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夢の果ての追復曲…そして、風の辿り着く場所

2007-03-16 20:00:57 | Anime(アニメ・コミック)
※当記事は、アニメ「Kanon」の視聴感想記事です。
内容には本編の過度なネタバレが含まれておりますので、閲覧の際は十分にご注意下さい。
また、原作ゲームを未プレイの方や、東映アニメーション版「Kanon」を未視聴の方を考慮して、記事全体を反転表示処理させて頂きます。
加えて上記条件に該当される方の中で、タグが有効ではない携帯端末などにて閲覧されている場合は、此処で閲覧を中止する事をお勧め致します。



■アニメ「Kanon」---第24話(最終話)「夢の果ての追復曲(カノン)~Kanon~」

ひとつの始まり、ひとつの終わりを繰り返し、雪に彩られる冬の街で織り成されてきた、奇跡の紡ぐ物語。
全ては春の訪れと共に、いま、長かった夢が終わりを告げる。
最後のひとつだけ、願いを叶えて---。


僅かに時の流れ、街に降り積もった雪も溶け始めた、2月のある日。

秋子さんが無事に戻って来て、いつも通りの日常を取り戻した水瀬家、そして名雪。
命の刻限にも屈せず、念願だった学校での生活を送り始めた栞、香里。
何とか「卒業式」までに退院する事が出来、新たな一歩を踏み出そうとしている舞と佐祐理さん。

それぞれがそれぞれの、まるで”奇跡”の様な回復を見せ、あたかも花開く春を迎える様に時間を進める中、ただひとりだけ、彼女はまだ其処にいた---。

前話のラストシーンまでに、ほぼ本編のストーリーは消化し終え、真琴を除く各キャラのエピローグと共に、大きく残されているのは あゆシナリオの結末のみ。
もっとも既に、あゆエンドが確定していると思える状況なので、栞が再び登校出来る様になり、祐一に抱き付いて大泣きするシーンや、後半部にて描かれた舞と佐祐理さんの卒業式も、やや薄味になっていた印象でしたが、果たしてそんなシーンを織り交ぜながら、予想し得た展開通りに、2クールを掛けて描かれた「Kanon」という物語が着陸するか否か---「あゆ」が再登場するか否かに作品全体の評価も関って来るかと、期待と不安の入り混じったものを感じていたのですが、京アニの作品に対する姿勢は、まさかの「真琴お姉さん」登場というサプライズも然り、最終回という場においても発揮されていたという。

秋子さんの口から、”月宮あゆ”という少女の真実についてが語られるというのは原作にもあった展開ですが、原作をプレイしていた方のほとんどが感じたであろう「大木から落下した あゆは既に死んでいる」というファクターを、劇中でも祐一の思い込みとして言及させ、それを秋子さんが否定する形で更なる物語が進行するという構成に、あゆの眠る病室が登場した時点で、この最終話が普通では終わらない事が容易に予想出来た訳で。

原作では、秋子さんから真実に繋がる事柄が語られて直ぐ、モノローグの後にエピローグへと直結した為、全く語られなかった、病室にて眠り続ける あゆを、祐一を始めとする名雪たち、あゆと直接・間接共に接したキャラたちが見舞い、看護している間の様子が描かれようとは、確かに残されているシーンだけで1話分を構成するには僅かに足りないかなとも思いましたけど、正に予想を超えた展開に驚いた次第。
加えて、病室での洗髪などの描写が妙にリアルだった点にも、流石は京アニクオリティと(何

献身的な看護も叶わず、一向に目を醒まさない あゆ。
此処では、原作をプレイした時点では明確な表現が無かった分、”同じ年の春”かと思われた再会が、結果的には、本当の月宮あゆに出会って以来、祐一が舞の進言に因って”最後の鍵”:赤いカチューシャを手にする、およそ1年後まで、その状態が続いたという新たな解釈が。
「あゆ」という存在が「あゆ自身」もしくは「祐一」の夢の中で生まれた存在である事は、辛い現実から目を背ける為に、プレゼントだった”赤いカチューシャ”を渡した事実(偽り)を祐一が創り出し、そのカチューシャを「あゆ」が付けていた(=非現実)点から判断出来ますけど、この新解釈---眠りから醒めないというのには、そんな祐一自身が現実のあゆを夢の中に閉じ込めてしまっている---まだ現実を受け止めるに足りないからだと、もはや原作を超えたと言えなくもない描き方が見え隠れしていると思われ。
栞の言う「誰かの夢の中にいる」や「夢の中でひとつだけ願いを叶える事が出来る」というセリフも相まって、「夢の中」というファクターも更に印象深くなっていますし。
更に、祐一のイメージに登場した、ちびあゆの立ちポーズがどうにも「ONE~輝く季節へ」に登場した「みずか」の立ちポーズにそっくりだった事も、主人公と「幸せな記憶に登場する女の子」の関係が微妙に近しい点からして、そう感じさせるのに一役買っているとも。
また「あゆの夢の中」から見れば、あゆの最後の願いが、秋子さん、栞、舞、佐祐理さんの”奇跡”的な回復=祐一の周りが幸せになる=祐一が幸せになるというモノだったとして、1年間の眠りは、その為の代償とも言えなくもないですが。

ところで、祐一自身に、自分の過去に向き合って欲しかった為に、あえて あゆの事を間接的、遠まわしに訪ねて来た秋子さんと異なり、1年の時を置いて、祐一に最後の鍵の事を伝えた舞に関しては、おそらく卒業の春の時点で、あの力が関係しているのか、何かしらには気が付いていたものの、核心を得るには力の回復が足りなかったのかも?
そうでなければ、1年も伝えないままというのは、ちょっと違和感がありますしねw

渡せなかったプレゼントは、本当に あゆの手に渡り、長い長い夢は終わりを告げた。
ようやく、止まっていた彼女の時間が動き出す---。


ラストシーンは原作通り、ネコミミ帽を被ったあゆの登場となった訳ですが、やはり7年間…更に1年を加えた8年もの間、ずっと眠り続けて来た所為で足の筋肉が弱っていたのか、電動車椅子を利用していたのは、やけに現実的な解釈ですね。
走れるようになるかな、という質問は、エンディングアニメへの伏線かな?w


「同じ旋律を何度も繰り返しながら、少しずつ豊かに、美しく和音が響き合うようになっていく」

もう後悔はいらない、繰り返すのは輝く季節だけ。

桜舞い散る遊歩道を、夢から醒めたふたり、共に。
果たして、切り倒された大木からは、1本の新芽が顔を出し、その様子を、遠目で子狐らしき姿が見ていた。
新たな命、そして新たな時が刻まれる、季節は---春。


「Kanon」---END


---と、なんだか意味不明な文章を盛り込みつつも、これにて京アニ版「Kanon」の視聴感想記事は終了と相成ります。
当初から期待値や話題性が桁違いに高かった作品でしたが、24話という放送を通して、全く衰える事無いクオリティと、2度目のアニメ化という条件下での、焼き直しには決してならない、むしろそれを遥かに上回ってしまった完成度には、ただただ拍手を送りたく。
次に続く京アニ作品は「らき☆すた」、そして以降に「CLANNAD」もしくは「ハルヒ2期」が来るとの事ですけど、正直「CLANNAD」は2クールあっても足りない気がしないでもないので、今回の「Kanon」を土台として、更なる高みを見せて欲しいと望むばかりですw

ともあれ今は、「Kanon」のスタッフ・キャストに皆様に、最大限の拍手と感謝を。

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