまのお子は大切な継承者のひとり。 是が非にも…。」 
 「産む権利も産まぬ権利も鈴さんにある。 こちらの都合で勝手を言うな。
鈴さんの身体は紫峰の道具ではない。 

 鈴さん…聞いてのとおりだ。 きみの好きにしてくれてかまわないよ。 」

 鈴の表情が少し明るくなった。
笙子が不満げな目で修を睨んだが、修はそれに笑みを以って返した。

 「ただね…ことは子どもの命に関わることだ。 ふたりでよく話し合ってご覧。

 勿論、結婚は考えなくていい。 
好きでもない相手と無理に結婚して育てても、多分その子の幸せにはならない。
 
 雅人がその子を欲しがってるし、できれば僕もその子が欲しい。
万が一その子の命だけでも助けてくれるなら産んでくれるなら紫峰家で引き取る。

 これは紫峰家の都合で言ってるんじゃないよ。 
きみにはきれいごとに聞こえるかもしれないが…。
鈴さん…僕らは子どもを亡くしたばかりで…その命がもったいなくてね。 」

 修のその言葉に笙子は胸が痛んだ。笙子の傷も癒えていないが、修もまだ子どもの死を悲しんでいる。普段は見せ合うこともないその傷が、思いがけずこんなところで疼き出した。

 鈴も黙って頷いた。
 
 「史朗ちゃん。 きみに頼みがある…。 
雅人と鈴さんの話し合いがついたら、鈴さんの身体のことも心配だからいったん実家へ帰らせる。
 きみは紫峰家の使者として事実だけを鈴さんの親御さんに伝えてくれないか?
きみなら偏見がないから安心して任せられる。 
長老衆じゃ親御さんも何を言われるか分かったもんじゃないからな。 」
 
 修は他家の史朗に重要な使者の仕事を頼んだ。
そのことでさえもはるは前代未聞と考えた。

 史朗は快く引き受けた。
史朗には修が少しずつ古い慣習を崩し始めたのが分かった。

 気の遠くなるような作業だがおそらく修なら遣り通す。 
ならば自分に出来るだけの手伝いをさせてもらおう。

そんなふうに史朗は思った。






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最後の夢(第七話 危険を招く男)

2005-10-02 23:20:00 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 城崎が眼を覚ました時、一瞬そこが何処なのか見当もつかなかった。
眠っている間中、遠くの方で声がしているような気がしたが、思ったよりすぐ近くに三人はいた。

