勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

幸せな出会い

2006-07-03 20:21:50 | Weblog
 昨日の記事、星野富広さんの「幸せ」の詩は、僕にとって大切な詩でもあります。

 我がブログで多くの方と出会い、楽しくオシャベリさせていただき、とても感謝しています。
その中のひとり「おにぎり」ちゃんとは、親子のような関係でお話をさせていただいていますが、その軽妙なオシャベリは、彼の聡明さが伺え、また以前にも紹介したように、サッカーのゴールキーパーとして活躍し、岐阜県代表にも選ばれた優秀な選手でもあります。

 その彼との初めての出会いが、我がブログで紹介した星野富弘さんの詩と、彼のブログで取り上げたこの「幸せ」の詩をきっかけに今に至っています。
そんな縁を大切にしたいという気持ちから、あえてこの詩を我がブログでも取り上げたのです。

 頚椎骨折という怪我により、首から下の運動機能が麻痺しながらも、絵筆を口に咥えて書く星野富広さんの絵と詩は、彼でなくては見えない感性で、我々に訴えてくるものがあります。
同じ頚椎損傷という怪我から、幸いにも復帰できたおにぎりちゃんには、きっと彼の気持ちがわかるのでしょう。いつも優しい言葉に溢れています。


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 星野富広さんの花の詩画集「あなたの手のひら」の結びで、富弘さんはこんなことを言っています。

 電動車椅子で畑の道を歩きながら見つけた草花などを採ってきて描いています。地面に生えているその場所で描ければいいのですが、首の力は以前とほとんど変わりませんから、やはりベッドの上で身体を横にして描いています。
  
 顔の前20センチのところに画用紙を立てると、他のものはほとんど見えなくなります。ですから描く花は画用紙の横に辛うじて見える一輪か二輪の花になります。でもこの不自由が、私に花の美しさを教えてくれました。あれも描きたい、これも描いてみたいという誘惑から、一輪の花と静かに向きあう事を教えられたのです。

 よく見ると道端の小さな花は、決して小さくはありませんでした。虫に食われた葉っぱ、折れてもなお起きようとする茎、夏の陽に焼かれた花びら、いつのまにか、私は草花に人間を重ねて見るようになりました。

中略
 
 絵と文字という別のものを、一枚の紙の中に描いていくうちに少しずつわかってきたのですが、絵も詩も少し欠けていた方が良いような気がします。欠けているもの同士が一枚の画用紙の中におさまった時、調和のとれた作品になるのです。
これは詩画だけでなく、私達の家庭も社会も同じような気がします。欠けている事を知っている者なら、助けあうのは自然な事です。

2006.07.03