「六根、六境(六塵)、六識」は必然に只従うしか有り得ないように出来ているのです。
「法として道として」です。
それを「無為」といいます。
そういうふうに最初から出来上がっているのです。
「現在のこの日常生活を営んでいる事実のまま(手付かず)にそのまま(その身)」
が「涅槃の境地」なのです。
他に行き場も何もないのです。
これだけですべてが終わるように最初から出来上がっているのです。
これが「今の事実、今の自己の様子」なのです。
私たち衆生は「六根、六境(六塵)、六識の関係」というものが必然性で必要に
都合がよいように動くものですから「意(思いの心)」を以てなかなか理解する
ことが出来ないのです。