仕事で広島に行ってきました。
前夜19時まで仕事があり、当日は8時に現地に入りたかったため、夜行列車を利用しました。サンライズ瀬戸です。
夜行列車では眠れないたちなので(以前利用した時には2段ベッドで上に若い女性が寝ていた!堂々としたものですが、こちらが寝苦しかった。)、今回は個室を利用しました。1か月前で1つしか空いていなかった。人気が高いのですね。
↓アメニティグッズです。今回は使用せず、記念に持ち帰ります。
シャワーも付いています。シャワーカードは限定20枚のようですが、個室利用者は一枚頂けます。6分間お湯が出ます。キャンプの時も無理をしてでもシャワーを浴びるようにしていますが、やはりさっぱりします。
しかし夜明けはもやっていてサンライズを観ることはかないませんでした。残念。ところが、朝起きてみると列車が大幅に遅れているというアナウンスが入りました。通勤ダイヤに突入するとそちらが優先されるためさらに遅れてしまいます。
急遽、姫路で降り、新幹線に乗り換えました。起床からわずか30分での身支度です。
何とか無事に広島に到着。一日目の夕食は寿司屋のカウンターで大将と話しながら、いろいろ握っていただきました。二日目はお好み焼きです。というより焼きそばの上にトッピングされているという感覚でした。いずれも美味しかったです。
仕事が終わってから、いつものように観光タクシーで3時間ご案内していただきました。縮景園から広島城に行きました。広島城は原爆で吹き飛ばされ、天守閣のみ再築されています。
それから原爆資料館に入りました。入口すぐ左手に平和の鐘があります。
被爆時刻を指したままの腕時計です。
壁に残された、いわゆる「黒い雨」の跡です。
これも有名ですが、原爆によって「蒸発」してしまった人の影です。複数の遺族から、自分の家族でないかという問い合わせがあるとのことです。
原子爆弾の模型です。リトル・ボーイという名前だそうです。ちなみに原爆を運んだB29をエノラ・ゲイと呼びますが、これは操縦士の母親の名前だそうです。彼女はそのことを名誉に思っていたのでしょうか?
以前テレビ番組で原爆を開発した科学者がこの模型を見た時に、誇らしげに「あれにサインしたいぐらいだ。」と言っていたのがずっと印象に残っていました。彼の理論は「リメンバー パールハーバー」でした。
被爆し、何年か後に白血病を発病し、亡くなった少女が折った鶴です。薬包紙などを利用し、針で懸命に折ったそうです。
平和公園に出るとほっとした気持ちになりました。生と死との不連続を感じました。以前はあまりにも衝撃的過ぎたということなのか、最近の展示には配慮がされているようだ、とタクシーの運転手さんがおっしゃっていました。しかしそれでいいのでしょうか。
regretという単語が頭に浮かびました。曲の着想にもつながるかもしれません。
もう一度、少し遠くから見た原爆ドームです。
修学旅行の学生も沢山いました。京都・奈良ももちろん悪くはありませんが、若い時に一度訪れるべきと思います。
ご案内いただき、いろいろと教えて下さった美人の運転手さん、ありがとうございました。toko