活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

おシャカ様の悟り1

2022年11月09日 | おシャカ様

一体おシャカ様は何を悟られたのでしょうか。

 

実は長い間夢を見ていた事に気が付いたのです。

 

夜明けの明星は何時も時間を違えずに在り、それ迄もずっとご覧になって居られたに違わないのです。

 

けれども、在る日刹那に本当に「自他」を離れてご覧になったという事です。

 

おシャカ様は「生老病死」という、人生の根本苦から解放されなければ、安心(あんじん)は無いだろうと一生懸命に菩提樹の下で座って居られたのです。

 

それがたまたま「十二月八日の夜明けの明星」をご覧になって「なあんだ、迷ったり不安に思うものなど始めから無いではないか安心や悟りなどというものは最初から在りはしないのだ」という事に気が付かれたのです。

 

そういう夢から目覚められた人を「覚者」或るいは「仏」といい「悟りー解脱」といっています。


衆生教化(しゅじょうきょうけ)2

2022年11月07日 | 法理

自分自身は、既に結果に至っているにも拘わらず、経典等を読み自他の見を立てて今の様子見て、「自分自身の法に気が付くという事」はとても不可能な事であると思い込んで、自ら究極に至る道を断念するというような事が見聞(けんもん)される処です。

 

それではいけないという事から、「仏祖の道」を「自分自身の道」として、然う云う教えに従って、修行する事に因って自分とおシャカ様或るいは歴代の覚者のお示しになる処の「法」とは、寸分違わないものであるという事を「自分自身で実証」していかなければなりません。


衆生教化(しゅじょうきょうけ)1

2022年11月05日 | 法理

近頃では、最初から「法」という定まった物が、何処かに在るという立場に立って色んな論説がなされ、そのために「法の論争」が行われるようになっています。

「法」というのは私達衆生が、自分自身も法その物であったという事に気が付くようにおシャカ様が、「衆生教化」の為に建てられたものです。

 

「仏道」というのは、「おシャカ様の法で在る」という事です。

 

ですから私達衆生は、おシャカ様の歩まれた道(おシャカ様の法則)に踵を合わせていく事に従って、「仏教を学ぶ」のではありません。

 

或るいはおシャカ様以降の歴代の覚者といわれる方々の示された教えに従って、行じる事ではありません。

 

私達衆生は「自分自身の法に気が付く」という事です。


仏の真言3

2022年11月02日 | 法理

現今では「自我を満たす」ということから諸々の事が行われています。

 

「孝順心」という言葉を聞いても、はるか遠い昔の事のように思い出される人があるかもしれませんし、全くそういうお言葉をご存じない方も居られるかもしれません。

 

「順ぜざれば孝にあらず」というお言葉があります。

 

「全ての事を真心をもって仕える」というふうに解釈をして頂きたいと思います。

 

これは「仏の真言」です。

 

「真言」というお言葉は自分を忘れたところが出ないと出て来ません。