明日であの震災から3年。
被災地の瓦礫は片付いたものの、家の土台も撤去され、何もない草原がどこまでも広がっています。
建物が倒壊するかと思った程の揺れ。
沿岸部を壊滅させた津波。
電気、水、ガス、電車が止まったこと。
食料、ガソリンがなくなったこと。
放射能により、あわや東京を含む東日本が失われるところだったこと。
あの頃のことを考えると今でも心が縮みます。
平穏な日常がどんなに有り難く、それがどれほど脆いものかを忘れてはなりません。
自分が綴った震災の記録を先ほど読み返してみました↓
http://blog.goo.ne.jp/daisuke-nana/m/201104
大川小学校惨事の遺族が提訴 (朝日新聞)
東日本大震災の津波により多くの児童と教職員が犠牲になった大川小学校の惨事で、児童23人の遺族が本日、県と市に総額23億円の賠償を求める訴訟を仙台地裁に起こした
。地震から津波の到達まで約50分あったのに適切に避難させなかったと主張。「明らかな人災」として災害時の学校管理下での犠牲の原因を問いかける。
訴えたのは、当時2~6年生だった児童の父母29人で、19家族にあたる。
大川小では津波の襲来で児童70人が死亡、4人が行方不明になった。
訴状によると、2011年3月11日の地震発生後、教職員らは児童たちを裏山などの高台に避難させず、防災行政無線で大津波警報が流れる校庭に待機させた。
近くの川に異変がないか確認するなどの情報収集もしておらず、注意義務を果たせば児童は助かったと指摘。
国家賠償法などに基づき、設置管理者の市と教職員の給与を負担する県に、児童1人当たり1億円の賠償を求めている。