 「もう…無茶だよ隆ちゃん。 喧嘩弱いくせに。 」

 「そうそう。 僕らがメールに気付かなかったらどうするつもりだったのさ?
ほらこっち向いて。 」

 声のする方へ顔を向けると、雅人が隆平の唇の傷を治療しているところだった。
片手で顎を支えながら、もう一方の手を当てている。

 「だって…ほっとけなかったんだ。 思わずバス降りちゃった。 
でも…ふたりとも強いね。 喧嘩してるとこ始めて見たけど。 」

 「だろ? 隆ちゃんが来る前は高等部でもよく喧嘩騒ぎがあったんだ。
僕ら負けたことないもんな。

 だけど修さんの高等部時代はもっと凄かったんだってさ。 
宇佐さんの話じゃ、ひとりで200人に向かってったとか言ってた。 」

 冗談だろうけど…と透が笑った時、隆平の傷が全部消えた。
雅人が隆平の顔から手を離した。

 「いいよ。 隆平。 ほか殴られたところは? 腹とか大丈夫? 」

 「大丈夫。 何処も痛くないから。 有難うね…雅人。」

 傍から見ていると隆平は大きいお兄さんふたりに挟まれた弟のように見えた。
城崎が起き上がったので、三人はいっせいに彼の方へ顔を向けた。

 「大丈夫か? 一応治療はしておいたけど…。 」

雅人が訊くと城崎は頷きながらいった。

 「有難う。 悪かったな…迷惑かけて。 こんなつもりじゃなかったんだ。 」

城崎は栗イガ頭を掻きながら、ふっと溜息をついた。

 「きみたちずっとここに? 俺についていてくれたとか…? 」

三人は意味ありげに顔を見合わせてにたっと笑った。

 「それもあるけど僕ら外で力を使っちゃったから閉じ込められてるわけ。
宗主のお小言待ちなんだ。 
宗主が仕事から戻ってくるまで晩飯もおあずけさ。 」

雅人がそう言った時、襖の外で西野の声がした。

 「宗主がご帰宅なさいました。 座敷でお待ちです。 」

 「そら来た。 覚悟しなよ。 怖いぞ。 」

透が城崎を脅かした。



 座敷の襖が開けられた時、城崎は今まで経験したことのない強大な力を感じて一瞬足が止まった。押しつぶされそうな圧迫感を覚えた。

 怖い宗主というからには鬼のようなお祖父さんを想像していたのだが、待っていたのは穏やかそうなお兄さんだった。
 透や雅人と同じく背の高い男で、さすが名家の宗主と思わせるような上品で端正な顔をしていた。
 とても怖そうには見えないのだが、透たちは慌てふためいて彼の前に正座した。
城崎もそれに従った。

 「何か申し開くことがあるか? 」

宗主は静かに問うた。

 「ありません。 申しわけありませんでした。 」

 三人は手を突いて頭を下げた。城崎は呆気にとられた。
自分は生れてこのかた親兄弟にこんなふうに頭を下げたことなど一度もなかった。

 「城崎くん…怪我は大事無いかな? 」

平伏して謝罪する透たちの姿をぼけっと見ていた城崎に宗主は訊いた。

 「危ないところを助けて頂き有難うございました。
先ほど雅人くんに治療をしてもらいました。 」

城崎も出来るだけ丁寧に例を言った。

 「そうか。 ところで城崎くん。 きみはなぜ追われていたの? 
きみは人助けをしていたのではなかったのかい? 」

 宗主は不思議そうな顔をして訊ねた。
始まった…と透たちは思った。

 「…騙されたんです。 

 普通の家庭の主婦みたいな人から行方不明のご主人を探して欲しいと依頼されて、ご家族がすごく困っているようなので受けました。
 
 ところが2~3日したらその女性が殺されたらしいって記事がテレビや新聞に出てて…やばいって思ったから指定先に連絡せずに黙ってたんです。 
 
 そうしたら突然やつらが襲ってきて…。 」

 城崎は事情を説明した。
なるほど…と言うように宗主は頷いて見せた。

 「まあ連絡していたとしても結果は同じだったろうね。
きみは口封じのためにやつらに狙われることになっただろうよ。

 いくら力があってもきみは自分ひとり護ることが出来なかったわけだ。 」

宗主の言葉に城崎は項垂れた。

 「確かにきみは少しは周りにも気を使っているようだ。

 勧誘して断られた一族については口を閉ざし、マスコミにも一言も語ってはいない。 他の一族に迷惑をかけまいとするきみの配慮からだろうが…。

 残念ながらその配慮は役に立ってはいないね。

 現にきみが勧誘したためにきみを知ってしまったこの連中は、関わるなという宗主命令を無視してきみを助けに行ってしまった。 それだけでも大迷惑だ。 」

宗主が三人を一瞥すると三人は顔を伏せた。

 「きみの正義感を利用して悪巧みをする者がこれから先もどんどん現れてくる。
仕掛けもどんどん巧妙になってくる。 

 自分自身をさえ持て余しながら、仲間や関わってしまった人たちをどうやって護っていくつもりなの?

 きみには家族やそうした人々を護り通さなければならない責任があるんだよ。
それだけのことをしてしまったんだから。 」

 えっ?と城崎は思った。
自分はただ人助けをしようとみんなに呼びかけただけで、誰にも無理強いはしていないし、みんな自由意志で参加しているのに?

