覚者曰く、「真を求むる事を用いざれ、ただすべからく見(けん)を息(や)むぶべし」。
しかし、みんな「真実」を求めたいのではないでしょうか。
「真実」を求めたいから「修行(坐禅)」をしているのではないのではないのでしょうか。
それなのに「真を求めるな」とは随分「無鉄砲」なお示しです。
如何して此の様な事を言うのかと申しますと、「私達衆生が皆真(しん)」だからです。
「真で無い物・真実で無いのは一つも無い」のです。
どうして此の様に言うのかと申しますと、「私達衆生皆真(しん)」だからです。
「真でない物・真実でない物」は、一つも無いのです。
それを私達衆生は知らないのです。