徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

最後の夢(第二十一話 御腹の中の金魚ちゃん)

2005-10-25 23:35:40 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 夜半をとうに過ぎてあたりが静寂に包まれる頃、椅子の上の柔らかなクッションに身を沈めて居眠りしかかっていた史朗は、はっきりと城崎の母親の死を感じ取って眼を覚ました。

 肘掛け椅子から絨毯の敷かれた床へと移動した史朗が鬼面川の祭祀を始めたので透たちにも事態が飲み込めた。

 史朗は城崎の母親の魂がこの世で迷わぬように、心安んじてあの世に旅立てるように鬼面川の御大親に祈りを捧げているのだった。

 紫峰の結界のせいで魂は自分からはこの場には現れることができない。
史朗は鬼面川の祭祀の中で御霊迎えに近いものを選んで、城崎のために最後のメッセージを聞いておいてやるつもりだった。

 史朗の所作を見ながら雅人はあとで修がこの場に居合わせなかったことを残念がるだろうと思った。
 
 型通りの文言が終わるとなにやらぶつぶつと史朗は話し始めた。
それは誰かと会話をしているようにも見えたが、紫峰家の透と雅人にはあまりよく分からなかった。
鬼面川の血を引いている隆平には何となく会話の意味が分かるような気がした。

 「多分…城崎のせいじゃないっていうようなことを伝えて欲しいんだ。
犯人については何も話していないけど、とにかく城崎のことを心配している…。」

 隆平の翻訳で何となく納得したふたりは静かに史朗の祭祀を見守った。
宗教の違う史朗が勝手に城崎の母親を御大親に委ねるわけにはいかないので、取り敢えずは御霊を安んずる祭祀だけを行なった。

 城崎が必要と感じればあらためて御霊送りをすればいい。
そうでなければ城崎の家の宗旨に従って供養をする方が亡くなった方も家族も安心できるだろう。

 祭祀を終えると史朗は隆平に便箋を持ってこさせて、たった今聞いたばかりの城崎の母親からのメッセージを筆記した。
 城崎がそれを信じるかどうかは分からないが、何か城崎にとって特別なことが書かれてあれば、それなりに感じ取れるものがあるかもしれないと思った。

 史朗がメッセージを書き終えた時、西野が玄関の戸を開け宗主の帰館を告げた。
慌ててはるが玄関の上がり框のところまで迎えに出た。

 「はる…まだ起きていたのか? 身体によくないぞ。 
もう若くはないのだからこれからは僕を待たずに先に休みなさい。 」

修がそう声をかけるとはるは嬉しそうに頷きながら答えた。

 「勿体無いお言葉を有難うございます。 
はるの後任がちゃんと育ちましたらそうさせて頂きます。 」

はるの後任…? 修は訝しげな目を向けた。

 「慶太郎が早くいい人を見つけてくれると有り難いのですが…。 」

 修はそうか…そういうことか…と可笑しそうに西野の方に顔を向けた。
西野は突然の伯母の言葉に豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

 居間の入り口のところで史朗は修を出迎えた。
修は史朗がすでに故人と対話を試みたことを感じ取った。

 「これといって犯人逮捕に役立つような情報はありませんでしたが…城崎くんにとっては或いは救いとなるやもしれません。 」
 
史朗は受け取った故人からのメッセージについてそんなふうに報告した。

 「城崎は葬儀が終わったら戻ってくるだろう。 その時に渡してやろう。
おまえたち…部屋へ戻って休んだ方がいい。 もう何時間も寝られないぞ。」

 話を聞きながら欠伸をしている透たちに修はそう声をかけた。
透たちはふたりにおやすみと挨拶をして自分たちの部屋へ引き上げていった。

 史朗もマンションには帰らず、母屋に与えられた自分の部屋で休むことにした。
祭祀や剣を操る能力しかないはずの自分が、なぜほとんど無関係な人の魂を無意識にキャッチできたのか…それが不思議で仕方なかったが明日を思えば睡眠を先行させるのが得策と考え黙っていた。
 温かい毛布に包まれてうつらうつらしながら、今度彰久さんにでも…訊いてみようかな…と思う間もなく史朗は深い眠りの世界へと落ちていった。