宗主は彼の心を読み取ったのか窘めるように言った。

 「何かを立ち上げてそのリーダーを務めるならそのくらいの覚悟が無くてはね。
 
 それができなければ、誰かを巻き込むことなく、きみはきみひとりだけで動くべきなんだよ。 

 それ以前に家を背負うものは家を危険に晒すようなまねは極力避けなくてはね。
きみの父上がどれほどの力をお持ちかは知らないが、ご実家も無事では済まなかったろうね。 
 やつらの手が及んでいると考えて間違いないよ。 」

 あっと城崎は思った。家のことなんて考えてなかったが、自分が襲われたということは城崎の家にも何らかの被害があったに相違ない。
城崎は初めて自分の行動が他の人に及ぼす影響の大きさを考えた。

 「まあ…相手が末端のチンピラ程度で幸いと言えば幸いだった。
これが大きな組織や国家相手となると、とてもじゃないが手の打ちようがない。

 特殊な力を世間に晒すということは常に命の危険と隣り合わせなのだということを念頭においておきなさい。 」

 宗主はそう言ってじっと城崎の目を見つめた。
城崎は目を逸らさずにはいられなかった。
骨の髄まで見通されているような気がしてどうしても視線を合わせられなかった。

 いつも父親から小言を言われてきたけれど反発して聞き入れもしなかった。
それは親子の間で遠慮がないからでもあったが、城崎はこの宗主に得体の知れない恐怖めいたものを感じて反発する気力さえ沸いてこなかった。

 畏怖と言うべきかも知れないが、やはり恐怖と言った方があっているような気がした。
 城崎の一族にはこれほど他を圧迫するような力を持った人はいない。
宗主はただのお兄さんではなかった。

 「慶太郎。 後始末は終わったのだろうな? 」

宗主は控えている西野に問うた。

 「勿論でございます。 透さんたちのことだけではなく、すべて白紙に戻してまいりました。 」

西野は手抜かりのないことを宗主に伝えた。  

 「ご苦労だった。 お前たち慶太郎に感謝しろよ。 
長老衆には通りすがりにやくざに絡まれて仕方なく…と言い訳しておけ。
二度は許さんぞ。

さてと…今回の罰。 今月残りと来月中デート禁止。 まっすぐ家に帰って来い。分かったな。 以上! 」

 三人は天を仰いだ。
誤魔化しの効かない彼女たちへの言い訳に苦慮するだろう三人を尻目に宗主は座敷を後にした。

 城崎は紫峰家で夕食も与えられ、西野の護衛で自宅のマンションまで送られた。
帰り際に西野からすべて片が付いているので安心するように言われた。

 マンションの自室へ戻ってやっと一息ついた城崎は紫峰での出来事を思い出そうとして愕然とした。

 マンションまで確かに送ってくれたはずの男の名前も顔も分からない。
世話になったはずの屋敷の内部の様子も覚えていない。

 宗主に会ったことは夢ではなく、宗主の話は覚えているものの、宗主の顔が全然思い出せなかった。 
 
城崎は紫峰の底知れない力にぞっとした。

 宗主の話はひょっとしたら警告の意味もあるのではないか?
これ以上紫峰に近づくなということなのか?

 若い城崎は宗主の言葉を必要以上に勘繰り始めた。
何としても紫峰に睨まれる事だけは避けたいと思った。

その勘繰りがよりいっそう危険を招く結果になることを知るよしもなかった…。 




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最後の夢(第六話 トラブル発生)

2005-10-01 23:24:30 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 西野の報告を聞いて、修が城崎の一族に対してどういう感情を抱いたかは分からないが好意でないことは確かだった。

 少なくとも修なら息子を野放しにするようなことはしない。
紫峰や藤宮にとってその力を世間に晒すことは、若いから経験が浅いからで済まされるような生易しい問題ではない。

 両一族の子どもは幼い頃から一族の存続に対する責任を嫌と言うほど叩き込まれて育つ。
 幼くして親を失った修でさえ紫峰の戒律に則って自らを律して生きてきたし、透たちに対してもその指導を怠らなかった。

 何をしても後から力を使って揉み消せば済むというような考え方では必ずどこかで不都合が生じる。
 先ずは徹底した予防に努める。揉み消すのは最後の最後。最善を尽くしてからの最終手段だ。

