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遊戯三昧

いかに人生を楽しんだかという進行形の記録です。

母親が亡くなりました。その1

2025年06月30日 | 家族・家
1日目
6月に入り、急速な貧血と低アルブミン血症が進行していました。
精査のための検査や入院は混乱するだろうと考え、本人も望まなかったため、現状のまま様子を見る方針としていました。
しかし、その後も進行は急速で、浮腫も強い。
昼に面会した時は、比較的元気だったのですが、夜に頻脈に伴う呼吸苦が出現しています。
おそらくは肺水腫が発生し、浮腫の心臓への負担が増強したものと思います。
急遽夜に妻と面会に行きました。
(母親から見て)孫たちも、ひ孫たちを連れて、今週末に面会に来る予定だったのですが、間に合わないかもしれないと考え、ビデオ通話で会わせました。
妻を帰し、1時間くらい個室で母と話をしました。
意識ははっきりとしています。
私が生まれた産院や小学校・中学校のことも話してくれました。
「地球一周」と言うので何のことかなと思ったのですが、若い頃仕事などで自動車を乗り潰した距離が合わせて地球一周分になるという意味のようです。
「これは生前葬か」と何回も聞くので、半ば肯定し「振り返って自分の人生はどうだったのか?」と聞いてみました。
貧乏な家に生まれたこと、小学校時代のこと、家業のペンキ屋のこと、戦後大変苦労したことなどを話してくれました。
私も知らないことがありました。
父親とどこで知りあったかと聞くと「新小岩の男性洋服店」と即答しています。
父親の遺影も施設の個室に置いていたのですが、奥の方にしまわれていました。
それを取り出して見せたところ「どこにあった?」などと今更ながら目を丸くしながら、懐かしそうに眺めていました。
実は父親との間にはある種の確執があったのですが、「頭の良い、あったかい人だったね。」と言い、そのことには全く触れません。

これ以上話すと疲れてしまうと思い、退席しましたが「最後のバイバイ」「夢に出ていくからね」と笑いながら手を振ってくれました。

          *

2日目
翌日は意識レベルが下がり、会話はまとまらなくなっていました。
それでも朝はまだ話すことはできたので、駆けつけた次女が面会しています。
午後には意識レベルが下がり、うわ言が多くなっていました。
だんだん呼吸も苦しくなってきたようです。
昨日1時間じっくり話せたことは本当に良かったと思います。

          *

3日目
昨日帰宅したときは、今晩かもしれないと覚悟していたのですが、特に知らせはありませんでした。
朝、部屋を訪ねると、あえぐような呼吸になっています。
それまではかなりの頻脈だったのですが、それも60代に落ちている。
血圧も下降傾向で、酸素飽和度も上がらない。
これは最終段階と思いました。
千葉から長女家族が駆けつけました。
それでも呼びかけに目を開けようとする。
疲れてしまうと思い、面会は短時間で切り上げています。
私の仕事場は隣なので、昼休みにずっと付き合っていましたが、とうとう14時23分に息を引き取りました。

          *

生前から「葬式はしてくれるな」と言っていた母親ですが、少なくとも亡父は東京都江戸川区にある菩提寺には縁が深かったようなので、ないがしろ(?)にはできない。我々家族の気持ちの区切りも必要です。
完全家族葬という形で業者さんと打ち合わせ、菩提寺の住職さんにも来ていただくことにしました。
施設の方にご遺体を綺麗にしていただき、そこから自動車で葬儀場まで運びます。
皆さんで出棺を見送っていただきました。
涙する職員の方もいて、愛されていたんだな、と感じました。
本当にありがとうございました。

toko





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