徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

最後の夢(第十三話 僕の家に…)

2005-10-11 23:33:45 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 日頃丹精をこめた菊の鉢を眺めながら一左は満足げに頷いた。
そろそろだな…。
 今年一左は自分の育てた菊と庭師に作らせた菊、紫峰や藤宮の菊自慢の作品を集めて鑑賞会を開くことにしていた。
 招待客が多いので主催は宗主の名を借りたが、宗主はまったく菊作りには興味がないため、一左が楽しみながら宴席を設ける為の手配をしていた。

 「修よ。 どうせなら史朗のお披露目もしてやってはどうかな?
長老衆に顔繋ぎするいい機会だと思うが…。 」

 急に思いついたように一左は修に言った。
修が史朗を家族として紫峰の記録簿に登録したことを一左は思い出したのだ。
 世間一般の戸籍とは別に紫峰家には独自の登録簿があって、隆平や史朗のように養子縁組とか結婚という形式をとらずに他人を家族として登録する制度がある。
 ただの同居人とは異なり、きちんと財産分与もされるし、紫峰における地位も保証される。

 修はこの記録簿に史朗を登録し正式な家族として一族に迎え入れたのだった。
勿論、最長老である一左の承認を得てのことだ。
 紫峰の中に同年代の相談相手がいない修には史朗の存在は後々心の支えともなるだろうと考えた一左は快く同意した。

 未だ史朗に対して不快感を拭い去れない長老衆や一族の者たちに史朗の人となりを紹介しておこうというのだ。
 記録簿に登録された後、一左は何度も史朗に会ったが会う度にその誠実さや心根の優しさに驚かされた。
 仕事もできる男だと聞いているし、笙子の愛人などという色眼鏡で見てはいけないとつくづく思った。
 顔立ちも体つきも優しいが芯の強そうな凛とした青年で、その笑顔に人柄がよく表れていた。

 「それはいい。 お祖父さま…そうさせて頂くことに致しましょう。 」

 修は祖父の申し出を有り難く受けた。
史朗を紹介するとなると特別な配慮も必要で、修は宴席までの僅かな日数の間に出来るだけ手抜かりのないように準備を進めるため、あらゆる方向に手を回した。


 
 信じられない速さで退院を決めた城崎だったが、実家に戻っても退屈なだけで落ち着かず、かといって、病院よりもさらに近いところでマスコミの眼が光っているだけにうっかり外にも出られず、悶々とした日々を送っていた。

 自分の持つ能力を使って人助けをしようとしただけなのに何でこんなことになってしまったのか…。
 暴力団に追われたり、殺人犯に刺されたり、人を助けるどころか助けられてばかりで、何人かの行方不明者を捜し当てたことさえ虚しく感じられた。
 早く犯人が捕まってくれないとまったく身動きがとれず、まるで牢獄にでもいるような気分だった。

 予知能力に長けながら、なぜか息子についての予知だけは誤っている城崎の父親は、どうにかして息子を世間の眼から遠ざけたい、出来れば世間の記憶から消してしまいたいと考えていたが、なかなか思うようにことが運ばず、こちらも八方塞がりの状態だった。

 城崎はいわば巻き添えを喰った形であるため、城崎の周辺に事件解決の鍵があるわけではなく、警察は最初に殺された男の周辺をあたっていた。
 護衛はつけてもらっているものの、何か警察から特別な知らせがあるというものでもなく、ただただ先の見えない結果を待つだけの気の遠くなりそうな毎日を送るばかりだった。



 従兄の木田彰久の新居ではいま奥の座敷に出来上がってきたばかりの祭祀の装束が衣桁にかけられてあった。
 彰久に呼ばれて彰久の家を訪れた史朗の目にそれが飛び込んできた時、真新しい衣装の眩さに思わず目を細めた。

 「素晴らしい装束でしょう? 
これはこのたびのお披露目用に修さんが手配して下さったものですよ。 
 前々から何かの折にと頼んではあったのだそうですが、急遽入用になったので急がせたと言っておられました。 」

