四谷凸凹歩き3月24日(土)

2012-03-25 17:15:12 | 東京23区とその近辺
小雨模様だったが、東京スリバチ学会の四谷フィールドワークに参加した。
本が出版されたばかりだったので、びっくりするぐらい大勢の参加だったが久しぶりで
楽しかった。


スタートはJR信濃町駅の南側の歩道橋から。
外苑東通り。

千日谷のスリバチ(凸凹)地形がよくわかる。

スリバチの底へどんどん下りて行く。



川跡とおもわれる底の道。

底(谷)はこんな風景。



北側の丘に上る。



また下って、二つの川跡の合流地にある咳止め稲荷神社に行く。

神社の東隣りのみなもと町公園。ここは江戸時代低湿地だった。この付近に鮫河橋があったと
言われている。



すぐ近くに東宮御所がある。


丘の上に上って、跨線橋から信濃町駅方向。

同じ場所の反対側は迎賓館の地下をかすめて通るトンネル。

鉄砲坂から川跡の道(若二商店会の道?)を通って、若葉公園の窪地へ向かう。





若葉公園、スリバチの底であることがわかる。

まわりの様子。



ここにも川跡の道がある。

この谷の一角でマンション建設中だった。背後の崖がよくわかる。

ふたたび、若二商店会の川跡の道にもどる。

鮫河橋谷の西側の丘にある須賀神社に行く、参道階段上からみた谷。

須賀神社。

境内から鮫河橋谷(スリバチ)を見る。防衛省のアンテナが見える。

さきほどの若葉公園の北側の坂の上。

ここは、お岩さんを祀るお寺。

筋向いの、お岩さんを祀る神社。寄進者の石柱には歌舞伎関係者が多い。

立派なイチョウ。

新宿通りを越えて、荒木町の窪地に向かう。

荒木町の金丸稲荷神社、お狐様がこっちを向いているが入口はこちらではない、
付け替えられたのだろうか。
荒木町は「とんかつ鈴新」のご主人に案内していただいた。

ここから階段を下って、江戸時代は南北に細長い大きな池だった荒木町の窪地に行く。
ここは高級料亭らしい、みかけは手入れしてない日本家屋と言ったところで、倒れる
のではないかと思った。

現在はこの小さな池しか残っていない、また湧水も枯れている。
明治29年の地図を見ると大きな池になっている。

津の守弁財天が祀られている。

このあたりは江戸時代は池。

ここも、池。ここでも防衛省のアンテナが見える。

池だった場所のまわりは階段だらけ。この階段付近は江戸時代に池を作るために築いた
人工の土手。荒木町は江戸時代、美濃高須藩主松平摂津守のお屋敷だった、池も大名庭園
として作られた。









さっきの神社の横の公園のナツメの木。
明治から戦前は、このあたりは陸軍ゆかりの地、日露戦争時に旅順から持ってきた種か苗
から生えたものらしい。

松平摂津守の屋敷跡は表示されていないが、これは屋敷の石垣らしい。

川跡の道を東に向かい、暗闇坂の谷に行く。

ブラタモリで話題になったらしい地層の見える場所。

暗坂、かなりながい坂と階段。

この名前の坂は東京にはいくつもある。

暗闇坂の谷を見る、向こうに代々木のNTT時計塔が見える。

大江戸線曙橋駅の北側のジク谷に行く。

いったん、谷に下りて、丘の上のフジテレビ跡地に行く。

跡地には、UR賃貸住宅と東急不動産賃貸マンションが同居した高層マンションが建っている。





ふたたび川跡の谷底の道へ。

あけぼのばし通りは川跡に位置している。
ここで、解散、楽しい散歩だった。
コメント
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