やむやむやみー

やみーのやむやむな毎日

「ゆうゆう」2016.1

2016-11-17 10:20:19 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
☆「心の習慣・禅の言葉」 枡野俊明

 誰家無明月風清風 たがいえにか、めいげつ、せいふう、なからん

 誰にでも同じようにチャンスはやってくる。
 ただつかまえる準備をしているかどうか、日頃の努力が結果を左右する。


 
こういう言葉を聞くと、いかに日々の暮らしが大切か、ということにいきつく。

私にも日々の努力があるからこそつかんでいるチャンスがあるだろうか?


いつも冷蔵庫の中身を生かせるよう気にかける
        ↓
おもしろい素材の組み合わせで超うまいものができちゃった



まあ、ちっさいけどこんなとこだろうか。


つながり読書93 「魔女の1ダース」 米原万里

2016-11-14 19:43:51 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!


この作品が賞を受けた際の、お祝いスピーチが前回の本に載っていた、つながり。

世界史を基調にした話が多いので、もっとそちら方面の基礎体力があれば

楽しめたのに、と思った。

でも米原さんの文章は魅力的。

特に同時通訳の仕事の「現場」を感じるところは興味深い。

通訳する、という異文化の架け橋的なお仕事をされているからこそ、

見える世界があるようだ。


☆「おおよそ大多数の人々にとって、自己や自民族中心に世界は回っている。

  それは必ずしも良い悪いと決めつけられることではなく、生命体の自己保存本能から

  発する自然の法則のようなものである。だから、『相手の身になって』考える『思いやり』には

  限界がある。相手自らに語らせて、常にそれに対して心開き耳傾ける姿勢であることのほうが、

  より確かな気がする。」


☆自分の脳味噌にインプットするパターン、に関する話の中で。


 「同じ過ちを繰り返す人は、刷り込んだパターンが間違っているのだ。」(外国語学習での話)


 ちょっとドキッとする。

 もっと広く考えると、人間として生まれ落ち、生きていく術を刷り込む。

 その相手は親だ。

 ううう。大丈夫か?息子。。。

 そして幸せになるための方法として彼女は言う。

 「努力しだいで改善が見込める分野にはどんどん理想パターンを取り入れ、

  容貌とか年齡とか努力の余地のない分野にはゆめゆめ理想パターンなど描かないこと。」



 

「ゆうゆう」(発行年月日記録忘れ)

2016-11-14 19:00:47 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
☆チャンタソンインタヴォン

 「あなたの人生の責任はとれないから自分で決めなさい」


迷っている娘にかけた言葉。

子供の人生は自分の人生じゃない、という意識。

そう意識することで親はずいぶんラクになれる気がする。

だって自分の人生だけでじゅうぶん大変なんだもの。

そしてそう言われた子供はきっと一生懸命「自分の人生」を

考えるようになる。主導権は自分にあるのだから。

最近我が家は高1の息子に通帳を見せて言った。

「君のために使うために、生まれてから毎月少しずつ積み立てたものだ。

 これ以降、進路に関わることを検討するときの材料として

 意識してマネジメントして欲しい。」と、いうようなこと。



☆横森美奈子

 「目標は過労死。三日坊主でもやらないよりまし。」



☆相談コーナー 受けているのはピーコ

 「だれかといっしょに死ねない以上どちらか残るのは

  特別なことじゃない。一人だろうが二人だろうが生きるために

  しなくてはならないことをちゃんとする。

  例えば料理・選択・掃除」

 
  母を見ていて思う。

  一人になると途端にペアが気になるらしい。

  それは私たちの世代も同じだ。

  既婚か未婚か。子供がいるかいないか。。。

  比べない。比べない。

  他人の幸・不幸を決めつけることはできない。




 

座右の銘はなんですか?

2016-11-04 18:35:48 | 自分史
先日、ラジオの番組内でベタな質問。

「あなたの座右の銘はなんですか?」


以前はそう聞かれたらなんて答えたらカッコイイかなー?なんて思いながら

心にもない言葉を探したりした。要するに座右の銘なんてなかったのだ。


しかし!!!今はある。


「信じる者は救われる」だ。


この言葉、どちらかというとコミカルに使われることも多いと思うし、

それほどシリアスな雰囲気は持っていない。


だけど、私は数々のピンチを経て、この「信じる」という言葉の強さを思い知った。


「信じる」は中途半端な気持ちでは遂げられない。

ダメかも、と思う気持ちを押しやり、ゆらゆらしないためには相当のエネルギーがいる。

そうやって信じていると、救われる(救われたように感じる)瞬間がやってくる。

人によってはそれが宗教だったりするんだろうか。