まとまった雨も降らず、猛暑が続く毎日に少し辟易していたが、夜になって激しい雷雨。これを旱天(かんてん)の慈雨というのだろうか。期待した皆既月食を見ることはできなかったが、開け放した窓からは、涼しい風が吹きこんでくる。

「なにも期待しないという覚悟で生きる」
私たちは「泣きながら」この世に生れてきた。私たちは死ぬときは、ただ独りで逝く。恋人や、家族や、親友がいたとしても一緒に死ぬわけではない。人はささえあって生きるものだが、最後は結局ひとりで死ぬのだ。
どんなに愛と善意に包まれて看とられようとも、死とは自己の責任で向きあわなければならないのである。
だから親は子に期待してはいけない。子も親に期待すべきではない。人を愛しても、それはお返しを期待することではない。愛も、思いやりも、ボランティアも、一方的にこちらの勝手でやることではないか。そう覚悟したときに何かが生れる。
何も期待していいないときこそ、思いがけず他人から注がれる優しさや、小さな思いやりが≪旱天の慈雨≫として感じられるのだ。そこにおのずとわきあがってくる感情こそ、本当の感謝というものだろう。親切に慣れてしまえば感謝の気持ちも自然と消えていく。だから慣れないことが大切だ。いつもなにも期待しない最初の地点に立ちもどりつつ生きるしかない。
だから夫は妻に期待すべきではない。妻も夫に期待すべきではない。愛情も家庭も、「老・病・死」するものである。自然に持続することを無意識に期待するのは、間違っている。
親の愛は無償という。人は人を愛したとき、愛の見返りを望む。それはその人を愛したのではなく、その人を愛した自分を愛しているだけ。本当の愛は愛する人の幸せを望むこと。そう覚悟したときに何かが生れる。五木寛之さんが大河の一滴の中でいう、無償の愛をこう理解する。
大辞林によると「旱天」とは、日照り、夏の空をいい、「旱天の慈雨」は、日照りの時のめぐみの雨という意味で、待望していたことの実現、苦しいときの救い、とある。
何かが生れたとき、そこに旱天の慈雨をもたらし、心が安らぐ。妻に夫に何かを期待するのは間違いだという。
今宵の雨は、そんな崇高な愛に出会えるような涼やかな風を運んできた。あなたは愛する人に何を期待しますか?本当の愛に出会ったならば「無償の愛」を捧げてみませんか?

「なにも期待しないという覚悟で生きる」
私たちは「泣きながら」この世に生れてきた。私たちは死ぬときは、ただ独りで逝く。恋人や、家族や、親友がいたとしても一緒に死ぬわけではない。人はささえあって生きるものだが、最後は結局ひとりで死ぬのだ。
どんなに愛と善意に包まれて看とられようとも、死とは自己の責任で向きあわなければならないのである。
だから親は子に期待してはいけない。子も親に期待すべきではない。人を愛しても、それはお返しを期待することではない。愛も、思いやりも、ボランティアも、一方的にこちらの勝手でやることではないか。そう覚悟したときに何かが生れる。
何も期待していいないときこそ、思いがけず他人から注がれる優しさや、小さな思いやりが≪旱天の慈雨≫として感じられるのだ。そこにおのずとわきあがってくる感情こそ、本当の感謝というものだろう。親切に慣れてしまえば感謝の気持ちも自然と消えていく。だから慣れないことが大切だ。いつもなにも期待しない最初の地点に立ちもどりつつ生きるしかない。
だから夫は妻に期待すべきではない。妻も夫に期待すべきではない。愛情も家庭も、「老・病・死」するものである。自然に持続することを無意識に期待するのは、間違っている。
-五木寛之著・「大河の一滴」から-
親の愛は無償という。人は人を愛したとき、愛の見返りを望む。それはその人を愛したのではなく、その人を愛した自分を愛しているだけ。本当の愛は愛する人の幸せを望むこと。そう覚悟したときに何かが生れる。五木寛之さんが大河の一滴の中でいう、無償の愛をこう理解する。
大辞林によると「旱天」とは、日照り、夏の空をいい、「旱天の慈雨」は、日照りの時のめぐみの雨という意味で、待望していたことの実現、苦しいときの救い、とある。
何かが生れたとき、そこに旱天の慈雨をもたらし、心が安らぐ。妻に夫に何かを期待するのは間違いだという。
今宵の雨は、そんな崇高な愛に出会えるような涼やかな風を運んできた。あなたは愛する人に何を期待しますか?本当の愛に出会ったならば「無償の愛」を捧げてみませんか?
