遊戯三昧

いかに人生を楽しんだかという進行形の記録です。

節電再考

2022年03月24日 | 意見
電力が逼迫していると節電を求められた。
私なりに暖房の温度設定を低めにしたり、いつも以上にこまめに電気を消したりもした。
私は、原発に対して真っ向から意見を述べたことはない。
確かに事故があると被害が大きいし、侵略目的で攻撃目標にされたら大変なことになる。
しかし、火力発電では二酸化炭素の問題も浮上する。
再生エネルギーだけで現状を維持できるだろうか。

          *

そう考えると、全員で取り組まなければならないのが「脱エネルギー」である。
少なくとも今の生活を前提にいつまでもエネルギーを消費し続けるわけにはいかない。
その不便さと不自由さとを受け入れる勇気が私にあるだろうか。
そう考えると軽々しくものは言えないと考えているのだ。
しかし、そのスタンスはまるきり無責任なものではないと自分では思っている。

toko
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピック再考 その後

2021年08月09日 | 意見
オリンピックが閉会した。
この間、関連する報道を一切避けるのは大変だった。
ニュースを観ていても、ちょっと油断すると勝手に切り替わってしまう。
番組表でもほとんどどこの局もオリンピック一色の日も珍しくなかった。
仕方ないので昔の録画を観たりして過ごしていた。
関連する新聞も読んでいないので、誰がメダルを取ったのか取らなかったのかも「全く」知らない。
現地でのオリンピックを観戦することはもうない。
さすがにそれは寂しい気持ちはする。

          *

果たして、今回のオリンピックは成功したと言えるのだろうか。
オリンピックに限らず、スポーツは公平な状況で競うことが大前提である。
外国からの選手が2週間の隔離生活を送らなければならないという条件は、その観点から果たしてfairなのだろうか。
「参加すること」に意義があるというより「開催すること」に意義があると考えている人間がいなかっただろうか。

          *

新型コロナウイルス感染の今までにない急速な拡大は、本当にオリンピック開催と無関係なのだろうか。
オリンピックがステイホームに一役買っているというのなら、パラリンピックも含めたこのイベントが終わった時にはどうなるのか。

疑問ばかりなのだが、どなたか明確に答えを教えてくれないだろうか。

toko


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PCR検査陽性的中率

2021年06月27日 | 意見
少し前だが、6月10日の日経新聞にPCR検査陽性的中率についての解説が掲載されていた。
以下はその引用である。

          *

「ある人がPCR検査で陽性の判定を受けたが、この人が実際に感染している確率はどの程度か」という質問に対してどう答えるか。
陽性なら100%感染しているのではないかと考えるのは間違い。
検査には感度、特異度、陽性的中率という要素があるからだ。
感度=病気に感染している人で、検査で陽性になった人の割合(1-感度=偽陽性率)
特異度=病気に感染していない人で、検査で陰性になった人の割合(1-特異度=偽陰性率)
陽性的中率=検査で陽性の人の中で、本当に病気に感染している人の割合
である。
先行研究を参考に感度を80%、特異度99.9%とし、市民の0.1%が市中感染していると仮定する(これらを事前確率と呼ぶ。)。

          *

検査を受ける1000人のうち、感染者は1人。→感染者のうち陽性になるのは1×0.8=0.8人
検査を受ける1000人のうち、非感染者は999人。→非感染者が陽性になるのは999×(1-0.999)=0.999人
⇒陽性的中率0.8÷(0.8+0.999)=0.44
となる(検査で陽性判定を受けた人が感染している確率は44%)。

          *

現在、PCR陽性者=感染者としていろいろな対策を講じているが、事前確率を無視して全員検査を行うと、いたずらに偽陽性者を出しかねないということに警鐘を鳴らしている。
「ベイズの定理」(条件付き確率)を使っての計算だが、自分でもよく整理できていなかった部分をわかりやすく理解させてくれた。

toko
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワクチン有効率

2021年06月21日 | 意見
新型コロナウイルスワクチンの有効率は95%だと言われている。
これだけ聞くと、ワクチンを打った人の内95%は新型コロナウイルスにかからない、と考えるだろう。
元々の治験では次のようになっているらしい。
1.43000人の被験者の半数にワクチンを接種、半数には接種しなかったところ、前者では8人発症し、後者では162人発症した。
 すなわち、ワクチンの接種によって162-8=154人の発症が防げたと考えられる。
2.(162ー8)(ワクチン接種による発症予防者)÷162(ワクチン非接種発症者)×100=95%
⇒ワクチン接種によって発症が防げた人数154人と、ワクチンを打たなかった場合に発症した人数162人との比の95%を「有効率」としているのだ。