 修は城崎の父親の話を聞いても警戒を緩めるどころかますます徹底した監視と指導を呼びかけた。



 
 孝太がやって来たのは夏の暑い盛りだった。
隆平が世話になっている紫峰家のために、数増が作った米だの野菜だの漬物だのを車に詰め込み、隆平のためには孝太の手作りの菓子類を売るほど箱詰めにしてまるで季節はずれのサンタクロースのように大荷物担いで紫峰家に現れた。

 「いやあ本当にお久しぶりで…。 
隆平がお世話になりっぱなしで申し訳ないことです。 」

にこにこと機嫌よく笑いながら孝太は言った。

 「孝太兄ちゃん。 姉ちゃんと赤ちゃんは元気? 」

 隆平は先ずそのことを訊ねたかった。紫峰に引き取られた隆平に、いつでも遠慮せずに帰ってこいと言ってくれた孝太の嫁さんが去年の暮れ女の子を産んだのだ。

 「おお…元気だ。 俺よりおまえにそっくりだで見てみい。 ほれ。 」

 孝太は母親に抱かれた子どもの写真を見せた。隆平の齢の離れた妹は本当に隆平そっくりでみんな大笑いした。

 「ねえ孝太さん。 手紙に書いてあった用事は済ませたんですか? 
今夜はここに泊まって頂けるのでしょう? 」

修がそう訊くと孝太は恐縮して言った。

 「用事は済ませたんです。 だいぶ前にこっちに知り合いが店を出しましてね。いっぺん訪ねていこうと思ってたところへ女房が出産だったもんで。
ここんところやっと落ち着いたんで会いに行ってきたんですよ。 」

 「じゃあぜひ。 そのつもりで待ってたんですから。 
もうじき彰久さんや史朗ちゃんも会いに来ますよ。 」

 修が手招きするとはるが飛んできて用事を伺い奥へ合図をした。
母屋の給仕が家族だけの時はあまり使わない来客用の洋間を整え、テーブルをセッティングし、はるの号令下、あっという間にパーティの用意が整った。

 隆平は久しぶりの父親との再会がよほど嬉しいらしく笑顔が絶えなかった。
そうこうしているうちに彰久と史朗が到着し、従兄弟にあたる孝太との久々の再会を喜び合った。

 いつもは作って出すのが仕事の孝太も紫峰家で用意した料理に舌鼓を打ち、興味を持った料理について給仕に訊ねたりもした。
 和やかな雰囲気の中、みんな満足げにそれぞれの会話を楽しみ、歓迎会を企画した雅人も透も大満足でその輪の中に参加していた。



 母屋の賑やかさとは別世界のように離れは静かなままだった。
パーティに参加しないかと透たちから誘われていたのだが、このところ食欲がなく、なんだか気分がすぐれなくて身体が妙にだるかったりするので、せっかくだけれどもと丁寧に断った。

 宴もたけなわという頃に、誰かが襖の向こうに立っているような気がした。
その人は声をかけるべきかどうか迷っているようにも感じられた。

 「どなたさんです? 」
 
鈴は自分から声をかけた。

 「修だけど…。 」

 鈴は驚き慌てて襖を開けた。
小さな紙の手提げ袋を持った宗主が立っていた。

 「宗主…皆さんとご一緒じゃなかったんですか? 」

不思議そうな眼をして鈴は修を見た。

 「体調が悪くて来られないと聞いたので…これを…孝太さんの手作りの菓子だ。
食べられたら少しでも口にしたほうがいい。 」

 かなり体調が悪いのか鈴の顔色が優れないことに修は気が付いた。
それでも修に声をかけてもらったのがよほど嬉しかったのか満面の笑みを浮かべて袋を受け取った。

 「お心遣い有難うございます。 たいしたことはないのですけれど…。 」

 「顔色が悪いよ…。 ひどくならないうちに病院へ行っておいで。 
治療師のところでもいい。 」

それだけ言うと修は母屋の方へ戻っていった。

 鈴はその小さな紙の手提げ袋を覗いてみた。
鈴が一口でも食べられるような可愛らしい菓子ばかりが選んであった。

 これを修が選んだのだとしたら男なのに随分細かい心遣いをする人だと思った。
多分はるが詰めてくれたのだろうけど鈴は修が選んでくれたのだと思いたかった。




 史朗が紫峰家に呼ばれて先に帰っていったあと、ひとり会社に残って残業をしていた笙子は下から上がってきた何枚ものもの書類に目を通していた。

 史朗と一緒に紫峰家に帰っても良かったのだが、昼まで外を廻っていたためにチェックしておきたい書類が溜まっていた。
 後々を考えると出来るだけ今日中に済ませてしまいたかったので史朗に言付けだけしておいた。
 
