やむやむやみー

やみーのやむやむな毎日

さあ次々にいけ!

2016-04-28 18:13:20 | 植物



今年は花が多い気がするユキヤナギさん。

今年もうつむきながら立派に咲いたクリスマスローズ殿。

つぼんでるときもキュートなチューリップちゃん。

葉っぱのグリーンとの相性抜群黄色、山吹様。

つながり読書82 「あなたに褒められたくて」 高倉健

2016-04-22 22:34:44 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!


第60回(2012年)曽野綾子とともに菊池寛賞を受賞しているつながり。

健さんが亡くなるまで、実は高倉健という俳優に興味がなかった。

亡くなって追悼番組などを見るうちに、あれ?と思った。

今回この本を読んだら、わわわ!と思った。

何気なく一緒に借りてきた「南極のペンギン」も一気に読んでしまった。


このタイトルを見た時から「誰に褒められたかったんかなぁ?」という疑問と

同時に、男が褒められたいのは母親か、と妙な確信があった。


当たり!

最終章「あなたに褒められたくて」はお母さんの話。

誰も気づかなかった健さんのかかとのアカギレに気付いたお母さん。

こういうの息子はドキッとするんだろうな。


健さんは「THE 男」なのだと思う。

しかもスタイルだけじゃない、骨の髄まで「THE 男」!

そこが魅力的なんだろうけど、それゆえの生きにくさもあっただろう。

そういう健さんが詰まった章が「お姫様の膝かけ」。

妄想の仕方の細かさがおかしくて笑ってしまった。


健さんは愛したものに対してまっしぐらだ。

その対象は女性であったり、男性であったり、物であったり、精神であったり・・・

おそらく撮った映画の一つ一つに対してもそうだったのだろう。













つながり読書81 「完本 戒老録」 曽野綾子 メモ9

2016-04-22 20:06:09 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
☆「彼女の手には、いつもハンカチや財布を入れた小さな

  布の袋があるだけだった」


年をとると物を持って歩くことが困難になる、という事実。

これはある程度覚悟する必要があるかもしれない。

粗大ゴミを捨てるにも自分の力だけで解決できない日が来る。


☆「『騙される気で騙されて』病気なんていうものもけっこう

 治ることがある」


私は「だましだまし、いきましょう」という表現が大好きだ。

だましだまし、いっときでも機嫌よく過ごせる時間が作れたら

お医者さんの仕事は成功で、患者もハッピーなのだと思う。

そしてその機嫌よく過ごせる時間がもっと増えたら、もっと成功で

もっとハッピー。

私が首を患ったときに「再発させないためには?」なんてアドバイスを

乞うたとき、先生は言った。「んー分かんない。ま、痛くなったらまた

来ればいいじゃない?」

その場では不満だったけど、あとで納得した。

そんなアドバイス聞けたとしても、無理するときはするし、やりたいと

思ったらするだろう。

それで再発したとしても、また対処すればいいじゃん、という考え方。

まさしく対処療法だ。

根本的な治療することに執着することだけが医療じゃない。


☆「一生懸命に死ぬことである。それを見せてやることが、老人に残された、

 唯一の、そして誰にもできる最後の仕事である」


同じようなことを樹木希林が言っていた。ありのままの死を見せたい、と。


☆「大局をおさえる仕事のためには老人のほうが適している要素もある」


これは年齡だけじゃなく、男女にも言えるかもしれない。

気持ちのひだを読めずに「要するに」と理詰めでいくと、女性陣の中では

生きていけない。


以上、現時点での感想。

これまた10年後などに読んだら一体どんな感想になるのか?



 

つながり読書81 「完本 戒老録」 曽野綾子 メモ8

2016-04-21 20:01:00 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
☆「どこで死んでも同じである」


旅先で具合が悪くなったり死んだりすることを恐れる必要はない、

という話。旅は、帰宅してホッとする、というところまで醍醐味なのかも

しれない。この家にもう帰らないかもしれない、という覚悟をして

で出る旅は、それこそ若いときには味わえなかったものになるだろう。


☆「夕方には早めに灯をつけること」


必要、不必要に関わらず、ということだ。

ひとり暮らしならなおさらだと思う。

キャンドルの火が落ち着くぅ~なんていうのは若いうちだけか?


