何気なく家にある本をパラパラめくっていたら、「良寛」さんのことについて
書かれていることを発見。というわけで「良寛」さんつながり。
ここでは良寛さんを「聖と俗のあいだを行ったり来たりしている」と表現されていた。
講義内容、寄稿されたものなどを詰め込んだ1冊だからなのか、話があっちこっちな
感じでいまいちつかみにくい。
でも最初にあった美空ひばりとベートーベンの話は共感できた。
第九を聞くときも自分の好きなように編曲して(美空ひばりを聞くような感覚で)
聞いているんじゃないか、という話。
同じようなことを私は言語で感じたことがある。
たとえば北朝鮮の言葉。
たまにテレビで流れる現地ニュースの一部を聞いたときのあの違和感。
あれは日本語を母国語として育った耳だからこそ感じる、共通の違和感だと思う。
だから外国人が漢字を見て感じる何かを、私は同じように感じることは
絶対にできない、と思う。
途中「ん?」と思う文章もあり戸惑ったが、おそらく筆者が生死の境を
さまようような体験をされたことがベースとなっている部分が多いのでは
ないかと思われる。
それについてもう少し知ることができたら理解も深まるかもしれない。
書かれていることを発見。というわけで「良寛」さんつながり。
ここでは良寛さんを「聖と俗のあいだを行ったり来たりしている」と表現されていた。
講義内容、寄稿されたものなどを詰め込んだ1冊だからなのか、話があっちこっちな
感じでいまいちつかみにくい。
でも最初にあった美空ひばりとベートーベンの話は共感できた。
第九を聞くときも自分の好きなように編曲して(美空ひばりを聞くような感覚で)
聞いているんじゃないか、という話。
同じようなことを私は言語で感じたことがある。
たとえば北朝鮮の言葉。
たまにテレビで流れる現地ニュースの一部を聞いたときのあの違和感。
あれは日本語を母国語として育った耳だからこそ感じる、共通の違和感だと思う。
だから外国人が漢字を見て感じる何かを、私は同じように感じることは
絶対にできない、と思う。
途中「ん?」と思う文章もあり戸惑ったが、おそらく筆者が生死の境を
さまようような体験をされたことがベースとなっている部分が多いのでは
ないかと思われる。
それについてもう少し知ることができたら理解も深まるかもしれない。