古文書に親しむ

古文書の初歩の学習

第七章 異国舩騒動・その二

2011年09月25日 09時58分39秒 | 古文書の初歩

 

 

 

 

異国舩騒動第二ページ(上の写真のはじめから)。文字が読みにくく、教材としては適当ではありませんが、ご辛抱をお願いします。

解読

一筆申入候、然者異国舩躰之舩

古座組水崎沖ニ漂流致候趣

読み方

一筆「いっぴつ」申し入れ候。然者「しかれば」異国舩体の船

古座組水崎「みさき」沖に、漂流致し候趣「おもむき」

解説 「一」の次の字は「筆」を長く伸ばした字で、次は「申し入れ候」。「入」が左に大きく跳ねています。 次の大きな字は「然」その下は「者」・・・然れば(しかれば)。 「異国舩躰」・・・「異」は異体字で「己」の下に「大」と書きます。「国」の崩し方は、これは極端な方です。 「舩」は異体字。 「躰」は「軆=體の異体字で、ここでは「てい」と読みます。「異国舩のような形の」。 一番下も「舩」。 二行目上から「古座組」。 「水崎沖」・・・「みさき沖」。水崎は「岬」で「潮岬」の事。潮岬は尾鷲組から見れば、古座組だと勘違いしたのでしょう。潮岬は江田組に属します。 「漂流」の次に「致候」と小さく「候」が入り、最後は「趣」・・・事情とか内情・様子。


第七章 異国舩騒動・その一

2011年09月24日 10時15分00秒 | 古文書の初歩

異国舩騒動第一ページ【表紙】

解読

寛政二年戌八月

戌八月十四日古座組水崎沖ニ異形之

舩相見へ候との儀ニ付、御状来状留

           尾鷲組

            大庄屋元

読み方

寛政二年戌(いぬ)八月

戌八月十四日、古座組水崎(みさき)沖に異形の

船相見え候との儀に付き、御状・来状留(とめ)

           尾鷲組

             大庄屋元

解説 寛政二年は、一七九0年で今から二二一年前になります。 古座組水崎沖・・・水崎は(みさき)と読み、現在の潮岬の事をこのように書きました。但しこの文書は、尾鷲組のもので、遠く離れた口熊野地方の事はあまり理解出来ていなくて、「水崎」は実際は古座組の西隣の「江田組」に属しています。 「異形之」・・・変わった形の。「異」の異体字は、己の下に大と書きます。 「舩」・・・船の異体字。 「御状」は分かりますが、その下の「来状」はちょっと読めません。 一番下の字は「留」で記録・控え。 「尾鷲組」・・・江戸時代は、尾鷲地区までが紀州藩の領地でした。和歌山(若山)との距離が遠い為、有る程度独立の権限が与えられていたとの事です。


第六章 鯨方一条・その三十八

2011年09月23日 10時06分36秒 | 古文書の初歩

 

鯨方一条のまとめ

熊野灘に面する古座浦捕鯨業は、江戸時代、紀州藩が創設に係わった半官半民の鯨漁で、その点、古式捕鯨で著名な近くの太地浦の捕鯨業が民間の経営であったのと大きな相違です。鯨方の「方」とは、役所の意味も含みます。又捕鯨業以外にも、難破船の救助や、異国船の見張りなど海防の役目も担っていたと言うことです。(以上先生に教えて戴いた話です。)

この古文書は、第一ページが古座組の隣の、江田組大庄屋が、古座鯨方の事件に関与して罰せられた、古座組大庄屋の替わりに古座組大庄屋兼務を命じられたと言う文書から始まっています。

二ページからは、鯨が捕れた時に、鯨方と商人が結託して、入札のたびに不正をしてお金を積み立てて置き、商人どもに用立てしたり、内部で貸し付けしたりしていた事が発覚し、それぞれ処罰すると言う判決文のような文書が九通続きます。最初、古座浦の庄屋は、責任上「浦追放」と言う重い罪。鯨漁師と商人にははそれぞれ罰金刑。 大庄屋は免職で自宅謹慎四十日の判決です。