☆「遅寝遅起き型に自分を持っていく」


テレビは深夜の映画がおもしろい、と理由があった。

これは試してみる価値ありそうだと思った。

だって若いときはかなわなかったことだし。


☆「『隠遁の生活』風にみえるものを、本来の姿で愛せるのは、

  田舎の出身者だけである」


さあ私はどっちだ?立派な老人になるころ都会暮らしより長くなるはずの

地方生活。自然に近い分、それと闘う姿勢でさえそこで暮らす意味を持つ、という。

雪国で70,80の老人が屋根の雪下ろし中に亡くなったりするニュースを聞くと、

そうしなきゃならないことが分かっててなんでそこに住むのか?と思ったりした。

だけど、たぶんそれは彼らにとっては自然なことで、ケガしたり亡くなったりするのは

残念なことだけど、こちらが「やめときゃいいのに」なんて言うべきことじゃないのね。


☆「老いが不意に来たと思う人は用意が悪いのである」


うわー。私はいろいろ想像して準備するのが好きだから、「用意が悪い」という

言葉は刺さる。まあいろいろ想像しても実際は想定外だらけなんだけど。










つながり読書81 「完本 戒老録」 曽野綾子 メモ7

2016-04-21 19:14:17 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!

☆「九十まで生きるつもりで、それで使いきるように計算をして

  あとは、私の知ったことではない」


実際89になったとき、本当にこう思えるのか自信がない。

だけど老後を不安にさせる要素して、自分が後何年生きるのか、という

問題がある。

たとえば年金の支給開始年齡を遅らせてでも、90以上生きたらあとは

何も心配しなくていいですよー、というような制度はどうだろう?


☆「すべての文学を理解するという能力は、青年のものではなく、

  老年のものかもしれない」


それは老いる甲斐があるかも。


☆「一方的に、自分の体力や気力を標準にして、自分もこれくらいのことが

  できるのだから、相手にもできそうなものだ、と思い込む人がいる」


年齡に関係なくいる。こういうタイプ。

比較することで満足するのは人間の性かもしれない。

でもそれだけで満足する人生はむなしかろう。


☆「つまり、歩けない人は、その人らしく振る舞うことも、

  生活することもできない、とギリシア人は考えていたのである。」


「歩く」という言葉をギリシャ語的解釈に基づくとこうなるらしい。

現代においては、歩けないことがその人らしさを奪う、ということに

直結するとは思えないが、逆に「歩ける」ということの重大さに

気付きにくい時代になったのかもしれない。


☆「一日一回、脈搏を百二十くらいまで上げる」


これにより体のすみずみまで酸素を送ることができる、という考え方。

80でエベレスト登頂した三浦さんも似たようなことをされていたのを

見たことがある。ちょっと重い荷物を持って脈をみながら時間を決めて歩く。

やり過ぎるとケガにつながり、やらなければ老化につながり・・・



つながり読書81 「完本 戒老録」 曽野綾子 メモ6

2016-04-20 12:33:48 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
☆「憎しみさえも、時には淋しさよりいいということに

  なるのだろうか。」


これについては予測がつかない分こわい。

そうなりたくない。

今までの自分をひっくり返すほどの淋しさを予測する、

これが老前にできることか。


☆「明日も飲みたいと思うかどうかが、漢方薬が自分の体質に

  合っているかどうかを計る目安だ、というのを読んだことがある」


体調面でいろいろ問題を抱える私は、漢方と西洋のハイブリット方式で

対処している。人体実験しながら賢い付き合い方をしていきたいなあ。


☆「口臭、体臭に気をつけること」


おそらく鼻の感度も鈍ってくるから難しい。

特に部屋で石油ストーブを使用していると、部屋に独特の匂いが漂い、

当然服などの布類にもしみこむようだ。


☆「小さなものを、ちょっとずつ新調することを自分に義務づけたい」


これはぜひ心がけようと思う。

人間どこでばったり倒れるか分からない。

そこで永遠のさよなら、ならともかく、病院に運ばれるような事態になったとき

「あ、今日のパンツやばかった」なんて思いたくない。