史朗は驚いて彰久を見た。彰久が笑って頷いた。
 
 「実は修さんだけではなくて、笙子さんやお祖父さま、透くんや雅人くん、隆平くんや西野さんまでがこの衣装の支度金を出してくださったのです。
 他にも黒田さんが…勿論僕も些少ですが…。
紫峰本家所縁の者はみなあなたを歓迎するという意味だそうです。 」

迎え入れてくれる人達の心遣いが有り難くてしばらく言葉も出なかった。  
    
 「本当に何とお礼を申し上げていいのか。 彰久さんにも…。 」

 落ち着いてからやっとそれだけを口に出した。
彰久はちょっと照れたように頬染めた。

 「僕はたいしたことは出来なかったのですが…。 」

史朗はもう一度装束を見てから彰久のほうを振り返った。

 「ねえ。彰久さん。 紫峰の方々には申し訳ないのですが…少々困っています。
祭祀は余興じゃできませんから宴席でお見せするには無理があると思うのですけれども…。 」

思いあぐねたかのように史朗は彰久の意見を求めた。

 「そうですねえ…祭祀は本来宴席で行うものではないので…。
でも…ほら…長寿と繁栄を祈る祭祀なら場に相応しいと考えますが…。 

 それに…所作の動きを美しくする修練のためにいくつか舞を覚えたでしょう? 
鬼面川の舞にはそれぞれ意味がありますから実りを表す舞であればよいのでは?」

 ああ…と思い出したように史朗は頷いた。
忘れてしまっていたが、確かに鬼面川の舞の中には秋の実り、春の萌えを表わすような舞があった。

 史朗は華翁閑平の記憶を辿りながら身体を動かしてみた。
彰久は将平として思い出せる限りの謡いの節を口ずさみながら、ひとつひとつの動きを確かめるように見つめた。
 千年前に親子であったというこのふたりはいま千年前の記憶を辿り、鬼面川の流麗な舞を甦らせようとしていた。



 紫峰家の広い庭園のそこかしこに数え切れぬほど集まった菊の鉢植えが庭師によって美しく見栄えがするように配置され、庭園じゅうに菊の馨しい香りが漂った。
 紫峰や藤宮一族の菊自慢から寄せられた逸品揃いで、さながら菊の品評会のようでもあった。

 美しく着飾った招待客たちは思い思いに秋の風情を味わいながらそれぞれの会話を楽しんでいた。
 日頃腕を競い合っている菊自慢たちが各々の作品を紹介し合ったり評価し合ったりする声も聞かれた。

 史朗を伴った宗主一家と黒田、彰久夫妻が姿を現すとみなの眼が史朗に集まった。
史朗は宗主が紫峰祖霊への口上を述べた後に、鬼面川の代表として紫峰の祖霊に長寿と繁栄の祭祀を奉納することになっていた。

 千年前には親しく交流があったとはいえ、年月を隔てた今、みな鬼面川の祭祀を眼にするのは初めてで、ほとんど一地方の民間信仰の対象と成り果てた鬼面川がどれほどのものかと腹の中では小馬鹿にしていた。

 庭園に設けられた舞台の上で、宗主の祖霊に対する口上が終わると、古式ゆかしい装束を纏った史朗が舞台に上がった。

 その場のほとんどの人が自分の陰口を聞えよがしに言っているのが聞こえたが、いま祭祀を執り行おうとしている史朗はまったく意に介さなかった。

 眼を閉じて大きくひとつ深呼吸をすると、鬼面川の御大親に対して祭祀を執り行う許しを得る文言を唱え始めた。
 恩ある宗主一家とこの場の者の長寿と繁栄を祈る祭祀であることを御大親に告げた。
 祭祀が始まるとそれまで史朗への悪口雑言で騒がしかった会場がしんと静まり返った。

 修を惚れ込ませた史朗の所作の流麗な動きと淀みなく唱えられる文言の荘重さに誰もが心を奪われた。
 舞うが如く、その腕が、指が語り、唇に文言を唱えながら御大親にすべてを委ね奉る至福の表情は、荘厳で清浄な雰囲気の中で微かに色を帯び、見ているものを惹きつけずにはおかなかった。

