テムテムな日常

頑張れみんな!頑張れ自分!

しろうとには分からない

2007-02-04 | 介護職
本日の社説は、先日から問題になっている「分娩時の看護師による内診」のことがテーマでした。ちょうどその問題が公になったころ、まさに出産間近だったのでこのニュースには関心をもっていたのですが・・・よくよく考えてみると同じような状況に私もいたのだなぁ、と。

利用者にとって、自分のケアをしてくれるのが「看護師」だろうと「介護士」だろうと関係ないことなんですよね。

出産で入院していたとき、病棟にはちゃんと看護師もいたと思うのですが、産後の私達のケアをするのは全員助産師さんでした。長男のときも同じ病院でしたが、そのときは看護師さんばかりだったような・・・分娩を扱う病院としては、充分な助産師の確保ができている病院だったのではないかと思います。それでも5年前に息子を出産したときからずっと働き続けておられる看護師、助産師はたったひとりしかおらず、その助産師さんも「やっぱりキツイ仕事やし、出入りは激しいよ」と話してくださいました。

自分がホームで働いていたときは・・・介護福祉士、ヘルパー2級などの有資格者、資格はないけど資格取得を目指す人、そして看護師が利用者のケアにあたっていたのですけど・・・やっぱり看護師と介護士には距離があって・・・。もちろんできること、できないこと、というのが違うし、根本的に看護と介護はまったくの別物であるから仕方のないことなのかもしれませんが・・・利用者には摩訶不思議なシステムだっただろうなぁと思います。

ホームではどちらが上、とかどちらがエラい、とかそういったことは問題にならないけど、利用者にとってはどちらも「自分の世話をする人間」なのに、やっぱりどうしても「看護師にできて介護士にはできない」仕事、というものがあって・・・まぁ私の勤めていた施設では○○も△△も介護士が(ほんとはやったらあかんねんけど)やっていたんですよねぇ。そんなときの「責任の所在」というのはいったいどこにあったのだろう・・・ちょっと現場を離れてみると、よくあんなやり方で事故がおきひんかったもんやで!と思うようなことがいっぱいです。

一緒に仕事をしていた看護師さんは、大病院で婦長まで勤め上げた人で仕事もできるしリーダーシップもあり、とっさの判断力にも優れたとにかく「デキる人」でしたが、やぱり一般介護職員とのもめごとが絶えず、お互いに距離をとってしまうような雰囲気がありました・・・私はその看護師さんのことが好きだったし、尊敬もできる人だったのですが・・・その人の考えの根本には「介護士<看護師」という図式があったと思います。

利用者にとってはそんな図式、まったく意味を成さないことなのに・・・。

だから今回の「看護師の内診」も、責任の所在とか、やっていい悪いとかではなくて、「どうして看護師が内診をしなければならない状況になってしまったのか」ということから考えなければならないのではないかと思うのです。もしも看護師が異常に気付けば、当然ながら他者に報告するはず・・・どんな些細なことでも、こうしたチーム仕事は報告することが必要不可欠なのです。そして忘れてはならないのが、利用者・患者の存在です。ケアを受ける側にとっては、極端にいえば相手が何者でも構わない・・・きちんと正しいケアをしてくれるのならば。それを「慢性的な人不足」などとお茶を濁すような議論で締めくくるのだけはやめて欲しいのです。

そのときの最善の決断

2007-02-02 | 雑談
もしもあのとき、ああしていたら、今の自分はなかったかも・・・というのは誰しもが考えるコトですが・・・周期的にそんなことをどっぷり考え込んでしまい、ちょっと鬱になったり、また逆にハイテンションになったりします。

きっかけは、先月に大学の同期生のみんなと会ったこと。

同期の桜たちは・・・というか、まず私の通った学科というのは、教師を目指す人が多い、地味な大学で、そのなかでも「教員免許の取得が目的でない」という、学内ではちょいとアウトロー的な学科でした。専攻は音楽でしたが、「バリバリピアノ弾けます!」という人よりは「音楽が大好きで大好きで、寝てもさめても音楽のことを考えてます」という人が多かったですね。プロのミュージシャン志望、録音技師志望、プロデューサー志望、作曲家志望・・・とにかく音楽に関連したいろいろな業種を目指す人が集まってきていて、さらにそこからコンピューター関連の職業を志す人も多く、まぁとにかくいろいろなおもしろい人たちの集まりだったのです。

