やむやむやみー

やみーのやむやむな毎日

つながり読書112 「ひとり日和」 青山七恵

2017-09-25 21:31:00 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!


村上春樹がかつて受賞した群像新人文学賞の、現在の選考委員メンバー、というつながり。


食事にたとえると、ふにゃふにゃした食感で、「あれ?あたし何食べてるんだろ?」という感じ。


何かメッセージ性があるとすれば、老人になるためには、どんな自分でも受け入れて生きていくしかない、

そういうことかもしれない。


登場人物は多くないが、私はどの人物にも感情移入できなかった。


その最たるは主人公、知寿。

まず人の物を勝手に盗んでくるクセがあることを、自分は手癖が悪いと表現し、

気付かない相手に腹が立つ、と言う。

彼女にとってどんなくだらないものだとしても、窃盗だ。

盗まれる心境を察することはできても、逆はできない。

それを物語の主人公のキャラとして設定するならば、もっと覚悟を持って、意味を持たせてほしい、

と願ってしまう。

盗み、と言うと思い出すのが、ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」だ。

あの歯ぎしりしたくなるような情感がこの作品にはどこにもない。



日常の感じ方が丁寧に表現されているだけに、ふっと世界に入り込めそうになるのだが、

同時に冷めてしまう何かが落っこちていて無視できない。



吟子のキャラ、周辺もあいまいだ。


ああ、なんかモヤモヤする!





つながり読書111 「風の歌を聴け」 村上春樹

2017-09-16 00:15:55 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!



群像新人賞の予選を初めて通過したときの作品の主人公名をペンネームにした浅田次郎。

そのころの受賞作品、というつながり。


1回目、さらっと読んだ。が、あれ?なんだったんだろ?という感じ。


☆もうちょっと深く読みたくて2回目、やっとひょっとして、という部分が増えてきた。

ひょっとして①ラジオのパーソナリティは鼠

ひょっとして②入院中の女子の姉は僕にレコードを貸してくれた女子

ひょっとして③小指のない女子が妊娠していたのは鼠の子供



☆それをふまえて読むと全体的に漂っているのは強い喪失感だと気付く。

・年老いて死を迎えるときに何が自分に残っているか、と僕が考える恐怖

・デレク・ハートフィールドの話題にもならなかった死

・ガンと地雷で亡くなった僕の二人の叔父

・何も残らなかった祖母の死

・人間が実際に認識できるものの限界

・文章を書くことで逆に遠くなるものがある

・「文明とは伝達である。表現し、伝達すべきことが失くなった時、文明は終わる」OFF

・小指

・失くした借り物のレコード

・見つからないレコードの貸主

・別れてから一度も会っていない初めての彼女

・消えた2番目の彼女、ヒッピー

・自殺した3番目の彼女

・小指のない女の父親の死と、近くにいない妹

・夏が終わる時の鼠の落ち込み

・「僕は自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した」

・大学をやめた鼠に戻る場所がなかった

・堕胎

・帰省中の僕が東京に戻る時期が来る

・二度と会えなかった小指のない女

・失くした3番目の彼女の写真


☆鼠の言葉

大き過ぎる古墳のまわりに生きる小さな生き物、風。

「つまりね、蝉や蛙や蜘蛛や風、みんなが一体になって宇宙を流れていくんだ。」

それは鼠がラジオで発信する「僕は・君たちが・好きだ」に

やがて通じるような気がしてならない。


失うことを恐れる人もいれば、手に入らないことを恐れる人もいる、強い人間なんてどこにもいない、

と言う僕の言葉を否定したい鼠。

鼠が恐れていることはなんだろう?



ハートフィールドの著書の引用に「私たちは実に苦労に苦労を重ね、一生懸命努力して

それをすり減らし、空っぽにしてしまったのだ」という文章がある。

人生を空っぽにした、その苦労とは、生まれた瞬間から知るという作業を繰り返すせいで

否応なく手に入れることになる、恐れる、という感情なのかもしれない。











 


子どもの近くに暮らしてる人がうらやましいですか?

2017-09-12 16:02:43 | あばあちゃんになった私へ
土地柄、息子は、大学進学=家を出る、だ。

ここに来たときからそう思って過ごしてきた。

and 見える場所にいれば、手も口も出したくなるからできるだけ離れて

くれた方がいい、と思っている。もう充分手間かけて育てのだから、あとは

一人でやってってちょーだい、と思っている。



父・母は年老いるわけで、そこに若いのがいたらどうしたって頼りにするに

決まってるのだ。物理的にも精神的にも。



依存すること、それは片方であろうとお互いであろうと幸せになれない気がして

ならない。夫婦であっても、親子であっても、どこに暮らしていても、たとえ

だれかの力を借りる生活であっても、一人で生きているという感覚が奥にあることで

感謝して生きられるような気がする。



この歳になると子育てがゴールに近い、ほぼ大人同士になったいろんな親子がまわりにいる。


子どもには近くにいてほしい、と思っている親はけっこういる。


年老いていくさびしさは、子どもや孫では埋められない。


さびしさを紛らわすための知恵を総動員させるのが老年期の課題なのだと思う。





















「キッドナップ・ツアー」

2017-09-07 13:22:51 | ミルミル ネタバレチュウイ!!!
原作、角田光代。

NHKが単発ドラマ化したもの。

夜中に再放送していたのをチラリと見始めたら止まらなくなり、録画。


なんといってもダメダメな父親をあの妻夫木くんが演じているのを見ているだけでも新鮮さを

味わえる。ダメダメなオヤジと、しっかりものの娘、せつない夏休み・・・「サイドカーに犬」を

思わせる材料は王道なのかもしれない。


うまくいかない人生を何かのせいにしない、

旅の最後に娘に泣きながらそう教えたのは

何かのせいにした途端、自分の人生が自分のものでなくなってしまうから。

せめてそこだけは死守したいのだ。


それがうっすら分かった娘は、父親の持っている輝きに気付く。


あのダメダメオヤジに娘を愛しているか、と聞いたら

「分からない」と言う返事がきそうだ。

もしそこに親子の愛情がなかったとしても、ご飯を食べさせてくれて、膝枕で寝かせてくれて、

おんぶしてくれる、大人が近くにいることを、ただ受け止める。

どんなにつらくても、幸せでも、それをただのステージとして受け止めて初めて

自分が主人公になれるのかもしれない。














体調60%が日常ってことで・・・

2017-09-02 20:01:29 | やみーの日常
梅雨入りあたりからの不調。

60%のラインを上がることはなく、それより下をウロウロ。

横になっている状態が一番ラクなのだが、その状態に体が慣れてしまうことがコワイ。

不快だが、突然倒れたりすることはなさそうなので動くようにはしている。

情報収集した運動系もちょこちょこやる。

気分がすっきりするので掃除もやる。

洗濯もやる。

犬の散歩も行く。

買い出しも行く。

料理もする。

新聞も本も読む。

なんだ。

できているじゃないの。日常。

60%があたしのフツーだと思えば、もしそれ以上な日があったら超幸運。