やむやむやみー

やみーのやむやむな毎日

思い出たっぷり

2014-12-14 16:41:41 | 自分史



思い出たっぷりな場所に行ってみた。

そこは、電車の音とともに暮らした場所。

ごちゃっとしているのに、のんびりな雰囲気の駅前は相変わらずでうれしい。

あのころ駅から少し歩いたらうちが見えた。

商店街の石畳を、ロンドンに行く日の早朝、スーツケースを押して歩いた。

ワクワクしながら。響く音を気にしながら。

1年半住んだ町に、約12年も経ってこうやって再会するときの感情って

なんだろう?なつかしい、には違いないんだけど、泣きたくなっちゃうような

なつかしさの嵐。

住む、ということで、その町のなにかが体に染み付くのかもしれない。

住んでいるときには気付かなくても。

だから町のことを覚えている私の体のどこかが反応する。

ただの記憶とは違うなにか。

そんなものがあると言われたら私は信じてしまうなあ。






つながり読書64 「常識哲学」 なだいなだ

2014-12-13 18:09:00 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
作家としても、医者としても北杜夫と交流のあった、なだいなだ。

この本のための原稿は先生の死去により未完であり、つまり

これはなだいなだ先生が最後に出された本である。

題名からして自分とは縁遠そうなイメージを受けたものの、

編集部の方からのメッセージを読んで心が変わった。

「アルコール依存者の治療過程でたどり着いた哲学が、日常の思考判断の

 基準にも応用できるのではないか」

この先生の思いがあって出版に至った、というものだった。

83歳のおじいちゃま(失礼)の精神科医の先生がそう言われているのを

読んで、私は迷わずこの本を選んだ。


☆本の中で再三出てくる「有用か否か」という言葉。

 つまり実際役に立つかどうか。


☆「常識とは人間が一八歳までに作り上げた、偏見のコレクションである」という

 アインシュタインの言葉。

 「偏見」という言葉に対する抵抗は強い。そこで先生は「常識は変化する」という

 考えを元に、新しい常識、古い常識という言葉の有用性を実感される。


☆「ぼくは、自分自身が、先のことを考えず、今日一日をとりあえず、なんとかしながら

 生きようと思いました。今日やるべきことをやっていく。今日やることのできること、

 やることの許されていることをやろう。ぼくは、それをとりあえず主義と名付けました。」

 そして「とりあえず一日を生きるという哲学」も立派な哲学であるという先生の意見に

 大きく頷いた。吸った息を吐く、ということさえその一部であると思える。

 ただ今日できることの範囲は恐ろしく広く、質も違うはず。人によっても違う。

 違うからこそ、この人がとりあえず一日生きてくためには何が必要なんだろうか?と

 思いを馳せることが大事なんだろう。

 
☆「ぼくは治癒とか、治療とかの言葉よりも、かれらの場合にもっとも適している表現は、

 『挑戦』だと思いました。」

 私はケガをしたことで、患者側としてこの言葉を身を持って実感したことがある。

 私は治してほしい、という気持ち満々で通院していた。

 でも100%の治癒がないことが分かったとき、ゴールは自分で決め、筋トレは自分で

 やるもんだ、という現実に立たされた。

 だけど、その筋トレと療法に付き合ってくれた先生は、最初からそのつもりで私を叱咤激励

 してくれた。100%の治癒だけが、患者本人の幸せじゃないのだ。

 ダイエットだってそうだ。決意するとき、どんぐらい続くかなあ、なんて思ってはいけない

 雰囲気がある。これこそ古い常識、偏見なのかもしれない。




 



 

 









クリスマスツリー

2014-12-09 16:29:27 | やみーの日常
毎年欠かさず出してます(^_^)

が、私の身長より高いこのツリー、なかなか出し入れが大変。

大変といえば・・・この年末年始という季節。

クリスマスの用意、大掃除、年賀状、年始挨拶。。。一つ一つは

なんてことないんでしょうけど、やらねば、と思うとなかなか体も心も

重くなる。

そんな中、9年ほど働いてくれた食洗機が「もうダメ」宣言。

あああ(T_T)


でも17年弱主婦やって、ふと思ったわけです。

このワクワクしなくなった年末年始、どう過ごすか?

ズバリ「目に見えない何かに期待する!」

サンタさん、とか年神様とか、をお迎えすると思いつつ準備する。

そしてお迎えすることで、この新しい1年のどこかできっとご褒美を

もらえる、と考える。ご褒美は、目覚ましをかけ忘れたのに寝坊しなかった、

とか遊びに出かけるとき体調が良かったとか、一番キレイな時期の桜が見れたとか、

そんなことでいい。


さあ、来年はどんな自分がツリーを出すのやら?