やむやむやみー

やみーのやむやむな毎日

「ブリジット・ジョーンズの日記」きれそうなわたしの12ヶ月

2018-03-31 19:35:06 | ミルミル ネタバレチュウイ!!!
シリーズものの2作目だが、実はどれも見たことがなかった。

テレビで放映するのを知って録画したのを本日発見。

字幕ONで、と思ったら音声は切り替わるのに字幕出ず。

吹き替えで見始めた。

字を追わなくていい気軽さも手伝って、何も考えずに楽しめるラブコメにすっかり没頭。

しかもマーク・ダーシーの吹き替えが井上倫宏(ERのマーク・グリーン)といううれしいおまけつき。


好きなシーンは

朝のベッドから寝具ごと抜け出し、その中で着替えようとする(おデブな体を見られたくない)

ブリジットに、そのたぷたぷを朝も晩も見ていたい、とマークが言う。

振り向いたブリジットのニカッと笑った表情と、寝具を即座に落とした潔さ。


シリーズものは最初だけがオモシロイ、という私の偏見に負けない2作目だったので

1作目にお目にかかる機会を楽しみにしたい。





周期的にはずしたくなる

2018-03-28 08:58:49 | やみーの日常


何をはずしたいのか・・・それは扉。

初めは洋服ダンスの扉。

その後、食器棚の扉、ふすま、キッチン収納の扉とつづく。

はずしてみて後悔した扉は一つもない。

逆だ。

扉がなくなる開放感、効率の良さに感動している。

そしてそのはずしたい欲はどうやら周期的に訪れるようで

今回はナベ収納の扉。


これ、懐かしいのは私だけ?

2018-03-27 17:45:28 | やみーの日常


これ、私にとってはとても懐かしいおもちゃなんです。

なんというネーミングなんでしょう?

ボタンを押すと水流が起き、水の中をクルクルまわる三角を積み上げるゲーム。

電気も何も要らない、水を入れれば遊べる単純さが好きです。

これは数年前トイザらスで偶然見つけて、あまりのなつかしさに飛びついて買ったもの。

実家にはこの三角バージョンの他に、輪投げタイプもありました。

つながり読書117 「沈黙 アビシニアン」 古川日出男

2018-03-23 15:05:02 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!


前回短編集の中にあった「二本肢の猫」に登場したbar アビシニアンつながり。

古川日出男の作品を読んだことがなかったので、どうしてもこのアビシニアンで

つながりたかったのだが、その可能性は低いかな、としばらく思っていた。

基本、つながりはあまり無理せず、ゆるりとと図書館で出会えた本に進んでいる。が、

今回は多数ある古川日出男の蔵書の中にこれだけがなかったからだ。

ダメもとでブックオフに寄った。

そこではそもそも古川日出男の本が1冊しかなかった。それがこれだ!!!

というわけで、引き寄せた感はバッチリだったのだが。。。


「アビシニアン」から読み始めた。

ほへーこれが古川日出男の世界かあ、という感じでなんとか読んだ。

せっかく手に入れたのだから、と

「沈黙」も読んだ。

あああーごべんなさい。苦しいです。とても。



難解な本でも読み進めるうちに「あれ?ちょっと仲良くなれたかも」と、自分の成長を感じる本がある。

でも今回は私ちっとも成長しません。

たぶん・・・私の読み方、私が無意識に求める読書、ではいくら読んでもお近づきになれないタイプなのだと

思います。

村上春樹に傾倒、という情報を得ていたのでそれに安心していたギャップもあったかもしれません。

村上春樹の作品のようにのめりこめない理由はどこにあるのか?


・いつの間にかそっちの世界に引き込まれていた、という引力がない。

・「アビシニアン」のエンマ、「沈黙」の薫子、彼女たちを囲む人間、つまり登場人物にリアリティがなく、
 
 想像しづらい会話が不自然。実物が見えてこない。

・食べ物の描写がけっこう多いのにあんまりおいしそうじゃない。

・こう読ませたいという漢字のるびが多すぎて、おしつけがましい。









残すことに意味はあるか?

