そのような「物を認識する力」というものによって「本当にそうか」ということを知(識)るのです。
それを知(識)って寒い処ににて寒くて耐えがたい時には暖かい処を選んで行ったり、衣服を重ねたりすれば暖かい生活が出来ます。
それは「人間(にんげん)の知恵」です。
「知恵そのもの」を悪いというのではないのですが「人間(にんげん)の知恵」というものは混乱しているのです。
なぜなら「自己が自己で生活している真っ只中にいる」のに「自己とは何か」と問われるとそれが解らないようになるということは、おかしなことではないでしょうか。
別の言葉でいえば十字路に立って通りがかりの人に「私は何処へ行くつもりでしょうか」と他人に自分のことを聞くのと同じではないでしょうか。