これに対し、各浦村の庄屋連名で、当組の大庄屋は住民の為によく尽くしてくれた人で、是非お情けをもって、元通り大庄屋の役をさせてあげて下さい、それが駄目なら、せめてその息子に大庄屋の役を命じてくださいと言う陳情書が最後にあります。

古座組は、紀伊半島南部の「口熊野」の一部で、明治以降は和歌山県東牟婁郡に属し、その後昭和、平成の世に町村合併を繰り返し、平成二十三年現在、海岸沿いの地区は西牟婁郡串本町と合併して、東牟婁郡串本町となり、海岸以北は東牟婁郡古座川町となっています。

古座川は、四国の四万十川に匹敵する清流と言うことで有名で、上流域山間部は紀州材の産地で、終戦後まで製材業でも栄えました。現在は外材に押され、製材業者はほとんど廃業しています。清流の鮎釣り・鮎の「火振り漁」・レンタル・カヌー・河内祭り等、川に関連したレジャーで観光客を誘致しています。古座の獅子舞は、当地方各所の獅子舞の原点と言われています。


第六章 鯨方一条・その三十七

2011年09月22日 10時04分22秒 | 古文書の初歩

 

 

 

 

 

鯨方一条第十五ページ最終行の七行目

解読

長洞尾 同人、 かし原 一伴右衛門、 坂足 一 和助、 

高野 一 儀右衛門、 かし山 一 儀右衛門、 楠村 一 喜平、

解説 七行目最初は、読みにくいですが、「長洞尾」と読むと重複していますが、名前も同人ですから、重複と思われます。 「かし原」は「樫原」。 次は「坂足」。 次は「高野」。 「かし山」は「樫山」。  最後は「楠村」。「喜平」の左にもう一人名前がありますが、読めません。  江戸時代の古座組は四十三か村で、ここに名前の出ている村は四十一村、あと「山手」と「直柱」が載っていません。「長洞尾」の重複と、最後の「楠村」の左側に村名が有る可能性がありますが、分かりません。 「大島・須江・樫野」が現在の串本町に属し、「姫川・姫・伊串・神野川・西向・古座・津荷・下田原・中湊・古田」が旧古座町(合併して現串本町)、それ以外は、現古座川町になります。 


第六章 鯨方一条・その三十六

2011年09月21日 09時26分40秒 | 古文書の初歩

 

 

 

 

鯨方一条第十五ページ五行目から

解読

つる川 安右衛門、 立合川 一 幸次、 立合 一 佐之助、

相セ 一 吉兵衛、 峯 一 善次、 日南川 一 庄助、

洞尾  庵右衛門、 蔵土 一 吉三郎、 直見 一 佐次衛門、

中崎 一 由蔵、 長洞尾 一 甚右衛門、 猿川 一 同人、

解説 「つる川」は「鶴川」と書きます。 次の「幸次」の「次」は何度も出ました。たまたまこの文書では偶然横に三つ並んでいます。覚えて下さい。 立合の次の「相セ」という文字も、地名を知らなければ読めない字です。実際は「相瀬」と書きます。 「吉兵衛」の「兵衛」が難しい。 「峯」の「善次」の「善」も何回か出ました。 その下は「日南川」で「南」は崩し過ぎです。 六行目最初の地名は「洞尾」と書いて「うつお」と呼びます。ちょっと読めません。 「庵右衛門」の「庵」も難しい。 次の地名は「蔵土」と書いています。「くろづ」と読みます。難読地名の一つです。 その次は「直見」と書いて「ぬくみ」と読みます。「佐次衛門」。 中崎の下は「長洞尾」で「ながうつお」と読みます。 一番下は「猿川」、これも読むのは困難です。「同人」というのは、兼務という事でしょう。 人名よりも地名の説明が多くなりました。