前回からは宗教つながり。
おかしかった。
この題名から一瞬遠慮しようかと思いつつページを開いたら、
「題に拒否反応を示す方は、」という文で始まっていたからだ。
そしてタイトルの裏にある筆者のバックグランドを知ることで
私はこの本を最後まで読むことができた。
内容は、副題の「或る民間援助組織の二十五年間」まさにこの通り。
その中から気になったところをいくつか。
☆「私の知る限り、修道院では、洗濯室に最も徳の高い人がおり、
そこによく奇蹟が現れる。」
私はちょっとこういう話が好き。
☆「援助をする国には疚しいところがあるから金やものを出す」
援助を受ける側が感謝するとは限らない、という主旨。
これは国という単位だけじゃなく、人の単位でもありうる話。
お互いそう考えているとは信じたくない状況。
でもこういう状況が存在してしまうことを知っておくだけで
何か違う気がする。
☆「日本の五十代の女性の中には、この豊かな日本に暮らしながら、
恐怖に満ちている人がいる。血圧の上がるのや持病を恐れ、親戚に悪口を
言われるのを恐れ、もっと年をとってからの経済的貧困を恐れ、息子夫婦との
関係の悪化を恐れていた。」
たしかに私も恐れていることがたくさんある。
そのための備えなんかを考える典型的な中年かもしれない。
でもそれでもいいかな、と思う。
問題は恐れを抱えていることじゃなく、何を恐れているのか分からないまま
不機嫌に暮らすことじゃないだろうか。
☆「政治、宗教、部族抗争の結果発生した難民の生活にも、旱魃による飢餓にも、
かならずついて廻るのが、この燃料不足だということは意外に知られていない。」
お湯を沸かすのには火が必要だ。
そのために燃やすものを探す、という作業が直結しない私たちの生活。
現地を知らない、ということはこういうことなのかもしれない。