「華厳経(けごんきょう)」に曰く、「心常に世心と和合せざるを名づけて
精進となす」と。
「世心」とは世の中の心で、「世の中の心」とは「妄想」ということで
「煩悩」といいます。
又、世の迷った働きを「世心」といいます。
そういう「世心」といっしょにならない、「精進」とは「専心一意(せんしんいちい)」
ということで、聴く時は聴くという一心にならなければ解りません。
「専心一意」に成って初めて解るのです。
それが「真心(まごころ)、道心」です。
その心で聴き、その心で教える、その心が聖人(せいじん)の心です。