やむやむやみー

やみーのやむやむな毎日

がんばる方向はどっち?

2018-02-08 08:36:00 | 私がイラッとするとき
この冬、雪の影響で電車や車の立ち往生のニュースが流れる。

私は必ずいかっている。



立ち往生した電車の傍らで運転士一人が雪かきしている。

立ち往生した車で、残りのガソリンを計算しながら、マフラー近辺の雪をかきながら

死なないように夜を過ごしている人がいる。

その横で「いつからここにいるんですか?がんばってください!」と声をかけるリポーターがいる。

彼らは仕事が終われば暖かい部屋に戻り、ご飯を食べ、風呂に入り、ふとんで眠る。


おかしくないか?


自衛隊が出動するような雪の被害にあったことのある地域に住んでいるため、

積雪の勢い、冬の車内を暖めるだけでどのくらいガソリンが減るか、現金さえ役に立たないこと、を

思い知っている。


自然には勝てない。


まずやるべきことは雪かきじゃなくて、その場所から人を移動させることじゃないのか?

ほんの少しずつの人数しか移動させられないとしても、降り続く雪に、シャベルの雪かきで対抗する

ことで動く事態に比べたら、人命救助として確実なんじゃないのか?


車の列が動き出したら迷惑になるので離れられない、と思う人がいるのは当然だ。

そこにいたら私もそう思う。

だから全員で外に出る。

順番に雪かきされるのを待つ、雪がやむのを待つ、差し入れを待つ、そんなことしてる場合じゃない。


自衛隊やマスコミがそこにたどりついている、差し入れをしてくれる人がいるのだから

助けを求める手段はあるんじゃないのか?


「声かけに応答がありません!」

そんなリポーターの声が聞えることがありませんように。











外食に求めるもの

2017-02-10 18:11:29 | 私がイラッとするとき
主婦にとって外食はまさしく息抜きだ。

そして再びキッチンに立つための原動力になる。

が、新規開拓をした結果、空振りどころか振った勢いでバットさえ放り投げて

しまいそうなことがたまにある。


①ぬるい飲み物・・・暖を取りたくて入った店。

          500円の代金と交換に手にしたコーヒーがぬるい。

          泣きたくなった。雰囲気のいい店だし、カップもこだわってる。

          なのにぬるい。自分の家に招いたお客におもてなしはできなくても

          熱いものは熱く、というのは最低限のラインだと思っている。

          
②おいしくない・・・お腹ペコペコで入った店のギョーザと肉がおいしくない。

          肉はともかくギョーザでここまではずしたことはなかった。
 
          そしてありえないCSに対する意識の低さ。

          「ラクしてもうけたいのね」と思わざるをえない。


③不潔・・・古くて雑然としているのも味、と思っている店は意外と多い。

      違う。じめじめした畳、調理する人のぼさぼさの髪、薄汚れた食器・・・

      こういう店では食べる前にげんなりする。


こういう店と真逆、コスパの高い、気持ちのよい店も知っているだけに

新規開拓はコワイ。

人様に作って頂くことを当たり前とは思ってないし、使った食器を片付けてくれるのも

ありがたいなーと思っています。残りの人生、楽しい外食ができますように。

          

          

          


「ダークツーリズム」

2016-08-19 16:32:49 | 私がイラッとするとき
ダークツーリズムとは、災害被災跡地、戦争跡地など

人類の死や悲しみを対象にした観光のこと、らしい。

検索すればどんなものなのかつかめるので詳細は省くとして・・・

これを朝のNHKのニュースの一部で取り上げているのを見て

いろんな意味で驚いた。


こういう商売をする人間がおり、それに飛びつく人間がいることが驚きであり、

それを現在の話題として、朝のたかだか5分程度の時間を埋めるトピックとして

全国放送されている事実。

これを見た人の中で、私のように強烈な不快感に近い違和感、を感じた人は

どのくらいいるんだろう?


ツアーの地に選ばれている場所が「負の遺産」「暗い過去」の代表のように

扱われているが、人間がする「ひどいこと」はあちこちにあふれている。

「悲惨」を感じる死に方をしている人はあふれている。

そのあふれてる場所で、おいしいものを食べたり、会話を楽しんだり、

泣いたり笑ったりしないと人間は生きていけない。

観光として参加することに、自分から遠く離れた場所で起きた出来事、と

という捉え方が見える。



もしその特定の場所を、その特定の人間を本当に思うのなら、ただ静かに、勝手に行き、

受け止め、ひととき祈ればよいことではないか。



観光によって潤う、というなら今の時代、他にやり方があるだろう。


いつだかトーク番組でどなたが言っていたことを思い出した。

「私、沖縄に行ったことないんですよ。

 簡単に行こうと思える場所じゃないのでねえ。」



自分以外のだれかが読む可能性がある、ブログ、というものに、

こういうことを残すことは気がすすまない半面、なんとも吹き出す

気持ちの処理のために使わせて頂く。
























キッチンで・・・

2016-07-09 15:57:34 | 私がイラッとするとき
トースターに入れた途端

パンを焼いていることを忘れる。


電子レンジに入れた途端

残り物のおかずをあっためていたことを忘れる。


フタを閉めた途端

目玉焼きを作っていたことを忘れる。


「あれ?なんかおかず少ないかも?」と思いつつ、

食後にグリルに入れたままの魚を発見したときの衝撃。

なんだかイライラするときは・・・

2015-04-07 11:55:21 | 私がイラッとするとき
イライラするのは不快だ。

イライラする原因はいろいろで、これは生きてる限りなくなることは

ないだろう。

だけど、ひとつ見つけた。

心と体が離れているとき、私はイライラしやすいようだ。

手は皿を洗っているが、心は(頭は)「あ、カレンダーにあの予定書いとかなくちゃ」と思う。

当然両方はできない。

そのうち心は(頭は)「あ、ノート頼まれてたんだ」「あ、灯油まだあったっけ?」と際限なく

続き、手元に意識が戻ったとき、皿にこびりついたカピカピの卵を見る。。。イラつく。。。


朝起きてから自分の手がしていること、これはすべて動詞にできる。

布団を「つかむ」、体を「支える」、トイレットペーパーを「つまむ」、電気のスイッチを「押す」、

包丁を「持つ」、引き出しを「引く」・・・これは当然手があるからできること。

実は手がしてることはすごいのだ。

でも40年以上も生きてると手がこなしてるたくさんの動詞、に対する意識が薄れる。

心に(頭に)ついてこない手にイラつく。

これでは手がかわいそうだ。

もっと手に敬意を払おう。

私の手がこなす動詞であふれる台所で、最近そう思うことにしている。

あのCMが気に入らないっ!

2013-04-11 13:34:03 | 私がイラッとするとき
☆イオンのCM

 子供が魚を食べないという母親の悩みに対して、さも当たり前っていうように

 「それは骨があるからよ」というナレーションとともに、骨抜きに調理した

 魚のおかずを宣伝。

 私がイオンで買い物することで、このCM制作費の一部を払うことになるなら

 絶対買わない。日本のおかあちゃんというイメージの女優の声を使ってることで

 嫌悪感がさらに増した。