やむやむやみー

やみーのやむやむな毎日

つながり読書71 「死にゆく者からの言葉」 鈴木秀子 メモ2

2015-07-21 10:59:48 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
さあ、自分の「死」についてなにか書き残すことが、不吉でもなんでもない、

と言い切った今、実践しなけりゃ意味がない。書いてみよう。


まず私は今とっても幸せであります。

その中でもダントツは、自分が持った家庭がサイコーだったこと。

そして自分自身についての満足は、いろんなことへの小さなヒントを探してくることに

エネルギーを注げるようになったこと。それをもっと人のために使えたらよかったかも。

夫様、息子様、今まで大変楽しかったよ。

ぜひこれからも自分の本当の満足はどこにあるのか、探して生きてみて!

それから物言えぬ犬については、彼の満足を想像して一緒に生活して頂けますよう頼みましたぞ。



こんなことを書いてもやっぱり「死」は遠いと思ってる自分がいる。

そしてほんとはもっといろいろ書き連ねたいことはいっぱいあるわけだけど・・・



















つながり読書71 「死にゆく者からの言葉」 鈴木秀子 メモ1

2015-07-20 14:42:01 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
前回から「死」つながり。

「死」は不吉、そんなイメージを簡単に拭い去ることは難しいけれど、

「死」は、病気とか、認知症とか、事故など、自分には起きない可能性のあることではない。

だれにでも必ずやってくる。

医者など特別な職業でない限り、人の死を見送る機会はそう頻繁にないだろう。

ましてや臨終の場面に立ち会う確率は低い。

人生を閉じようとするとき、何を人は望むのか?

この本を読む原動力はそこにあった。


内容は著者が実際に立ち会った「死」の回想と、それについての考察である。

「死」を迎える人々の人生・人格はほんとうにさまざまだが、どうやら「死」の前に訪れる

「仲よし時間」において、「死」を受け入れるときの心境は似ているらしい。

ここで「死」を受け入れたくない見送る側、と死にゆく側に溝ができてしまう。


そこで私は思い出した。どこかで読んだか、テレビで見たか、定かではないけれど

あるお医者さんが、臨終間際に医者が施していることは、本当は体が着々と進めている「死」の

準備を妨げているのではないか、ということば。


著者と本編に頻繁にお名前があがる大原さんは、「死」の準備を心身ともに進めている人に対して

そばで死にゆく者の側に一緒に立つ、という姿勢を徹底させている。

対面でなく、横に座り、呼吸を合わせ、そして本人の話し出すタイミングを待つ。


なんのために?

死にゆく者が満足して旅立つことができるように、だ。

そしてそれはおそらく見送る側の満足につながる。


しかし実際「何かあったらお知らせしますから」と病院からの帰れコールがあるのが現実。


でも私は知ってしまった。

死ぬ間際にそばにいること、がこんなに大事であること。

それはどこで死ぬか、ということよりずっと大事であること。

何よりも優先されるべきことであること。


でも人間、突然バッタリ息絶えてしまうケースだって少なくない。


ならどうするか?


いつ見送る側、見送られる側になってもいいように何か残すべきだと思う。

手書きだろうが、ブログだろうが、なんでもいい。

要点は自分がどんなに満足して、生き切ったか、ということ。

そして心がかりはこういうことだ、と記すこと。

それを常に更新しておくこと。


それは不吉なことでもなんでもないのだ。





















つながり読書70 「死刑囚の最後の瞬間」 大塚公子

2015-07-17 17:02:15 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
前回から囚人つながり。

