やむやむやみー

やみーのやむやむな毎日

つながり読書114 「火の鳥」1〜13 手塚治虫

2018-01-28 22:21:38 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!


前回「さよならクリストファー・ロビン」の中で頻繁に登場したアトム。

ここで引用されているアトムには、私が今まで持っていた子供向けの明るいヒーロー色は感じられず、

むしろアトム自身の深い考察に、そうか鉄腕アトムってこんな話だったのね、としんみりしてしまった。

そこでつながった「火の鳥」。

13巻すべてが火の鳥が関わる物語で、それは古代においても未来においても

人間という生き物が基本的に変わらないものであることを火の鳥を通して気付かせてくれる。


どういう行いが良い、悪いというような単純なものさしで作られた物語ではない。


一見良さそうに見えたものが、悪しきもののように見えたものと、実はたいして変わらないということを

火の鳥が知るのは、不死鳥として生き続け、世の中を見続けた結果だ。


未来について描かれた物語は、今でこそもう手が伸ばせる範囲にある世界だと感じるのだが、

これが描かれた時代に、所詮AIも人間がつくり出した産物であり、何か一つ歯車が狂い出した途端、

人間の愚かさがこぼれ出てくるというような想像していた手塚治虫という人間を、ただただすごい!と思う。
















気が気じゃなかった・・・

2018-01-27 22:55:16 | やみーの日常
鍵がないことに気が付いた。

玄関のあるべきところにない。

ポケットを探り、持ち物をひっくり返し、頭の中で必死で再現ドラマ化する数時間前の行動・・・


私の記憶では失くしたのは家でしかありえない、という結論に達し、予定通りとりあえず夫と外出することにした。


ところが、車中、夫の記憶を聞くと、私のその結論はあっさり崩れることが分かった。


気が気じゃない。

私の脳内は、何か小さなヒントがあるはずだ、と再現ドラマの精度を上げることに専念しており、

楽しめるはずの風呂も食事も半分以上、上の空。

こんなとき、私を決して追い詰めない、責めない夫に申し訳なさと、自分の情けなさにげんなり。


「あらら、どこ置いた?」は日常茶飯事の私であるが、致命的なミスはない(ので、繰り返す、とも言える)。

and ナクシモノに対する執念深さは自分の物はもちろん、家族の物に対しても同じだ。

「物はね!いくらおうちに帰りたくても、自分で帰ってこれないんだよっ!!!」と息子を叱る。

感情移入しやすいタチなのだ。


しかし今回はそういうレベルじゃない。

鍵なんだから。。。


もういいかげん記憶をたどることに疲れた脳が、さらに私を滅入らせたころ、犬の散歩のため

公園にいた。トランクを開ける、犬を出す、リードをつける、一連の動作を横目に夫がごそごそ

しながら言った。「ははは、こーんなとこにあったりしてね」と犬グッズを入れたカゴを探った手が

止まった。



「あった」


私が絶対ないと思った場所。

それは朝の行動から私がそこに鍵を落とす可能性がない場所。

つまり、つまり、犯人はちみだあっっっ!!!


おそらく朝、犬を車に乗せるとき、なぜか家の鍵を手にしていた夫は

リードと一緒にカゴに入れた、という図が浮かび上がった。


見つかった喜びと同時に湧き上がる感情。

「今までの時間返してーーーっ」


散歩の間、「オレかなーホントに?」「あーたしかいないでしょ」を繰り返し、

彼はコンビニでスイーツをねだられるハメになりました。

ああよかった、あって。

ほめられたいですか?

2018-01-02 21:09:20 | あばあちゃんになった私へ
「ほめられて伸びるタイプです!」

なんて言うセリフはひよっ子に許されるものだと思う。

基本、みんなそうだと思うから。

自分の子どもをほとんどほめることをしなかった母でさえ

ほめられたがっているのを感じたとき、内心ケッと思った。


ただ母に限らず年寄りにその傾向が強い気がする。


子どもにかえっていく、と思えば自然なことなのかもしれない。

だけど、一応分かっていた方がいいだろう。


そこで相手が「ふーん」と流すこともあれば、

「あたしのほうがスゴイわよ」となることもあるし、

「すごいね、えらいね」とほめていい気分にさせてくれることもある。


要は自分が自分をほめてやって満足するのが一番クールであり、

もし他人からほめられたらラッキーと思って、相手をほめることも忘れない。




私の正月

2018-01-02 18:18:41 | やみーの日常
主婦になって約20年。

約10年義父母の家でお客として正月を迎え、

そして約10年義母を迎えて正月を過ごしている。

迎える側になって、私は今回初めて、「私の正月」として満足している。

「これでいい」という正真正銘の自己満足だ。

自己肯定感の低い私にはこれは珍しいことで、すなわちとても気持ちいい。


何がそう思わせるのか?


ちょうど良い加減ができるようになった、のかもしれない。

このエネルギーでこの結果という予想が当たること。

変な力が入ってる自分に気付くこと。

失敗からのリカバリーの方法の選択肢を持っていること。

こんなもんだとあきらめられること。

主婦20年を経て得た満足だ。

私の元旦

2018-01-01 19:56:39 | やみーの日常
ここ数年、トラブル続きの年末年始。

とにかくフツーに、無事過ごせることが目標にして、今回の年末年始を迎えた。

年末は年賀状はぎりぎりだったものの、印刷に入ってから投函まで滞りなく進んだし、

お風呂は夫に頼んでカビ撲滅したし、ゴミは出せたし、おせち準備もお泊りセッティングも

うまくいった。私はどうもすぐ首が凝るらしいが、それに気付くのも遅いのかもしれない、と

思った。大丈夫だと思っていてもマメにセルフケアしなければ。


そして次の年末年始に向けて私に言っておく。


「数の子食べるな!」


おそらくアレルギーあり。おそらくアニサキスアレルギーではないかと思う。

そばの用意をし始めた頃、冷や汗が出た。休むしかないことは分かっていたので、なんとか眠りにつき

やり過ごした。


めまいは相変わらずだし、この体ほんと困るわ、と思うのはおそらくこの1年も変わらないだろう。

でも仕方ない。

自分の体のことは自分にしか分からない。今年もジタバタするか。