          *

しかし、もっと単純に考えれば
ワクチン接種者の発症率 8÷21500×100≒0.04%(1000人に0.4人発症)
ワクチン非接種者の発症率 162÷21500×100≒0.75%(1000人に7.5人発症)
0.75%÷0.04%≒19
すなわち「ワクチンを打つと打たなかった場合と比べて発症する確率が5分の1程度に減る」
⇔「ワクチンを打っても2500人に1名は発症する」「ワクチンを打たなければ133人に1人が発症する」
ということである。
しかし、この治験ではワクチン非接種者の発症数が現実よりも高いような印象を持つ。

          *

決して私はワクチン反対論者ではないが、疫学的な数字と個人の発症確率とを混同しないことが重要だろう(私の理解が浅いのかもしれないが。)。ちなみに新型コロナウイルス感染者の保有する抗体とワクチン接種者の保有する抗体とを比較すると、後者の方が60倍多いという記事も目にした。

toko



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

禁酒法時代

2021年04月22日 | 意見
緊急事態宣言が東京都などに発令されるが、酒類の提供を禁じることが盛り込まれている。
首都圏各県も追随するようだ。
応じなければ休業要請、応じれば(酒抜きで)8時までの営業となるようである。
この間は禁酒法時代になる(自動販売や宅飲みは可能だが)。
バーで一人静かに呑むのも禁止となるのだ。

          *

医療崩壊ばかり強調されているが、これで居酒屋は完全に息の根を止められる。
選択を預けた形なのが嫌らしく、とてつもなく卑怯である。
ずっと我慢をし、ある意味悪者にされてきた方々に余力はない。
何よりも疑問なのは、人流を止めるのは拡大を一時的に防ぐには有効ではあるが、その場しのぎに過ぎないという点にある。
昨年1年間でそれはわかっているはずだ。
陽性者数を減らすのは医療を逼迫させない観点からは有意義だが、長期的な展望には立てない。
どうして一方の側しか物事を見ることができないのだろうか。

          *

収束後に来る大増税も見越して「長い目で」見ることが重要だろう。

toko

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正しく恐れる

2021年01月11日 | 意見


再び緊急事態宣言が発令されました。
以前のような緊張感に乏しいと思っているのは私だけではないでしょう。

          *

新型コロナウイルスは1年たっても「新型」なのでしょうか(余談ですが昔「ニューミュージック」というジャンルが設けられたときに、「今後新しいものはどう呼ぶのかな」と思った記憶があります。)。確かに1年前はわからないことだらけで、みるみる悪化して死亡するタレントもいたので万全を期さなければならなかった。
しかし、この1年で大分わかったこともあるはずなのに「旧態依然」の対応をしているのはいかがなものでしょうか。そのような気持ちでamzonで上記の本を購入しました。

          *

WHOも含めて巷では接触感染・飛沫感染ばかり主張されていますが、この広がり方を考えると著者の主張している「空気感染」が一番しっくりきます。感染の仕方に関してはどれも証明されていないので、現状を鑑みて最悪の空気感染を前提に対策を考えることが必要と思います。それはすなわち「防ぎきれない」ということも示しているのではないでしょうか。そのことを誰も言わない、言おうとしない。「国民の命を守りきる」というのはどのレベルを表現しているのでしょうか。「今後一切死亡者を出さない」という決意表明でしょうか。残念ながらそんな病気はひとつもありません。新型コロナウイルスに限っては死亡者を出さないということは果たして現実的でしょうか。どんな病気でもゼロリスクにはなりません。「死亡者を出してもいいのか」という批判を恐れているのかそのことも誰も言わない。連日本日の死亡者数が○○人に増えましたという報道されています。そのうちにこれを「今日の死亡者は○○人に抑えられました。」ととらえられるようになることが必要なのではないでしょうか。この本でも触れていますが、もちろんその死亡者のひとりが私かもしれないし家族かもしれない。しかし「公衆の」「衛生」とはそういうものです。「この人を死なせない」という個々の「治療」とは観点が違うのです。

          *

「防ぎきれない」感染症に立ち向かうためにいつまでも過剰な防衛をし、全体を萎縮させている構造はおかしい。そういうことを指摘し、国民に過度な不安を与えないようにわかりやすく伝えるのが専門家でありメディアであり、大きな視野でトリアージのような舵を切るのが政治家の役割のはずですが、現状は正直真逆ですね。ワクチンさえ間に合えばという気配もありますが、ワクチンごときだけですぐに抑えこめた感染症は今までありません。

          *

大げさに言えば死生観のようなものにもつながるかもしれませんが、「正しく恐れる」とはそういうことだと思います。

toko
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする