昭和61年、萩市(長州藩)が会津若松市に対して、「もう120年も経ったので」と会津戦争の和解と友好都市締結を申し入れたが、会津若松市側は「まだ120年しか経っていない」とこれを拒絶した。
長州は、もう100年も経った、と考えるが、会津にとっては昨日受けた辱めである。
死者を冒涜した罪は、200年経っても消えない。
会津に行くと戊辰戦争の傷跡があちこちに見られるが、山形では豊烈神社の祭神が誰かも知られていない。
豊烈神社の水野三郎右衛門の像は、維新の悲劇を静かに語り続けている。
その横顔は悲しげにも見える。
豊烈神社の例大祭は山形市内で行われるお祭りの最後となる。
美しい山形の秋。
馬見ケ崎川には芋煮の煙が何本もたなびく。
神社の氏子たちは仕事も学校も休んでお神輿を担ぐ。
「今年もよく働いた」と酌み交わす十四代の旨さは格別である。
豊烈神社のお祭りと芋煮会が終わると錦繍の季節がやってくる。
秋の日はつるべ落とし。
五時半でこんなに暗くなる。
お土産に買って来たシベールのラスク。
季節限定の新製品です。
豊烈神社の打毬2012 了