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慢性腎炎の漢方治療 第65報 防己茯苓湯加減

2013-03-06 00:15:00 | ブログ

?長栄氏医案 脾失健運案

(中医雑誌1964年 第11期より)

患者19歳男性 1963524日初診。

病歴:全身浮腫が既に5年あり、某医院が慢性腎炎と診断、治療は効果が無かった。

最近症状が悪化した。

?氏初診時所見

全身浮腫のほかに大便が軟便か水様便で、1日に数回排便する。小便は短少で、時々吐きそうになり、食後すぐに吐くことがある。精神萎縮、面色白、唇の色は艶がなくさえなく、舌苔薄白、脈沈細渋、足の脛は指で押すと陥没する。

尿検査:蛋白(4+)顆粒円柱(4+)膿球(白血球 3+)RBC(2+)

中医弁証と治法

脾失健運、関門不利、昇降失職、水邪瀰漫。治法:健脾利水

方薬:異功散 合 防己茯苓湯 加 鶏内金 海金沙(甘寒 利水滲湿 日本では海金砂と表記されることが多いようです)連続服用5

経過

63日(再診):さらに薬を服用後、食後吐くのは収まったが、その他の症状はなお甚だしく、大便は日に十数回、糞便は希薄となった。

運脾滲湿の中に命門を温暖させる薬剤を加味した。

処方 以下

炒土白朮12g 明党参茯苓15g、炒薏苡仁赤小豆30g 破故紙9g 小桂尖(桂枝の枝先の細く柔らかな部分)、吴茱萸4.5g 炙甘草g 連続服用 3剤。

(破故紙=補骨脂と吴茱萸で二神丸になります)

610日:

全身の浮腫は顕著に消退し、大便が形になって、小便の回数も増加し、臨床症状は基本的に消失したが、腎機能はまだ改善されなかった。温陽補土がその後の治療によろしく済生腎気湯(丸)と理中湯をしばらく服用するように伝えた。毎日白薯サツマイモ)を一個250gぐらいを半欣を炭火の火中で焼いて食せば益火補土の功能があると伝えた。そのまま白薯湯を日に一回服用し続け、毎週、理中湯合補血湯(当帰補血湯を意味すると思います)の両剤を服用した。108日に至り、尿通常再検査:蛋白(+)、膿球(+)、その他は陰性となった。19648月初旬再検、1年再発を見ない。

評析

水は陰邪であり、陽を得て気化される。したがって、水腫の治療時には常に健脾滲湿の中、命門を温暖する薬剤を補助とする。本案の治療の際、前方は命門の火を顧みなかったので効果は不明瞭であった。命門を温暖する薬剤を以って治療したので、奏功が速く、その後の食療法は益火補土の功能に有効であり、誠に参考模倣に値する。

ドクター康仁の印象

?氏(1956年から福建省中医学院院長、中医史が専門の一つで、氏の傷寒論研究は有名です)が医師として働いていた1960年代の中国を振りかえると、飢餓が農村を襲いました。1960年の前後3年間に、20004000万人が餓死したと言われています。首都の北京市内でも、野草で飢えをしのぐ人の姿が見られました。飢えから人肉を食べるという、現世の地獄が各地で出現しました。これらは、国外に知られることはありませんでした。「中国は毛沢東の指導のもと、大躍進政策で大いに発展している」という宣伝だけが西側世界に伝わってきたのです。

1959年に毛沢東は失脚し、劉少奇(りゅう しょうき)と鄧小平(とう しょうへい)が登場します。本案の初診とする1963年には、毛沢東は「社会主義教育運動」を提唱し、劉少奇ら「実権派」を暗に批判し、「農村の基層組織の3分の1」は地主やブルジョワ分子によって収奪されていると述べました。のちの1966年文化大革命を指導し、紅衛兵の暴走につながりました。

「造反有理」=「反抗するものには道理がある」というお墨つきを受けた学生たちを止める者はいませんでした。

1964年中国は核実験に成功し、軍事的に大きな一歩を踏み出しました。一方、1965年にアメリカによる北爆が始まりベトナム戦争が本格化し、1966年に復権を狙った毛沢東の文化大革命が起こったのです。

ところで、

秦王朝のラストエンペラーの溥儀は、1959年に、当時の劉少奇国家主席の出した「戦争犯罪人」に対する特赦令を受け、模範囚として特赦され、1964年には、多民族国家の中華人民共和国内において、満洲族と漢族の民族間の調和を目指す周恩来の計らいで、満洲族の代表として中国人民政治協商会議全国委員に選出されました。

Photo_2 

写真:紫禁城(現在の故宮博物館)の玉座です。絵画としての幼い皇帝溥儀

10年ほど前に訪れた時に、王座の下に、溥儀が幼少の皇帝だったころに、ペットとして飼っていたキリギリスの木製の飼育瓶が、映画のように今でもあるのだろうかと最初に思いました。映画「ラストエンペラー」は佳品でした。

そんな時代に?氏は医業を生業としました。まだ西洋医学もほとんどない時代です。ですから、余計な西洋医学のデータは一切ありません。使用されている中薬も限られています。食料もままならぬ時代に、?氏の治療を受けられただけでも本案の患者(おそらくは栄養不足で尿路感染症も併発していたでしょう)は幸運でした。赤小豆などは薬湯にしたあとで食ったに違いないと思います。

先日、US海兵隊を除隊したばかりで、蘇州の中医医院に行って、処方薬をもらってきた尼崎の知り合いがいます。ほとんど補薬のみで、1500g近い大量の薬剤でした。30日分なら15kgにもなります。その処方を行った医師は決して老中医と尊敬される将来は得られないでしょう。

金(かね)、銭(ぜに)、儲け(もうけ)、拝金主義の現代中国の中医医道も地に落ちたかと嘆息しました。

最後に、

防己茯苓湯は金匱要略(水気食病篇)の方剤で、組成は防已3g 黄耆3g 桂枝3g 茯苓5g 甘草1.5gです。

  201336日 記

「皮水の病たる、四肢腫れ、水気皮中に有り、四肢聶々として動く者、防己茯苓湯之を主る」