仏教は常々申し上げているように「縁起の法」です。
人の作ったものではありません。
「縁」に因ってすべてのものが形作られ、そしてまた、
それが「縁」に因って消滅し、形作られ、消滅し、形作られて
たまたま私たち衆生はこういう現象の世界にいるわけです。
しかし、このことは「偶然」ではなく「必然」なのです。
この「現象の世界」というものには、意義付けも意味付けも、
絶対とか相対とか、一切そういう「理屈めいたもの」はありません。
「自分もまた(法)のひとつであり、(法)そのものである」
ということを、よく承知していただかないと何か大事なこと、
大切なことが自分以外のところにあるように思われてしまいます。