活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

実証 2

2016年05月11日 | 法理

「あるがままの大安心(だいあんじん)」 という仏教のモットーだけはよく耳にします。


しかし、「自らの坐禅によってしか大安心は得られない、他人の言葉を借りて

納得しているだけではいけない、證明のない仏法ではいけない」

と、説く人が殆どいなくなってしまいました。


迷いや不安や、葛藤の状態をあるがままに見ることが出来るためには

一度、実相は無相であり、その 「実相無相」 を越えたものが 「何もない空」

であるということ、そのことが自分のものになっていないといけません。


どうか、ここを明確に道理をつかんだ上で、「坐禅」 に励んで頂きたいと思います。

「坐禅」 は 「実証」 という大前提があっても「坐禅」です。


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