やむやむやみー

やみーのやむやむな毎日

つながり読書63 「幽霊」 北杜夫

2014-11-29 08:12:04 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
宮脇俊三とは中公論社の編集者をしていた頃からの付き合いで、

自宅はお隣さん同士、というつながり。

作家として初期に書かれたこの「幽霊」、「どくとるマンボウ」の

イメージだけを持って読み始めた私には驚きだった。

隙のない文章。とても疲れる。

「人は幼年期を、ごく単純なあどけない世界と考えがちだが、それは

 我々が逃れられぬ忘却という作用のためにほかならない。しかし、

 忘れるということの意味を人は本当に考えてみたことがあるだろうか。

 なにか意味あって、人はそれらの心情を忘れさるのではなかろうか。」


この物語のキーワードは「記憶」だろう。


思い出そうとしてもはっきり思い出せない母の顔立ち。

そして妖精のようだった姉。

美しいものは「たやすく〈死〉に召されることができ」、

「〈死〉はぼくを相手にしないだろう」=〈死〉への憧れ


運命を感じるできごとは、「やはりぼくの血がはじめからそうした体験を

含んでいたからにちがいない。」

もし、忘却という作用がなかったらどうなるだろう?

人間が持っている過去という時間の深さにとらわれ、もっと複雑な人生が

待っているような気がしてコワイ。。。





東へ西へ 井上陽水

2014-11-17 22:20:22 | 
03_東へ西へ


運転しながら見る景色は秋。

聞きたくなった陽水。


「目覚まし時計は母親みたいで心がかよわず」


この歌詞サイコー。

すごい!そうよ!きっとそうなのよ!

息子から見た母親は目覚まし時計。

正しい時間を告げるように、正しいこと、好ましいこと、

そうせにゃあかん、とやかましい。

でも眠くて機嫌悪くて起きなきゃいけないって分かってても

起きれないとき、目覚まし時計に八つ当たりしたりして・・・

それでもやかましさは変わらず(^^)


つながり読書62 「終着駅」 宮脇俊三

2014-11-12 21:25:01 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
鉄道を愛する内田百閒から、「鉄道院周遊俊妙居士」という戒名を持つ

宮脇俊三へ。

この戒名から想像できるように、この本は主に鉄道に関する随筆だ。


第1章の「終着駅」に集結しているものを紀行文というのだろうか?

私の中にある紀行文、というイメージは、他人が旅行したただの記録、であり

いくらリアルに書かれても、実際に旅した人と同じ気持ちにはなれないもどかしさが

ある気がして、敬遠していたジャンルだ。

が!「終着駅」が持つ魅力にはまってしまった私。

その理由はうまくいえないのだが・・・たぶん・・・宮脇さんが何かをクローズアップする

ときの表現方法にいやらしさがないから、かもしれない。


そして宮脇さんの持つユーモアで語られれば、「時刻表」を愛する理由を聞いても

決して「そうですか、それでは、私はこれで・・・」と引いたりしない。

特に「自転車ダイヤ」という「自転車を列車に擬し、時刻表を作成して、そのとおりに走る」という

子供の頃ひそかにやっていたという遊び、に私は感動した。

こういう楽しみ方って、みんなそれぞれの分野を似たように楽しんだ経験があるのではないか?

つまり「妄想」。

ほんとに好きなこと、を「妄想」できるのは幸せなことだと思う。