矢倉沢通(やぐらさわどおり)4月26日(日)

2015-04-29 22:12:07 | その他の街道
江戸幕府所管の27道について道中奉行が編集した「五街道其外分間見取延絵図」がある。その復元解説本である
「五街道分間延絵図」に載っている矢倉沢通を前回一回目(1月12日)に続き、伊豆箱根鉄道大雄山駅から
JR御殿場線足柄駅まで歩いた。
早稲田大学中央図書館でこの本から手持ちの地図にトレースして、解説の地名、寺、神社、一里塚などをメモして
たどっていくのだがガイドブックではないので、現地に行ってみて勘を頼りに歩く。2013年3月に行った根府川通は
東海道箱根越えの南側裏道で矢倉沢通は北側裏道だ。
奈良、平安時代の東海道は、小田原市国府津(当時の呼び名は小総駅)から大雄山駅のある関本(坂本駅)へ通じて
いたのだが詳細はわかっていない。関本から三島までは、ほぼ矢倉沢通と同じような所を通っていたらしい。
そう思うとうれしくなる。


大雄山駅で。

関本には、関本宿の名残の建物はすくない。

この看板と更級日記の次の部分とが対応している。



このあたりは水がきれいで豊富だ。





特徴ある形の山が矢倉岳。この後、目印となる。





足柄神社に到着。









観音堂。





右が神社、左が観音堂。

参道、下の村に通じているがかなり急な坂。ここは下らずに足柄古道と書いてある尾根道をしばらく歩いた。







まだ桜が残っていた。





調べてみたら関東たんぽぽのようだった。





川沿いの国道に下りる。












江戸時代の関所の跡。





マス釣り場。

駆け下って来る人が現れてびっくり、あわてて写真を撮った。

自転車の人はけっこう居た。今日一日では十数人になる。人気のある道なのかもしれない。ただ、自転車は速くて
なかなか撮れない。







オートバイも多い。曲がりくねっているので人気があるのだろうか。ハーレー5、6台のグループも追い越して行
ったがうまく撮れなかった。オートバイはグループで、自転車は一人で、だったので、おもしろいなーと思った。

こんどは後ろから、駆け上って来る人がいた。大雄山駅から足柄峠まではすべて上りで、しかもかなり急なところも
いっぱいある。歩くのもたいへんなのにすごい体力、気力だ。どこから来たのだろう。



オートバイはさっきのグループの最後尾。

この後、林道にはいった、舗装はしてあるが一般車禁止で歩きやすい(2、3台はいってきたが):

テンナンショウ類がたくさん生えていた。











矢倉岳が近くなった。

林道の終点の集落でお昼ご飯中のおばあさん達。道を確かめて、写真を撮らせてもらったら、野菜、山菜てんぷら
とおつけものをくれた。写真を送ってほしいという事で住所をくれたので、近々送る。



歩きながら食べたがおいしかった。

茶店やうどん屋のある地蔵堂の近くだった。顔出しパネルで1枚、このときはタイマーで。

地蔵堂。

オートバイの人達はうどん屋へ。駐車場にもいっぱい車が止まっていて、茶店もうどん屋も繁盛しているようだった。

ぼくはどんどん先に進む。

このあたりで矢倉岳は後ろに見えるようになった。





今日はほとんど舗装道路を歩いたが、ところどころでこういうハイキングコースも歩いた。

足柄峠に到着。

関所跡。この女性に下の写真を撮ってもらった。



聖天堂。

足柄城跡。

ここにも桜が残っていた。





これがその池。丘のてっぺんなのにちゃんと水が溜まっている。

おそくなったがいつもの昼飯。

富士山が見えた。



御殿場線足柄駅に向けて下る。



前の方にハイカーが二人見えた。

今日の地域には、テンナンショウ類の立派なものが多い。





ひさしぶりの双体道祖神。

集落に到着。

線路をくぐるこんな近道があった。

足柄駅。体育大会かなにか催しがあったようで、このあとも続々と中高生?がやってきて、ホームがいっぱいになった。
ぼくは国府津方面に乗ったが、この人達は沼津方面だった。

無人駅だ。乗ってから回ってくる車掌さんに自己申告して、切符を買う方式だった、ちょっとめんくらう。





この後、松田駅で降りて、となりの小田急新松田駅から小田原に出て、新幹線で帰った。
更級日記も連想されるたのしい街道歩きだった。残りは、2日かけて歩こうと思っている。
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