信心脱落脱落身心5 2021年12月04日 | 法理 前の記事の信心脱落は平等です。 平等だけでは世の中に立って、働きが無いと云う事ですから、如何しても自分を忘れて其の物に成ってしまわない限りは働きが無いのです。 ですから信心脱落をして、自分を忘れ脱落身心をして自分を活かすと云う事です。 それでないと、世の中に立って何の役にも立たないと云う事に成ります。 従って自己を忘じただけでは、それだけのもので「悟り」と云うのは未だ迷いの内だと、昔から善く言われている訳です。 « 新三法印「今の事実」3 | トップ | 新三法印4 »
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