 安定期に入って鈴の状態も少しは良くなるかと思われたが、鈴は相変わらず病院暮らしで点滴に繋がれたままだった。

 点滴の針の痣だらけな腕を見るたび雅人の胸が痛んだ。
時々は修や笙子が見舞ってくれているようで、史朗も様子見がてら寄ってくれることがあるという。
鈴はそのことにとても感謝をしていた。

 「安定期に入ったら戻ってこれるかと思ってたのにな。
はるさんもあの部屋にベッドを入れて鈴さんが寝起きしやすいように模様替えしたんだぜ。 」

 身重の鈴が実家へ戻っても親にもいい顔をされないことを知った紫峰家の面々は、離れの部屋を鈴が過ごしやすいように手入れしたのだった。
それを知った鈴は本当に嬉しそうに微笑んだ。

 「有り難いことです。 宗主からも笙子さまからもいつもお心遣い頂いて…。」

 笙子は自分が病院へ来る折には必ず鈴の病室へ寄ってくれるらしく、ふたりでベビー服やベビー用品などの準備について相談し合っているようだった。

 笙子の場合は前の年に身籠った時に大方の準備をし終えていたので、かさばる物についてはそれ以上必要なかったが、鈴は初めてなので入用なものが多かった。
 動けない鈴に代わって笙子が少しづつ仕度を整えているようで、時々紫峰家の鈴の部屋に包みが届いた。

 「まだ…そんなに目立たないねぇ。 おちびさん早く大きくなってくれよ。 」

雅人が鈴の御腹に触れながら楽しげに言った。

 「こんなに小さくても心臓の音はちゃんと聞こえるんですよ。
それに気のせいかもしれないんですけど時々御腹の中を小さな魚が泳ぐような感覚があるんです。 不思議ですねぇ。 」

鈴は母親にしか感じられない微妙な感触を語って聞かせた。

 「金魚ちゃんかぁ。 いいなぁ。 僕らにはそういう感覚は味わえないもんな。
あ…そう言っちゃ悪いよな。 女の人はこんなにつらい思いしてるんだからさ。」

不謹慎だったと雅人が素直に詫びると鈴は可笑しそうに笑った。



 笙子のマンションの居間のテーブルの上は、ベビー用品のカタログならぬ新しいマンションの物件カタログで占められていた。

 もともとこのマンションは笙子がひとり暮らしをしていた時に購入したもので、今までなら修や史朗が出入りしても狭いということはなかったが子どもが生まれるとなるとやはり手狭だった。

 前の子の時も考えてはいたが、仕事が予定より忙しかったのといざとなれば紫峰家で子育てすればいいことなので取り立てて慌てもせずにいたのだった。

 「史朗ちゃんちの近くにね。 大きなマンションができてワンフロア全部がひとつの家みたいなタイプのがあるのよ。 」

笙子がそう説明すると修はそのカタログを手に取った。

 「間取りもいいし部屋数もあるの。 そこなら史朗ちゃんも一緒に住めるし、子どもが増えても大丈夫よ。 」

 実際に物件を見てみないとなんとも言えないが、ワンフロアで一軒分というのがまあまあ修の希望する条件に合っていた。 
   
 「他人にいろいろ詮索されずに済むからな。 週末にモデルルームを見に行こう。 史朗の都合を訊いておいてくれるか? 」

いいわよ…と笙子は頷いた。

 「笙子…彰久さんちの玲ちゃんの方が早く産むんだっけ? 」

修が義理の妹の出産予定を訊いた。

 「そうよ。 玲子、鈴さん、私の順番。 
でもそんなに予定日が離れてないからかぶるかもよ。  
みんな無事生まれてくれるといいけど…。 」

 笙子は心からそう願った。
今年の春のつらく苦い思いを修も笙子も二度と味わいたくはなかったし、他の人にも味あわせたくはなかった。

 「そうだな…。 」

そう相槌を打って修は不安そうな顔をしている笙子の手をそっと握り締めた。


 
 『だから何がどうなっているのかくらい教えてくれよ。
この頃全然連絡がないから悟兄さんも僕もほんと心配してるんだぜ。 』

 受話器の向うからいらいらしたような晃の声が響いてきた。
言われてみれば城崎と関わって以来、藤宮を巻き込まないようにというのでほとんど会っていなかったし、できるだけメールも控えていた。

