新三法印3 2019年10月31日 | 法理 私たち衆生は「自己とは何ぞや」と問われれば必ず「迷う」と思います。 何故ならば「自分自身(此の物)」は自分自身の発生(生まれたということ) したという明確な「自覚」が無いからです。 「必然として自分が生まれたことを知(識)らない者」が「知(識)らない」 なりに、こうして世に出て来て「何も知(識)らない世界」で「不知不識 (しらずしらず)にはっきり生きている」という「今の事実」が有(在)るのです。 « 新三法印2 | トップ | 新三法印4 »
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