勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

運命(さだめ)

2006-09-13 20:26:20 | Weblog
 サラリーマンから身を転じてお店を持ったことがある。30代になったばかりの頃だった。食事処として開店してまもなくの頃だった。僕とあまり変わらない年代の男性が店に入ってきた。
「お金がないんですけど、何か食べさせてくれますか?」
「うちは商売ですから・・・」そう言って追い出した。

 お店を手伝ってくれていた相棒に言われた。
「なぜ、追い出したの?」
「だって、お店にお金がないけどと入ってくるなんて失礼だよ」
「あの人、歩き方が変だったよ、よほどお腹が空いていたんじゃないの、塩むすびでもいいから作ってあげればいいのに。はじめからお金がないと言って来るくらいだから、恥を忍んできたのだろう」

 その頃、人生の挫折を味わったことのない僕にとって、働き盛りの若者がそんなことがあるなんて考えもしなかった。

 相棒の言葉を聞いてショックだった。人の裏側を見ることができない自分に気付かされた。そのときのことは今も忘れない。

 我が家の近くにはホームレスなどの路上生活者や、働かないでいるだろう人を多く見かける。ある時期まで僕は彼らに何の興味も持たなかった。
自分が病気になってから、身近にいる路上生活者を見るとき、あのお店での出来事が蘇る。
心の病を患って、自分の意思や考えでコントロールできないこともあることを知った。

 路上生活者の彼らにもそれぞれの事情があるはずだ。ただの怠けでホームレスをしている人もいるだろう。しかしすべての人がそうとは限らない。他人にはわからない事情によって人生を踏み外す人もいるだろう。自分の人生と重ね合わせ、そんな彼らを見るとき、その目が悲しげに何かを訴えている。

 数ヶ月前のある日、山谷に近い商店街を通ると、足があるのかないのか、両手で地面を支えながら道の真ん中で座り込んでいる人がいた。側を通る僕を見上げ悲しげな目を向けた。通り過ぎてから振り向くと、誰にも相手にされずそこから動かない。持っていたカメラを向けたが、シャッターを切るのに手が震えた。何のために写真を撮るのか、後ろめたさが脳裏をよぎる。


 後に写真を見て後悔した。なぜあのときに声を掛けるなり、家から食べるものでも持っていけなかったのだろう。それがどれほどの役に立つかはわからないが・・・。
後日、何度かそこへ行ってみた。しかしその人を見かけることはない。
あの悲しげな目が今も焼き付いている。

 数日前、仕事に出かける途中、道路の真ん中で寝ている人がいた。前のこともあるので、声を掛けた。


「どうしたの、眠いの?」
「・・・・・」
「ここは道の真ん中だから危ないよ」
すると何か言いながら、手を出した。
手を添えて起こしながら言った。
「ここでは危ないから、寝るんだったら端に行こうよ」
暖かい日だった。
「うん、ありがとう」
「酔っぱらってるの?」
「焼酎を3杯飲んだ」
「そっかぁ」
「俺は長野から来たんだよ」
「そう、家族はいるの?」
「いるよ、子どもも3人いる」
「逢いたい?」
「そりゃぁ、逢いたいよ」
言いながら、足が悪いのか手を添えて移動しようとしている。
「気をつけてね」
仕事の時間が迫っていたので、そう言ってその場を離れた。 

 怠けでホームレスをしている人は自業自得だろう。しかし、運命のいたずらでそうせざるを得ない人もいることを知って欲しい。そして彼らを支える人も・・・。

 映画「哀愁」で主人公のマイラは、運命のいたずらに我が身を売る道を選ばざるを得なかった。そして最後は霧深いWaterloo Bridgeで轍(わだち)に身を投じる悲劇に終わる。

 幸せでいるとき、不幸に目がいかなかった。今も僕は幸せである。でも弱者にも目を向けたい。偽善ではなく。
2006.09.13