身心脱落脱落身心10 2022年01月16日 | 法理 法身としての自己に徹した「真の忘自己、身心脱落」にも拘わらず、再び悟りを得た人を認める事は、「自分が未だ残っている、自我が死に切っていない大死一番が出来ていない」と、云う事なのです。 この大きな誤りを知らないので、元来自己無きを知りながら、誤って自己の見を生じ、「悟りの病」にこの身心を法の如くに、血涙を以って修行するも、自在に成らないと嘆く人がいます。 この事は、皆この「一大事を明らめず身心脱落と脱落身心の違いを知らない為」です。 « 身心脱落脱脱落身心9 | トップ | 信心脱落脱落身心11 »
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