テーマは死刑囚であるからして、とても夜、息子の迎えの待ち時間に読む気には

なれなかった。

死刑囚・・・日常から遠く離れた存在。でも確実に存在する。

そして職業としてそれに携わる方、被害者として関わることになってしまった方、

死刑囚の親族である方、が存在する。

あとがきにおいて、「外国に行って、『私の国では死刑を行っています』ということの

恥ずかしさ、刑務所の処遇が、人間の尊厳からあまりにも遠く、ひどいあつかいをしているという

事実を語らなくてはならないときの消え入りたいような気持ち。」という著者の言葉がある。

つまり著者が死刑制度廃止に賛成であることは明白なのだが、その言葉は使われていない。

安易に使いたくない理由があるからなんだろう。


私が気になったのは内容があまりにも偏っていること。

囚人が持つ狭い世界。そのとてつもなく狭い世界に視点を合わせるしかない、内容だ。

どんなに囚人の扱いがひどいか、死刑確定後囚人が生まれ変わったようになったか、が

描かれていても、「そうだ!囚人も人間だ。死刑なんて廃止だー!」と簡単には言えない。


今、私が思っていること。

死刑制度がなくなってもいいと思っている。

ただそれは死刑囚に対して非人道的だから、というわけではなく、

死刑というものを仕事の一部とする人間がいることのほうが非人道的であると思うからだ。

他人の人生を終わらせる仕事・・・それを仕事としてこなすためにどんな精神状態を保つのか、

想像すらできない。


被害者の遺族からしてみれば、罪を償う=時間を巻き戻し、事件をなかったことにする

それだけしかないだろう。


それができない現実で、罪人が背負うべきものは・・・

死ぬことさえ許されない、いつまで続くか分からぬ日常を、それ以上の罪を犯す事無く、

ただ生きていく日々、なのではないか。


以上。「死刑」について遠くから眺めているだけの人間である私、の考察でした。








つながり読書69 「我が闘争」 堀江貴文

2015-07-11 21:19:13 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
前回「二流小説家」の映画版では、死刑囚は東京拘置所に収容されている、らしい。

というわけで、東京拘置所つながりでホリエモン。

この方が騒がれていた頃、私はたいして興味がなかった。

最近露出が多いのだろうか。よく見かける気がする。

そしてそのたびに私が思うのは・・・「この人敵多そ~」


そして読んでみて思ったのは・・・「あ、やっぱり敵多かったんだ~」

そして・・・

結果として世の中に悪い評判として受け取られたことについて、

本当は~したくなかった、僕は反対だった、あれは虫の知らせだった、という内容の告白を、

本という媒体を利用して言いたいことだけを一方的に押し付けられたようで・・・

なんか疲れた。


非常に優秀で、その力を向かうべき方向に、最高の効率をもって臨む、その姿勢は

ただただスゴイと思う。

だけどこの方のスゴさは残念ながら、他者と不必要に闘うところから生まれる、ように思える。

「理解できない人には、説明する必要もない」(p348)態度が、効率の悪さにつながることに

気が付いていなかったところが、この方の持つ純粋さ、と言えるのかもしれないが・・・

「説明」以前に「理解できない人」が何を思っているか、そんな想像をすることさえも、

この方にとっては時間のムダだったのかもしれない。


そんな方が「これは僕にとってはビジネスではなく、ボランティアのような感覚なのだ。」p289

と言って政治の世界に足を踏み入れようとした、というのは恐ろしい話だ。

オレ様がよかれと思ってすることに賛同しないのは頭が悪いからだ。

オレ様がよかれと思ってすることについてこれないのはオレ様並みの努力をしてないからだ。

と、言われそう。


そして気になる、「老害」ということば。何度も出てくる。

「老害」というのは、老化による「害」ではなくて、時代が生んだ「害」だと私は思っている。

ということは・・・我々は我々の世代の「害」を持って老いることになるのか。

ホリエモンさん、どんなおじいさんになるのでしょうね?




















靴歴

2015-07-06 22:21:46 | 自分史
思い出の靴たち

☆ピアノの発表会用に買ってもらった赤いエナメルの靴。
 正面に小さいリボンがついていて、履くのが楽しみで家でしょっちゅう磨いていた。

☆白い革のサンダル
 そのころ聖子ちゃんの「渚のバルコニー」がヒットしていて、歌詞に出てくる「白いサンダル」に
 憧れていた私。真ん中に同じ革で作られたお花がついてるラブリーなサンダルでした。

☆水色のパンプス
 ヒールにあこがれ、中学のときに超背伸びして買ってもらったパンプス。
 真ん中に取り外し可能は水色のリボン付き。
 うれしかったけど、持っていた服には全然合わず。。。

☆キッカーズのブーツ
 兄が履いていたのを短大時代に引っ張り出してキュロットに合わせていた。
 ベージュに布生地のひも。足首までのブーツ。

☆ティンバーランド定番

☆たしか・・・キャベツというメーカーだったと思う、茶のサンダル。
 足首下までのあみあみが絶妙にかわいい、シンプルな感じのヒールで、
 本当に履けなくなるまで履きつぶしたサンダル。

☆クラシックタンジェントのパンプス
 つま先の四角い感じ、ヒールの形が気に入っていた。

☆クラークスのローファー
 色は明るめのベージュ。まるっこい感じがとっても良かった。
 何よりとても履き心地よし!

