法という枠1 2018年05月10日 | 法理 坐禅は「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」です。 四六時中です。 何時坐っている場所だけの坐禅をしていたのではいけません。 しかも、我を忘れて坐って頂かなければいけません。 坐禅をする方の一つの病気として、 「坐禅が楽しくなる、坐らないと如何しても気持ちが悪い」というのがあります。 もちろん、それでなければならない一面もありますが、それをもう一つ飛び越えて 「そういう坐禅があってはいけないんだ」というところまで自己を参究していって 頂きたいと思います。 « 今の事実11 | トップ | 法という枠2 »
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