 携帯の呼び出し音が、ひとりだけの部屋に響いていつもより大きく感じられた。
戸惑ったような修の声が聞こえた。

 「修? どうしたの? 歓迎会の途中でしょ? 」

 『鈴の様子が妙なんだ。調子が悪いと聞いたので様子を見に行ったんだが…。』

 慌てている様子はないものの、少々困惑気味のようで修にしては珍しいことだと笙子は思った。

 『僕の思い違いかも知れないけれど…病気ではないような気がして…。
本人もまだ気付いていないようなんだが…。』

 「それは…でもあなた覚えはないのでしょう? 」

 『覚えがあったら驚かないよ。 』

それはそうだわ…と笙子は頷いた。

 「いくらあなたでも男の口からは訊けないわねえ…。 分かったわ。
近いうちにそちらへ帰るわ。 私が訊き出して対処するから心配しないでね。 」

 携帯を切ってしまうと笙子は大きな溜息をついた。
修が良く気付いたものだわ…と感心した後で、それが藤宮の力でもあることに思いあたった。 

 修には紫峰の力の他に先祖の血によって藤宮の力が備わっている。
藤宮には女に関する業が多いため、藤宮の男は普通の男なら気が付きもしないような女性の些細な変化にもわりと敏感に反応する。

 修もいつもならまったく気付かなかったかも知れないが、半年くらい前まで、子を授かってから失うまでの過程をずっと見ていた経緯もあって藤宮の血が疼いたのだのだろう。 
 
 取り敢えず何とかしなきゃね…もうそんなに時間的な猶予はないかもしれないし…。笙子はそう呟くともう一度溜息をついた。




 孝太は翌日にはみんなに歓迎してもらった礼を何度も言いながら帰っていった。
もっとゆっくりしていくように修が勧めたのだが、何日も店を閉めてはおけないからと丁重に辞退した。

 今年の鬼遣らいにはまたみんなで村に来て、ぜひ祭祀に参加してくれるようにと頼んでいった。
 この頃では妹の加代子が祭祀を覚えて手伝っているらしいが、参列者が大勢いた方が観光効果があがると役場から言われたのだそうだ。
 
 隆平は名残惜しそうに孝太の嫁さんと赤ちゃんへのお土産を渡していた。
彰久や史朗からの土産や修が用意させたものなどをまた車に詰め込んで、孝太は機嫌よく紫峰家を後にした。




 帰宅途中のバスの窓から何気なく外を見ていた隆平は、一瞬目の前を通り過ぎた光景にあっと思った。
 
 通りすがりの公園の近くで城崎が何人かの男に追われていたように見えた。
次のバス停は透や雅人の大学があるところだから、あれは城崎に間違いはない。
どうしようかと迷ったがついバスを降りてしまった。