☆クロックスのオールトレイン
 大好きな形!!!どこを探してももう売ってない。

☆コロンビアのチャケイピパックチャッカ(ショートブーツ)
 もう2シーズン続けて買っている。




スーパーって・・・

2015-07-05 23:03:26 | やみーの日常
スーパーは楽しい。

特に最近、小さい子が気になる。

先日、世にも哀れな声で「お、があーーーさーーーん・・・・」という

男子(たぶんまだ3,4歳)の泣き声が。

おうおうなんだいどした?と思いながらも、あまり注目されたくない当事者の気持ちも

よく分かるので、買い物を続けていたら・・・

「お、があーーーさーーーん!!!さびしいぃぃぃ!!!」

思わず吹き出すところだった。

すごいなー。あれはさすがのお母さんも降参だよね。


そしてもう1件。

子供用の雑誌をおねだりしている女の子(たぶん5,6歳)。

こちらまだ本人余裕あるものの、なんとか強敵お母さんをおねだり攻撃で落とそうとしている。

お母さんのほうは慣れているのか、かなりサラッとしている。

「うわーーーーん!買ってえ!・・・パパなら買ってくれるもんっ!」

「そんなことないよ。だってママ、パパと約束してるもの(安易に買わないってことだと思う)」

たぶんね、本当に買わないかどうかは別にして、娘はパパの弱さを知ってるんだよね。

それに比べて母親の強いこと。


どちらにしても、なんとか自分の要望を通そうと全力で向かう子どもエネルギーってすごい。

そこには恥ずかしいなんて気持ちないし、まさに手段選ばず。

まったくの「素」。

私が息子の「素」と闘っていたときは毎日ヘロヘロだったな。


ネタが特にバレております!!! つながり読書68 「二流小説家」 デイヴィット・ゴードン メモ2

2015-07-05 22:12:52 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!

☆さて・・・最後は私のハテナと願望。
  
      読解力がない、読みこみ方が足りない、のはこの際棚にあげて。


 フロスキーの弁護士への転身と、実際に息子の弁護に至る経緯は非現実的に思える。

 行方不明の人間が弁護士になって、弁護している死刑囚は実は息子だよーん、というのを

 だれにも悟られないのは可能だろうか?

 しかも息子が撮った写真をオフィスに飾るなんて、ちょっと軽率じゃないか?

 ダリアンが求める美と殺人についてあれだけ鮮明に描き出されているのに対し、

 トナーが起こした妻の殺人については動機も不鮮明、しかもバレそうになったら

 ハリーもダニエラも殺しちゃおうってのは安直過ぎませんか?

 そして、クレアのあの消え方はどうなんだい?

 あんなにすっぱり消さなくていいだろう?

 「やっぱりあたしがいないとダメね」っていう甘えぐらい許してやれるハリーで

 終わらせてあげたかったなーと思いました。。。以上

 

 

 

ネタが特にバレております!!! つながり読書68 「二流小説家」 デイヴィット・ゴードン メモ1

2015-07-01 12:53:48 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
☆「一度にすべてを視野におさめることは絶対にできない。」


 ダリアンがハリーにコンタクトを取るよう渡したリストの女。

 社会的に地位があり、知的で、きちんとした女性が同時に持ち合わせている

 ダリアンのような男を求める面。

 人間が多面体であることを前提に、その全体像をつかんだ気がしているのは、

 想像力が働いているだけで、錯覚なのだと思った。


☆「突きつめれば、快楽とは頭のなかで感じるもの。肉体なんてどうでもいいのよ」


 これはダリアンファンの女性が言った言葉。

 同じようなことをダリアンも言っていた。

 頭の中の自由、想像・妄想の力強さ=小説 というテーマを感じる。


☆「角を曲がったときや、車を走らせているとき、ほんの一瞬、本当に姉の姿が

  見えたような気がすることもあった。姉が生きていたとき、わたしのなかに姉は存在して

  いなかった。」


 ダリアンに姉を殺害されたダニエラの言葉。

 これもやはり自分の中で大きくなる誰かの存在、という実体がないものの重さを感じるという

 現象が強調されている。亡くした人が身近であるほど、それはしっかり感じられるのかもしれない。


☆「いいえ、それはちがうわ。自分の重荷は自分で背負っていくしかないんだもの。」


 ダニエラが背負っているものを軽くできるかも、と言ったハリーに対する返答。

 確かに背負うべきものを背負って生きる、のが大人なんだろうなあ、と最近思う。

 ただその重さをどう感じるかは、一緒に歩く相手によって変わることはあると思う。