 隆平は晃とは大学で顔を合わせることもあったが、一般的な会話だけに終始して城崎のことについて語るのは避けていた。

 「ごめん。 悟もおまえも話せばきっと手を貸してくれようとするだろ。
そうなったら藤宮を巻き込んじゃうからね。 それだけは避けないと…。
黙ってたんだけど時々城崎を助けたり匿ったりしてたんだ。 」

 ええっ…!と驚くような声が受話器から二重奏で飛び出した。
透は思わず受話器を耳から離した。
悟が傍にいるのが分かった。

 「紫峰家はすでに関わってしまったから動くより仕方ないけど、藤宮に波及しないようにがんばって食い止めるからさ。
 連絡がなくても心配しなくていいよ。 大人たちもついてるし…ね。
だから…できるだけきみたちは知らん顔してて…。」

 晃の後ろで悟が何か言っているようだった。
慎重な悟のことだからしばらく様子を見ようとでも話しているのか。

 『分かった…でも何か手に余るようなことがあったら絶対絶対連絡くれよ。 
すぐに行くからな。 』

 晃はそう言うと電話を切った。
藤宮だけでなく同じ紫峰である春花と夏海もおそらく連絡がないことを気にしているだろう。
まあ…彼女らの場合は貴彦伯父さまが何とでも言い繕ってくれるだろうけれど…。

 

 城崎が岬に伴われて紫峰家へ戻ってきたのは告別式が終わって間もなくだった。
当初は母親の喪が明けるまでは実家においておくつもりだった城崎の父親は、寝ても覚めても自分を責め続ける城崎の様子を見て、このまま家においておくのは息子のためにならないと考えた。
 紫峰家に置いてもらえば同い年の話し相手がいる。 
それだけでも救われるのではないかと思った。
それに…瀾には後継者としてやらねばならぬことがある…。

 「これは母上が亡くなられた時に家の史朗が受け取ったメッセージだ。 」

 修は城崎に母親からのメッセージを渡した。
死者からのメッセージなどさすがの超能力者城崎も体験のないことだった。
半信半疑城崎はじっと内容を読んでいたが、ある一文を食い入るように見つめた。

『…御腹の中を泳いでいた金魚ちゃん…この世に生まれ出でたからにはしっかりと世間という海を泳いでいかなくてはなりませんよ…』

 「お袋の口癖だ…。 」

 城崎はそう呟いた。
メッセージはそんなに長くはなかったが、残された城崎を励ますような愛情深い暖かい言葉が断片的に並べられていた。

 城崎は思わず涙をこぼした。
自分が死んだのは決して城崎のせいではないのだと繰り返し述べられてあった。

 死に目に会えなかった城崎だったが、史朗という祭主のおかげで母親の最後の言葉を聞くことができた。

 毎日多くの人が亡くなっていく中で、この世でもっとも愛する人々の最後の言葉を聞ける人がどのくらいいるだろう。
自分は本当に幸運だったと城崎は思った。
 
 「悲しんでいるきみに慰めの言葉も掛けずに厳しいことを言うようだが、きみはすぐに修練をしなくてはいけない。

 きみの父上は本当は母上の死を予感しておられたのだろう。
だからきみのせいではないということも分かっておられた。

 きみのやるべきこと…それを学ばせるためにここに戻されたのだよ…。
恥を忍んでご自身ではきみに教えられぬと告白されたようなものだ。
その気持ちを察しておあげなさい…。

もう少し早いうちであればご自身でもできないことではなかったのだが…。」

 修は城崎に父親の気持ちを伝えた。
俄かには素直に受け取ることのできない城崎だったが、その気持ちを理解するのに急ぐ必要はないと修は言った。

ゆっくり時をかけ少しずつ噛み砕いて理解していけばいいと…。




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