2018-03-10 08:41:23 | あばあちゃんになった私へ
先日、母が古い写真を持ってきた。

「おじいちゃんたちが(母の両親)死んだとき、あたしたちがなんでもかんでも捨てたみたいに

 捨ててほしくなくて」と言う。

つまり大事だから保存してくれっていうこと。

つまりこれはおじいちゃんたちが残したゴミ(失礼おじいちゃん)とは違うということ。

私は思わず笑った。

親にとって大事なものでも、子供にはゴミである可能性。

そういう想像に耐えられないのは老いた証拠。

「そういうもんでしょ」(私だってあなたと同じようにするよ、という意味)と言って受け取らなかった。


自分の死後ゴミとして捨てられる想像に耐えられないものは、

環境に影響を及ぼさない配慮の上で自分と一緒に焼いてもらう。

私はそうしたい。

















愛されているお雛様

2018-03-05 12:35:36 | やみーの日常



写真のお雛様は私が実家から持ってきたものだ。


とある宿の日帰り温泉入浴に行った。

日曜の午後、ということもあって貸切状態。

お風呂の心地よさも印象的だったが、それに負けない素敵な宿。

ここにもお雛様が飾ってあった。


よくある光景なのに何かが私を惹き付ける。


最初は分からなかった。

お風呂から出てきてもう一度近くで眺めて気付いた。


(愛されてるお雛様だ!)


お雛様の前にお小皿に入ったりんごやお菓子、パックに入ったままのいちごが置かれていた。

仏壇のお供えの感覚だ。

それらは優雅なお雛様のスペースには一見合わない。

だけど、その全体の雰囲気は泣きたくなるほどあたたかい。


忙しい旅館業の合間にため息まじりに出されたお雛様じゃないのだ。

1年に一度そのスペースでただずむお雛様のために、何か食べ物を置きたくなる気持ちを持った

宿主なのだ。


そんなお雛様を発見して見回したお部屋。

この空間が心地良いのは、この空間が愛されてるからだ、と気付いた。

人は愛されてる人間、愛されているもの、愛されている生き物、がそばにあるとき

幸せを感じるようにできているのかもしれない。













お決まりで風邪の治り際に思う

2018-03-01 22:07:09 | やみーの日常
もうこんな不快な思いしたくない。

もう絶対風邪なんかひかない。

と、思う風邪の治り際。


横になっても眠れない、落ちる嗅覚、お風呂に入る体力もない、雨戸の開閉も最小限、

食欲なし、ふしぶしの痛み・・・体調の悪さからきたこの症状。

程度の差はあれど、ひょっとしてこれは老人が日々味わっているものなのかもしれない、と

思い至りゾッとした。


急激にその状態に陥るのではなく、ゆーっくりとそこへ向かうのだから、今ほどのショックは

ないと思うのだが。。。


せっかくだから老人になる前に考えるのも悪くない。



①眠れないのはとりあえず時間に制約のない身であれば、昼間眠くなっても問題なかろう。

 起きてる時間は、目から、耳から楽しむ時間に助けてもらうべし。

 これに関しては新しい情報を拒みさえしなければ、どんどん広がっていく気がする。


②嗅覚や味覚、食欲の低下は仕方ない。でも体を維持しなくては不快度は増すわけで、とりあえず

 野菜をボンボン入れたスープや豚汁みたいなものをひとなべ作って食べ続ける。

 飽きるだろうけど汁物は意外と受け入れやすい。これさえあればあとはジャンクでもいい、そういう

 ゆるさが必要。


③お風呂はどうしても気が向かないときは、レンジでチンしたタオルでガンガン拭く。

 体濡らしたくないときは服着たまま頭だけ洗う。

 でも風呂が与える肉体的精神的影響は大きいので、できるだけ優先した方がいい気がする。

 今日入ると決めたら、朝から準備して一日かけて入るような気分で。


④確かに雨戸なんてどうでもいいわ、という気分になるだろう。

 でもせめて日が射してきたら1枚でも多く開け、夕方暗くなる前にしめて室内を明るくする。