三法印について8 2019年10月22日 | 法理 仏教ではそのような様々な人の思惑さえも「仏性」と名付けています。 たまたま「自我の考え(我見)」や法の「見解(けんげ)」を立てて、いろいろ 散乱をしている状態であったとしても、「縁」に触れて一遍にそういうことが なくなり、「もともと本来ひとつのものであった」ということに気が付く 時節があります。 それを禅では「見性(けんしょう)」とか「目醒める」という言葉で表して います。 « 三法印について7 | トップ | 三法印について9 »
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