「一月(いちげつ) 普く 一切の水に現じ、一切の水月(すいげつ) 一月に摂(せっ)す」
というお示しがあります。
「一月」 というのは、「一性」 のことです。
先ずお互いの唯一法性(ほっしょう)を天上の月に例えて見れば、天上の一つの月というものは、普く地球上の水の上に現れます。
地球の上の水は何程あるか数えられるものではありません。
河にも谷にも海にもありますが、皆それに現れます。
露が一つあれば、その一つの露に現れ、露が千あれば、その千の露に月が現れるように一法性が 一切の性に通ずるのです。
此の 「一月」 というのは、「不変真如」 で、一心の体で、「一切の水に現ずる」 というのは、「隨縁真如」 です。
此の沢山の水に現れた月も天上の一月に外なりません。
畢竟 万水(ばんすい) の月影は天上の一月に摂せられるようなものです。
何でも同一仏性ですから、お互いに平等の心を持たなければなりません。
しかし、上(かみ)としては、下(しも)を憐み、下としては、上を敬する という風にしなければならないと示しているのです。
といって、無茶ではいけません。
悪平等というようなことでは、いけません。
仏の法は隨縁真如の時には、隨縁真如として差別(しゃべつ)しなくてはいけないのです。
悪平等ではいけないし、悪差別(あくしゃべつ)でもいけないのです。