石巻で産科医をしていた友人のN君は、お産の最中、地震に遭遇した。
慌てて居合わせた全員を3階に移動させたところへ、津波が襲来した。
ドーンという地響きとともに、2階を激流が通り抜けた。
3階の物置でようやくお産を終えたが、すぐに夜が来た。
水も食料もトイレもない暗闇の中、スタッフと産婦、新生児、入院患者、見舞客ら30名とともに一晩を過ごすことになった。
翌朝、日が昇ると、あたり一面は海になっており、建物の3階だけが水面から顔を出していた。
事務員の一人が流れていたボートを手繰り寄せ、それに乗って市役所に向かい、救助を要請した。
昼過ぎ、自衛隊のヘリで新生児、母親ともども、屋上から救出された。
建物が鉄筋でなかったら、3階建でなかったら、全員の命はなかった。
石巻では津波が16kmも北上川を遡った。
後日、彼はテレビで自分のビルが津波に襲われている動画を見て、過呼吸を起こしたという。
クリニックは廃院にすると決めた。
歌津のT君はテニス仲間である。
地震の後、3週間も安否が不明だった。
海岸から高台に向かって逃げる途中、津波に追いつかれた。
首まで水に浸かったが、たまたま隣を流れていた大きな流木に抱きついた。
海水は黒い渦となって荒れ狂った。
もうだめかなと思ったが、行きつ戻りつしているうちに壊れた家屋に打ち寄せられた。
必死でそこにつかまっていたら水位が下がり、九死に一生を得た。
阿武隈川河口のU崎に住むW君は、押し寄せる波に足を取られながら、命からがら堤防に避難した。
水没した地域から、「助けてー」という声がたくさん聞こえて来た。
居合わせた数人で、川に漂っていたボートを引き寄せた。
火事場の馬鹿力でボートを堤防に担ぎ上げ、水没地区まで運んで救助を開始。
あたりは暗くなり、水面は流木、漂流物で覆われていた。
数メートル進むのに1時間もかかるような状況だったが、妊婦を含む十数人を助け上げた。
気が付けば夜10時になっていた。
助けを求める声はまだ聞こえていた。
「お前ら、どごさいるんだ?」と声をかけたところ、「屋根の上だー」との返事だけになった。
その時点で、「溺れる心配ないがら、朝までそごさいろ、俺たちも疲れた」と言って、堤防に大の字になった。
服はびしょ濡れになっており、急に寒気がしてきた。
多賀城のEさん一家は4人とも勤めに出ている。
昼間はいつもダックスフントが一人で(一匹で)留守番をしていた。
地震当夜は4人とも自宅に帰りつくことができなかった。
翌日Eさんが帰宅してみると、2mの高さまで水の跡があった。
1階の窓という窓は破壊されていた。
愛犬は居間で寝ているように見えたが、冷たくなっていた。
(続く)