 やがて清澄と静寂の中で祭祀を終えた史朗に、会場中から万感の思いを込めて惜しみない拍手が贈られた。
 紫峰の一族も藤宮の一族もこの未知の祭祀をこの上ないものとして受け取った。
史朗は何が起こったのか理解できないようで、しばらくぼんやりと立ち尽くしていたが、感動した長老衆に握手を求められて我に返った。

 修の方を見ると修はやったね…というように微笑んで頷いた。

 舞台を降りて修の傍に戻ってきた史朗に会場から何かもう少し鬼面川のものを見せてもらいたいとリクエストが来た。

 戸惑う史朗に彰久が舞を披露しなさいと進めた。
史朗は乞われるままに舞台へ上がり、静かにその場の人々に語りかけた。

 「これから披露いたします舞は、鬼面川では子孫繁栄に繋がる縁起の良いものとされております。
 もしみなさま方の中に現在身籠っておいでの方やこれからそのご予定の方がおいでなりましたら、どうぞ前の方へお進み下さい。 男性の方もどうぞ…。
 効果のほどは保障いたしませんが…。 」

 史朗がそう言うと彰久夫妻を含め、何人かの男女が前へ進み出た。
笙子と修の姿もあった。
 
 史朗は微笑むと修も初めて見る鬼面川の『実り』を謡とともに舞い始めた。
そのふくよかな舞の動きは祭祀とはまったく異なり、豊穣を願う想いに溢れ、見る人の心に温かなものを感じさせた。
 すべてを包み込み、隅々にまで染み渡り、身の内から溢れ出るような大きな愛に包まれて人々は次第に穏やかな気持ちになっていった。

 舞い終えると史朗は静かに一礼した。
これも一同から割れんばかりの拍手を貰った。

 祭祀と舞の効果か、その後この場では史朗に対する陰口が聞かれなくなり、宗主主催の饗応の席は和やかな雰囲気に包まれた。

 着替えを済ませた史朗も紫峰の家族として招待客をもてなしたが、驚くべきことにあちらこちらで舞を教授して欲しいという声を聞いた。
 
 最長老の一左はあちこちで史朗のことを聞かれたが、宗主があの祭祀に惚れて家族に迎えたという話をするとそれを疑うものは誰もいなかった。

 菊の宴は大成功のうちにお開きとなり、招待客はみな満足げに宗主自らが吟味した引き出物を手に帰宅の途についた。
 


 客が引き上げた後の庭園の四阿で史朗はひとりぼんやり菊を眺めていた。
紫峰や藤宮の一族に受け入れられたのが夢のようでこれも御大親のなせる業かと有難く思った。
 背後から近づいてくる誰かの気配に振り返ると、修が史朗のためにコーヒーを入れてきてくれた。

 「お疲れさん。 初めての宴席は気を使って疲れただろう? 」

修は優しく笑いかけた。

 「紫峰家に恥をかかせずに済みました。 失敗したらどうしようかと…。 」

史朗は今になって胸がざわついてくるのを覚えた。

 「最高の祭祀だったよ。 みんな驚いて声も出なかったぜ。 
実は紫峰家の面々は舞いが大好きでね。 結構目が肥えているんだ。
 長老衆を黙らせるには真正面からぶち当たるより、いっそのこと、きみの祭祀を見せたらぐうの音も出ないんじゃないかと思ったのさ。 」

修はそう言ってにやっと笑った。

 「どおりで…舞を習いたいという方が何人かおられました。 でも、僕は本職ではないのでどうお答えしていいか…。 」

 「きみに時間があれば教授してやるといい。どうせ相手はお遊びだから軽くね。
どこかの余興に役立つくらいに舞えれば十分さ。 」

史朗は分かりました…と素直に頷いた。

外灯に明かりが灯りはじめ、あたりが次第に夕闇に包まれてきた。

 「史朗…冷えてきたね。 そろそろ家に戻ろう。 」

 修がそう促した。
はい…と返事をしながら史朗は胸のうちに温かいものを覚えた。

 両親を失ってから家族と呼べる人に家に戻ろうと言われたのは何年ぶりだろう。
家に戻ろう…。

家族の待つ家に…僕の家に…。





次回へ