遊戯三昧

いかに人生を楽しんだかという進行形の記録です。

新型コロナウイルス感染拡大について思うこと

2020年08月27日 | 意見
このblogにはあまり自分の意見を書かないようにしてきた。
そういう場合にはTwitterにつぶやくようにしている。
しかし、今回は字数の関係もありこちらにエントリーすることにした。
そのため初めて「意見」というカテゴリーを作成した。

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どうして急に思い立ったかというと、新型コロナウイルス感染拡大に伴って偏見・差別をなくそうという動きがメディアで放送されるようになったからである。
緊急メッセージとかで「○○しない」などと5項目くらいあげられていた。
そんな行動を謳うのではなく、もっと本質的な問題があるだろう。

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偏見の英訳はいろいろあるが、私は日本の「偏見」に当たる英語はprejudice が一番相当と考えている。preはあらかじめ、前もってという接頭語であり、後半はjudgment ジャッジメントである。「あらかじめ判断する」という意味でむしろ「先入観」のニュアンスの方が近い。

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新型コロナウイルスにはわからないところも多いが、それをよりどころのようにしてさんざん扇情的に情報を流していたのはどこか。「殺人ウイルス」などと呼称していたのは誰か。PCR検査をスクリーニングのように全員に施行して、陽性者を隔離しようとするのはハンセン氏病患者の隔離政策にもつながると思うのは私だけか。インフルエンザキットを無症状者に行うべきだと主張する人間はいない。インフルエンザ様の症状があり臨床的に疑わしい場合に、決め手の一つとして行うものだからである。事実この2月には新型コロナウィルス感染の恐れから、インフルエンザキット検査は禁じられ「総合的に判断するように」という指針が出されている。検査とはそういうものである。どんな検査にも感度・特異度の問題があり、擬陽性者・擬陰性者は一定数存在する。擬陽性者も含めて全て隔離しろという主張・権利の根拠はどこにあるのか。逆にそのようなスタンスに立てば、PCR検査陰性者はいつまでも陰性でいられるのか。ましてやPCR検査はウイルスそのものを検出するものではない。そこにあったウイルスの残骸のRNAを捉えただけの可能性もある。それなのにPCR陽性者をイコール感染者と報道する根拠もわからない。そう言えば流行の初期は「新型肺炎」と呼び習わされていたがいつの間にか「肺炎」が取れてきている。PCR陽性だけで症状を発症することもなく、すなわち肺炎まで至らない陽性者がたくさんいるということだろう。当たり前すぎる話なのだが、国会でもいわゆるリベラルが自らの不勉強をさらけ出してしまっていた。

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PCR検査については強力な推進派と懐疑派とがいる。
経済活動の活性化を考慮し、検査陰性者だけ労働させようという意見もあるくらいだ。
私はそのような考え方こそ「偏見」を助長していると思う。
陽性者の中に無症状の感染者も少なからず含まれていることは事実だが、上記の理由でラベリングに他ならないと私は考える。
検査は正しい目的で使用されなければならない。
今までの自らの主張を振り返り是正するべきところは是正していかないと、国民の「先入観」は払拭されず、「緊急メッセージ」はお題目に終わってしまう可能性がある。

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以上はつぶやきである。
議論することは目的としてない。

toko




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