勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

櫻よ 「親父とともに・・・」

2006-03-16 00:14:22 | Weblog

 穏やかな春の陽射しの下、墨田公園の早咲きの桜の花は、今日もにっこり微笑んでいた。
花の下では人が立ち止まり、花を見上げてはまた去っていく。
春の午後は、やさしい陽の光が心もやさしくしてくれる。

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 祗園の桜                     佐野藤右衛門さん

 祗園の枝垂桜にはいろいろ想い出がありますわ。
最初、親父が祗園の枝垂桜の種をうちの畑に播いたんです。
百ほど発芽し芽が出たのは一割、それから成長して枯れるのもありますやろ、だから戦後まで無事に残ったんは4本。

 その1本は、私の生まれたのを記念して植えた。残りの3本を京都市に寄付したんです。

 初代の桜が枯れた後、2本は円山公園に植えられました。
先代の桜の立派なイメージがみんなの中に残ってますやろ。
親父が二代目の枝垂桜を植えたって「貧相」だの「品がない」だの、あげくに「祇園にふさわしくない」だの、いろいろ言われて、そのうえなかなか花が咲かない。

 親父はこの二世桜が心配でたまりませんやろ。そやから、台風の真っ最中に円山公園に駆けつけたんです。それで夢中で柵を越えて、暴風雨でいまにも倒れるか、折れるかという桜の木にしがみついて、両手で幹を抱えて嵐のなか踏ん張ったそうですわ。

 親父の気持ちが通じたのか、しばらくして花が咲いた。いまも見事に咲いてますし、ようけ見に来てくれているでしょう。でも、親父の苦労を知っている人はもうおらんでしょうな。

 4本育てて、家に植えた残りの一本が、不思議な事に親父が死ぬときに枯れたんですわ。

 ある寒い朝に親父が脳梗塞で倒れましてね、その年から桜もおかしゅうなって、なんや変なんです。
親父は入院することになってしまったんですが、そうなったら桜もじわじわ弱ってきた。でも、なんとかその年は花を咲かせよった。

 結局、親父が死んだのは、花が散った一ヶ月後のことやったんやけど、突然その桜が急に葉を勢いよく出したんです。
ああ、これなら来年は昔のように立派に花が咲くなと思っていたら、その一ヶ月後に突然枯れてしまったんですわ。

 この時、「ああ、わしも桜をやらんといかんなぁ」と思いましたわ。
   

                       集英社「櫻よ」から抜粋

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 佐野藤右衛門さんは1928年、京都市生まれ。今年78歳になります。      
2006.03.16