そして私の同期生たちも、ボイストレーナー、エレクトーン講師、ダンサー、ラジオ番組構成、ジャズピアニストなどなど、さまざまな職業にみんな就いているのです。

自分の職業には誇りをもっていますが・・・そんな華やかな業種のなかで、「介護職員」さらに現在は「主婦」をやっている自分・・・みんなと会うのは楽しいけど、いつかそんな空間にいる自分が後ろに引けていくような気持ちも芽生えていました。私も音楽は大好き・・・でもそれを「職業」にすることはできなかった。タイも大好き・・・でもそれだって「職業」にはできなかった。ものをつくることも大好きだけど、それだって職業にはならない。学生時代にはな~んの関わりも興味もなかった介護職についた自分は、まわりのみんなから比べると、「やっぱり努力しなかったから?」とさえ考えてしまうのです。

みんなは「隣の芝生は青く見えるもんや」と言ってくれますが・・・もちろん、どんな毎日にだって、どんな職業にだっていろいろ苦労はあるのでしょう。学生時代にもし戻れたとして、私がみんなと同じような華やかな業種に就いていたかは分かりません。でも、みんなと同じように夢をもって入学したのに、今はまったく違う世界で生きている自分、というのは、やっぱりなんだか引け目を感じてしまうんですよね。

そのときそのときで自分にできる最善の決断の積み重ねで現在の自分というものが存在するわけですが・・・こんなことを考えてしまうのも、私がまだまだ「燃え尽きるまで介護の仕事をしていない」「主婦業に全力投球していない」からなのかなぁ・・・と考えて、なんだか今日はモヤモヤしているのです。

前回の記事のつづき

2007-02-01 | 雑談
ふと思いついて自分の「介護福祉士」の登録証を確認してみたら、この証書をくれた(ことになっている)厚生労働大臣が「柳沢伯夫」になっていて、んもう立ち直れないほどのショックで昨日は何もする気がおきず・・・(って、ちょっと大げさですが)。あぁ~、父ちゃんの証書は「小泉純一郎」だから、そっちのほうがいいよぅ~、あんなわけのわからんおっさんの名前が入っている証書なんていらんよ~、勉強した時間を返せ~!

例の「女性は機械」発言の真意はまぁ、そのままそうなんでしょうけど、なんで安倍さんは、奴をかばいたてるすのか?!そしてこれだけまわりにやいやい言われてなんで潔く退陣しないのか?あれだけのことを発言しておいて、自分でも途中で「あ、今の発言マズったかも?」と思ったのか、必死にその後フォロー発言をしたようですが、どうしてそう思っているのなら思っているで、最後まで貫かないのか・・・政治家のすることはまったくもって意味不明です。

要は「子供を産むことのできる女性の数は決まっているから、その生むことができる世代の人たちが産んで育ててくれよ」ということなのでしょ?産むことができる人たちが「産める」世の中にしよう、とは思えないのでしょうか?子作りは男女の共同作業、そして子育ても同様に、子供の親だけでなく地域社会全体で担っていかなくてはならない重大な作業なのです。女性だけが頑張ってどうこうできる問題ではありません。そんなこともワカランのか?!

批判を承知で言わせてもらいますが・・・

この国の総理大臣のお宅にだって、子供いないやん?なんでいないのかは知りませんが、結婚して、子供を作って、子供を育てて・・・っていう、昔ながらのライフスタイルが正しいのなら、一国の首相たる人物でさえふみはずしてるやん?総理だって子供をもつ生活をしてないんだもの、下々の者が子供を持たない人生を選択するののどこが悪い?

まぁ安倍総理のお宅にお子さんがいないのは別として(それにどうして子供がいないのかを問いただすなんてナンセンスだし、余計なお世話ですから)、よその家の夫婦が子供を作るか作らないかを国が決めることではないのです。子供を育てるのは確かにお金もかかるし大変なこと・・・だからうちは子供をもちません!という考え方もあってよし、子供はほしいけどできないんです、という家庭が「なんで子供産まへんの??」と責められることがあってはいけない。お母さんが外で働いてお父さんが家事育児をこなす家があったってかまわない。これだけ人々の生活が多様化してしまったのだから、少子化対策を今更「女性に頑張ってもらうしかない・・・」などと寝言のようなことで乗り切れるわけがないのです。

今回のことは明らかに総理の人選ミス、不適所不適財です。すっかり「恥ずかしい国」になってしまった日本です。