≪だから夫は妻に期待すべきではない。妻も夫に期待すべきではない≫
駄目ですね。凡人の私は妻に期待してしまいます。
理解出来ても行動するのは、私には不可能で?
実際その場に直面すると、地の自分が感情を抑えきれず出て後悔と反省の繰り返しの毎日です・・・
もし私が実現出来たら、卒業できる時だと?
まずあり得ないので先生の片足にしがみつき例え・
スラックスが破れても離れる事はないでしょう。
覚悟の程・宜しくお願いします・・♪
残念でした
又三年後?頑張らねば~
無償の愛
夢の又夢です
期待もしないし、期待されても困ります
わが道を行く~~
捧げようと考えた時点で
無償の愛ではなくなるような気がする(^^ゞ(^^ゞ(^^ゞ(^^ゞ(^^ゞ
≫2年前脳出血で出先で倒れた時いし、
2年前でしたか?
◆文だけ先に行って (正子さん)
≫御免なさい。
≫文章の途中で先にコメントに行ってしまい、続きです。
はい、誰にも経験がありますよ♪(ニッコリ♪)
≫出先で倒れ意識があったので、
≫このまま家族にも会えず死んで行くのかと、思いました。
それは恐怖でしたでしょう。
≫体はふにゃふにゃで力も入らず、喋る事も出来ず
≫まさに地獄を見た思いでした。
そんな経験をなさったのですか。
≫此れ以降無償の愛を感じます。
≫人に何かをして差し上げる事が出来る幸せ、
≫健康に戻れたからこそです。
大きな病気をすると、人生観が変わりますよね。
≫感謝感謝の毎日です。
ダンスができ、デモにも出られるようになって
本当に良かった♪
どうぞ、無理をせず、楽しんでくださいね。
◆凡人の私は・・・ (ippuさん)
≫昨日の雨で狙っていた月の写真は撮れませんでしたが、
≫代わりに自然の涼しさを得ることができました。
月食は残念でしたね。
≫≪だから夫は妻に期待すべきではない。
≫妻も夫に期待すべきではない≫
≫駄目ですね。凡人の私は妻に期待してしまいます。
奥様もippuさんを頼りにしているのでしょう。
おあいこですね♪(ニッコリ♪)
◆期待はしません、が (陽子さん)
≫いつまでも健康でいて、
≫私と猫たちと穏やかに暮らしたいと、思います
それが一番の幸せ!
ごちそうさま♪(ニッコリ♪)
◆隅田川大学・1期生より (旅がらすさん)
≫大変難しい貴重な講義有難うございます。
ただの受け売りですよ~♪
≫理解出来ても行動するのは、私には不可能で?
「言うは易く、行うは難し」ですよ♪(笑)
≫実際その場に直面すると、
≫地の自分が感情を抑えきれず出て
≫後悔と反省の繰り返しの毎日です・・・
後悔も反省もあるのが凄い!
≫もし私が実現出来たら、卒業できる時だと?
行かないでぇ~♪
≫まずあり得ないので先生の片足にしがみつき
≫例え・スラックスが破れても離れる事はないでしょう。
一心同体ですかぁ?
≫覚悟の程・宜しくお願いします・・♪
一晩考えさせて~♪
◆Unknown (コスモスさん)
≫月食
≫残念でした
きれいだったようですね♪
≫又三年後?頑張らねば~
生きてるかな~♪
≫無償の愛
≫夢の又夢です
かつては・・・!!??
≫期待もしないし、期待されても困ります
僕、期待してますけど♪(笑)
≫わが道を行く~~
それが1番
電話は2番
3時のおやつは旅がらすさんと♪
◆v(=∩_∩=) (はぐれ雲さん)
≫無精の愛では駄目かなぁ・・・(^^ゞ
その手もありますねぇ♪(爆)
≫捧げようと考えた時点で
≫無償の愛ではなくなるような気がする(^^ゞ(^^ゞ(^^ゞ(^^ゞ(^^ゞ
貰おうと思えばいいのかなぁ?(ニッコリ♪)