 さっき見た公園へ向かいながら隆平は透や雅人にメールした。
気が付いてくれればいいけど…と思いながら。

 公園に着くとそっと辺りを見回したが城崎の姿は無かった。
代わりに変な男たちがうろうろしていて、隆平の姿を見ると近づいてきた。

 「おい。 おまえ。 城崎の仲間か? 」

 隆平に近づいてきた男はこちらの返事も聞かずいきなり殴りかかってきた。
隆平は辛うじてかわしたが随分と気の短そうなそうなやつらだった。

 「何なんですか! 城崎って誰のことです? 」

隆平は大声で訊いた。

 「捜し物やってる奴だよ! テレビに出てる奴。 ほんとに知らねえのか? 」

 「知りませんよ。 僕…通りかかっただけだし。 」

 男はじっと隆平を見ていたが、他の男たちを手招きすると偉そうに言った。
手下らしき男たちが一斉に駆け寄ってきた。

 「おい。 俺たちのことをしゃべらねえようにこいつ締めとけ!
俺は城崎を捜す。 」

 命令された男たちは次々と隆平に襲い掛かってきた。
隆平は逃れようとしたが相手は喧嘩のプロ。簡単には逃げられそうもなかった。
 力を使って化け物と戦ったことはあっても、争いごとの苦手な隆平は人間とは口喧嘩もあまりしたことがない。
一方的に殴られたことはあっても殴り合いなんてしたことがなかった。

 命令した男は背後で手下が隆平を痛めつけようとしているのを見てにやっと笑い、意気揚々と公園を後にしようとした。

 が…目の前に突然どでかい男がふたり現れて怯んだ。

 「なんだぁ! てめら何か用か! 邪魔くせぇ! そこぉどきやがれ! 」

 男はいきなり拳を上げて殴りかかった。
男の拳が届く前に大きい方の男が蹴りをかました。
男は吹っ飛んで手下の前に惨めな姿を晒した。

 手下たちは隆平を締めるどころではなくなった。
親の面目を潰されて怒りいきり立った手下たちはでかい男たちに飛び掛った。
 しかしでかい男たちはそれをものともしなかった。
あっという間に親同様そこらに転がされることになった。

 「野郎! よくもやりゃがったな! ぶっ殺してやる! 」

男たちの手に刃物が光った。

 「怪我をしないうちに物騒なものは収めた方がいいぜ。 」

 ちょとだけ低めの大男が笑いながら言った。
最初に吹っ飛んだ男の手には銃があった。

 「馬鹿かてめえ! 銃に敵うか! あぁ~? 死ねや! 」

 引き金を引いた途端、銃が暴発し、刃物は持ち主の言うことをきかず仲間同士を切りつけた。やがて強面のお兄さんたちは自滅した。

 「隆平。 大丈夫? 」

透が隆平に駆け寄った。

 「大丈夫。 急所はずしてたから。 」

 隆平は唇を切っていたがたいしたことはないようだった。
最初から周辺には障壁が張っておいたが雅人は急いで男たちからも記憶を消した。

 「誰かが気付くと面倒だから早く退散しようぜ。 」

 「待って城崎が近くにいるはずなんだ。 怪我をしてるかも知れない。 」

 急かす雅人に隆平は言った。
三人は気配を追った。 公園から少し離れたところに城崎の気配を感じた。
周りに新しい障壁を張りながら、城崎の気配のする方へ急いだ。

 狭い路地の片隅に城崎は身を潜めていた。
かなり怪我を負っているようで顔色が真っ青だった。

 「大丈夫か…城崎くん? 」

透が声をかけた。

 「大丈夫…じゃねえよ。 俺…まあまあ力はあるけど…喧嘩は苦手で…。 」

 今にも気を失いそうだ。三人は戸惑った。
ほっておけば命に関わるが、連れて帰れば宗主の怒りをかうかも知れない。
それに第一動けない男をどうやって運ぶというのか…。

 家では運転もするが登下校には車は使ってなかった。
人ひとり屋敷まで運ぶには車が必要だ。

 「どうする? 」

 三人が立ち往生していると路地の中へ誰かが急ぎ近づいてきた。
西野が血相変えて飛んできたのだった。

 「何という無謀なことをするのですか? さあすぐにここを離れましょう。 」

 「あ。 やっぱりバレた。 ねえこいつ運びたいんだけど。 」

雅人が城崎を指差した。西野は一瞬引いたが分かったというように頷いた。

 「仕方ありません。 連れて行きましょう。 」

 西野がOKすると雅人が軽々と城崎を抱えあげた。
城崎の血の跡を隆平が消した。

 急いで城崎を車に押し込むと三人を乗せて西野は車を走らせた。
しばらく行った所で雅人は公園と路地の障壁を解いた。

それまで彼らがそこにいたという気配をもきれいさっぱり消した後で…。






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